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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第10章 変化
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10-5.恋語り

「フィルっ、会いたかった!」

 夏の早朝、強い朝日を受けながら、絹のように艶やかな茶の髪を靡かせて、小柄な少女が駆け寄って来る。

「ナシア、久しぶり……っ!」

(ああ、もうほんっとうに可愛いっ! わざわざ裏門まで迎えに来て待っていてくれるところも、「会いたかった」なんて言ってくれるところも最高っ!)

 アレックスの呆れたような視線も、侍女のジェシーさんの真っ赤な顔もなんのその、フィルはナシアとぎゅうっと抱き合って再会を喜び合う。


 タンタールへグリフィス退治に行って、それからハフトリー元辺境伯の逮捕と反乱分子の制圧にも派遣されていたから、彼女に会うのは実に二ヶ月以上ぶりだ。

「私、フィルにいっぱい話したいことがあるの。ものすごく頑張っているのよ?」

 腕の中で「フィルの話も聞きたいわ」と茶色の目をキラキラさせる彼女に、フィルは完全にめろめろになる。


「ふん、下賎は下賎同士ね。お似合いだこと」

 ――生憎とナシアとのそんな楽しい世界は、意地悪な声に壊されてしまったが。


「……ご健勝の由、お慶び申し上げます、セルナディア殿下……」

 ナシアと二人眉を寄せてから、フィルは嫌々その方向を向く。そして、無視されるとわかっていながら、それでも声の主に礼をとった。

「ふん」

 視線の先、薄い金髪と赤の瞳を持つ美少女は、フィルの挨拶を侮蔑を隠さずに、だが満足そうに聞いた挙げ句、鼻で笑ってやっぱり無視した。

(……エド、他はともかく清純ってこういう人には使わない気がするんだけど?)

 セルナディアのことを『小柄で童顔で清純そう。なのに、スタイルが良くて色気がある。しかもお姫さま!』と言っていた同期を思い出し、フィルは口の両端を下げた。

 彼の幼馴染であるカイトが彼を、『性善説な上に、女はみんな可愛くて可憐な生き物だと思ってる。性質の悪いのに騙されるタイプだ』と評していたが、正しい気がしてくる。


 セルナディアがフィルたちの背後へと視線を移した。

「アレクサンダー」

 別人のような愛らしく甘い声に、フィルはナシアと顔を見合わせた。アレックスが彼女に礼をとる隙に、顔を寄せて声を潜める。

「ナシア、まだ嫌がらせされてる?」

「ううん、最近は。例の件でお姉さまの周囲から人も減ったし」

「減っ……やっぱりそうなんだ……」

 反乱制圧のための遠征の時、アレックスが話してくれたのだ。ハフトリー辺境伯がフェルドリックの代わりにセルナディアに王位を謀っていたことが明らかになって、王宮の権力図は大きく変わるだろう、と。反乱に関わりがあろうとなかろうと、第二夫人もその娘も力を減じることになる、とも。

 実際、巻き添えを恐れた貴族たちは、一部を除いてこぞって彼女とその母から距離を取ったらしい。その影響がナシアの周りにも出ているということになる。

(……怖い世界だ)

 今、セルナディアはアレックスの型どおりの挨拶をやはり満足そうに、そしてどこか嬉しそうに聞いている。それを見ながら、彼女も寂しいのかもしれない、と思った。苦手だし、嫌いと言えばやっぱり嫌いだけど。

「それに、フィルのことをあんなふうに言う人たちになんて、負けていられないもの。ちゃんと立ち向かうようにしたら、たくさんの人が助けてくれるようにもなったし」

「ナシア……」

 感動したのも束の間、はにかんで「お兄さまもたくさん庇ってくださるの」と続けた少女にフィルは戦慄する。勢い込んで「あれには気をつけた方が!」と言おうと口を開き……固まった。

