10-7.疎
「フェルドリック殿下のお命を救ったそうだ」
「ほお。確か昨冬の盗賊騒ぎにも関わっていたのでは?」
「モーガンを捕らえた例の砦の一件でも……」
夏の騒がしい虫の音を縫って、有閑にたゆたう貴族たちの声が耳に届いた。ステファン・ド・ザルアナックは眉間に刻み込まれた皺をさらに深める。
(姿だけでは飽き足らず、人目につく騒がしさまで父に似たのか……)
隠すことなく舌打ちをして、王宮の裏庭に向かう足を早めた。
――ならば、なおのことあの娘に釘を刺しておかねばなるまい。
先ほどまでステファンは外交問題を扱う会議に出ていた。
終了後、王とその息子の太子が話す傍ら、王太子の護衛が油断ならない眼差しでステファンに近寄ってきた。
『当方の申し込みを真剣に検討願いたい』
ずっと敵対してきた公爵家の嫡男でもある彼からのセリフに、ステファンは鼻を鳴らした。
『ロンデールの方にそう仰っていただけるほど大仰な価値のある娘ではありませんので』
――誰も彼もあの娘に一体何を期待しているというのだろう?
皮肉な笑いを隠しながら、これまで何度繰り返したかわからない返答を杓子定規に口にする。だが、それに対する彼の答えはこれまでのどれとも異なっていた。
『私にとっては価値があります……この上ないものになるはずです』
今度はなんの打算だ、とまだ若い彼の表情を内心でせせら笑いながらうかがった。だが……。
『家の話をしているのではありません』
彼の薄い緑の目に熱と苦味が含まれていることに気付いてしまった。その瞬間、ステファンはあの娘がさらに疎ましくなった。
『もちろんあなたの家にとっても悪くない話のはずと自負しておりますが』
すぐに抜かりのない空気に戻ったあたりは、さすがと言うべきなのだろうが、彼といい、あの男といい、なぜあれにこうも執着するのだろう?
(放っておいてくれればいいものを……)
朗らかな、澄んだ笑い声が裏庭から響いてくる。
(……いつもそうだ)
ステファンは目を眇める。あれはステファンの姿の見えない場所では、いつもあんなふうに笑っている。
「じゃあ、ナシア、道具をコッド爺さんに返してきますから、アレックスと一緒に戻っていてください」
「ジェシーに頼んで、フィルが戻ってきたらすぐにお茶にできるようにしておくわ。サジェスに頼んで、今日のお茶菓子はチョコレートケーキにしてもらったの」
「っ、すぐ、本当にすぐ戻ります……っ」
午後の強い日差しの中、彼女は遠目にもはっきりわかる笑顔を別方向に向け、元気よく手を振った。踵を返し――。
「……っ」
ステファンを視界に入れるなり、いつものようにその表情を凍りつかせた。
この顔を見る度に、ステファンの中に苛立ちと後悔、何より今は亡き人への懺悔が沸き起こる。
子どもの頃、ステファンは幼馴染たちとこの場所を遊び場にしていた。あの頃庭師のコッドと一緒に植えた樫の木は、いつの間にか見上げんばかりになり、あの娘の蒼褪めた顔に木漏れ日を落としている。
「……お、おひさしぶりです、父さ――」
「お前にそのように呼ばれる謂れはない」
息をのんだ後、何かを決したかのように口を開いた娘の言を遮った。
(……軽率極まりない)
ステファンは鼻に皺を寄せる。
やはり父も母もそういう意味ではこれに何一つ教えていないのだと知って、ますますこのような場所に置いておく訳にはいかないと思い知らされる。
「随分と愚かなまねをしてくれているようだな」
「……」
ステファンを前に青ざめていく顔は、それでも最愛のあの人にどこか似ている。それを確認するたびに忌々しさが増していく。なぜ?と思ってしまう。
「いいか、お前はザルアナック――私やラーナックになんら関わりない者だ。ラーナックが何をどう言っているかは知らんが、勘違いするな」
「……勘違い、をしている訳、では」
歩調を落としつつも目線は決して娘に向けないまま、ステファンは立ち竦んでいる娘の脇へと歩を進めた。
「……」
悲愴な顔で俯いた娘がうかがうように目を向けたのは――第二王女と共に遠ざかっていくフォルデリーク家の、あの次男の後ろ姿だ。
ステファンはそれを目ざとく捕らえ、疑念に眉根を寄せた。この春の剣技大会で彼と対した際の記憶をたどる。
『ええ、うまくやっています』
(あの男は、この娘がザルアナックの者だと知っているはずだ。この娘もそれを承知のはずだろうに、今の状況に怯える理由は……)
「つまり……家から出されたという今の身上を奴に告げていないというわけか」
「っ」
目を見開いた後、唇を噛み締めた娘に、さらなる苛立ちが増した。
「何を期待してのことだ? 貴族の娘としてのお前に価値など露ほどもない。さっさと忘れてしまえ。それすら出来ぬというなら、剣を捨てて私の言に従うことだ。まあ、そうしたところでお前に何ができるのかは知らぬが」
互いに正反対の方向に顔を向けたまま娘へと声を落とすと、娘の右の拳に力が篭るのが視界の端に映った。
「知って、います。あなたにも兄さ……ラーナックさまにもご迷惑はおかけしません」
「……」
この娘はいつもこうだ。震え声を返してくるくせに、最後の最後で必ず自分の意思を見せ、こちらへと牙を剥く。
「随分と懸命なことだな」
ステファンの投げた皮肉に、娘は顔を上げた。
「お前に期待できることなど、どの道知れているのだろうが、その言を守るようせいぜい努めることだ。私の目障りになった時は容赦しない」
「――言われずとも」
憎らしいまでに父と同じ色の瞳にうっすらと涙を湛え、そのくせひどく強い視線で睨み返してきた娘の顔を横目で捉えながら、いつの間にか自分とほとんど変わらない背丈にまでなった影とすれ違う。
「……」
この娘の、妻に似た笑い顔は一生自分には向けられないのだろう。
「ステファン」
呼び止められて振り返ると、慇懃に礼をとった。
「これはこれは国王陛下。なぜこのような所に?」
「……白々しい。お前とてそうだろうが」
年下の幼馴染の顔に嫌悪が浮かぶ。きっと同じ色は自分の顔にも浮いているだろう。
疎ましきはあの娘。
死してなお意図もしないままに人に影響を与え続ける、英雄と呼ばれた父。
そして……それに振り回され続ける我が身の卑小さ。
「あれの存在をヒルディスに知らせるな」
周囲に人がいないことを確認して、この国の元首へと包み隠さない嘲りを浮かべた。
「ヒルディスではなく、エイリールにだろうが」
彼の妻であり、ステファンの幼馴染でもある双子の妹のほうに言及したステファンへとギルリッツは殺気を滲ませた。睨まれて低く笑う。
ならば、その権力を使ってあれをここから追い出せばいいものを、彼がそうしないのは息子のフェルドリックゆえだろう。
(傍目に歪んで見える彼らの父子関係の方が、私とあの娘の関係よりよほど正常だ)
ステファンは口元に歪な笑いを浮かべる。
「まあ、いい。だが、交換条件だ。あれには一切干渉するな」
あれはもはや私の娘ではない。いや、最初から娘だったことなど一度もないのだから――。
「……ロンデールとの話はどうする気だ?」
「言ったはずだが? 干渉するな」
そのままゆっくりと踵を返し、渡り廊下を城門に向かった。石造りのそこはセミの鳴き声を耳障りなほどに反響する。
ステファンの行く先に待つのは、妻が慈しんだ、その彼女にひどくよく似たたった一人の息子――ステファンにはそれで十分なのだ。
(だから、あの娘はあのまま放っておけばいい)
皮肉なことに、ステファンは誰よりそれをよく知っている。