「……」

 視界に、アレックスの腕を取って引き寄せているセルナディアの姿が映っている。

「フィル……」

 同じことに気付いてか、心配そうに自分を見上げてきたナシアに、フィルは引きつった笑みを返した。狭量だとは思うが、心中、先ほどの同情を後悔する気持ちが渦巻いている。


 そう、ナシアはフィルがアレックスを好きだということを知っている。彼女曰く、『そういう視線』でアレックスを見ているのだそうだ。

 十二歳の少女にすぐばれた自分を情けないと言うべきか、彼女をすごいと褒めるべきか、羞恥の中で随分悩んだものだったが、今の問題はそれじゃない。

「た、戦わないの?」

「ど、どうやって?」

 剣で勝負するのとは訳が違う。そもそもフィルは一般には男だと思われているわけで……。

「ど、どうやってって言われたって……ど、どうすればいいのかしら? ふ、普段はどうしているの?」

 額を寄せ合ってひそひそ話す。

「ふ、普段、は……」

「フィル」

「は、はいっ」

 アレックスに呼ばれて弾かれるように顔をあげれば、いつも通りのアレックス。

 その向こうには怒りと悔しそうな顔を隠そうともせずに、こちら、いや、むしろナシアを睨みつけるセルナディアの姿があった。

(うわ……)

 フィルは急いでナシアを自分の背後へと隠す。

「ナシュアナ殿下、まいりましょう」

 そう言って歩き出したアレックスに、ナシアの背を押しつつ慌てて続いた。


「つまり……普段からこんな感じなのね?」

「……」

 その通りだ。どうしようと考えている間にすべてアレックスが終わらせている。

(結構情けないかも……)

 フィルは両の眉尻を限界まで下げた。

 アレックスは今までのところ、ああいうお誘いをちゃんと断ってくれている。というか、断ってくれていなかったら、今頃こんなにのんきにしていられないだろう。

(アレックスが私以外の人と一緒にいたり、笑いかけたり、キスしたり、その……ああいうこと、をしたりするのは絶対に嫌だし……)

「……うぅ」

 結構情けないという言葉を訂正すべきと悟って、フィルは小さく呻いた。

 そこまで嫌だと思っていることなのに、他力本願とは『とても』情けない。


 次は戦う――でも、どうやって?

「ナシアならどうする?」

「え゛?」

 彼女にも好きな人がいる。アレックスの話をした時に、彼女は彼女でそんな話を嬉しそうに照れたように(可愛かった!)してくれたのだ。どうやら十近く年上で、デラウェール図書館で時々会えて、ものすごく美人な人らしい。

「そ、そそそそそんな状況ですらないもの。話すだけで精一杯……」

「そ、そうだよね……」

 そもそも恋敵が男女問わず次から次へと現れるような状況、普通はそんなにないはずだ。しかも、自分が男だと周囲に思われているような状況なんてもっとないだろう。

「……」

 なんだか落ち込む。


「それで……う、うまくいっているの?」

 年下の少女に照れ半分、好奇心半分という顔で問われた瞬間、一歩前を歩くアレックスに意識が向いた。なんとなく恥ずかしくなって、フィルは慌てて顔を伏せる。

 剣技大会以降、二人だけになると、アレックスはものすごく甘くなる。タンタールに行って帰ってきてからは輪を掛けて、反乱制圧の遠征後はちょっと居たたまれないくらいに。

 なお、この場合の『甘い』とは味覚などのことではない。花屋のリン曰くの、周囲を――強力であればされている本人も――赤面させ、思考力を奪う空気のことだ。剣士の敵と言っていいかもしれない。

(しかも甘いだけじゃなくて、その、色々、と……)

 そんなことを思いついた瞬間、顔に血が集まってきた。

 仕事など普段の時は以前と変わらない。なのに、部屋に入った瞬間、いつもアレックスは別人じゃないかと思うほど変わる。基本的にフィルはずっと彼の腕の中に囲われている。おかげで、せっかくアレックスにもらった自分用のソファを使うこともめっきり減ってしまった。

 そうして、抱きしめられるうちに長い口づけが始まって、その後は大抵……。気付いたら朝なんてことも珍しくない。

 そうでない時も唇やその他の部分への短いキスは当たり前。お茶を淹れている時に後ろから抱きしめて、耳やうなじにキスをしたりするのは本当にやめて欲しい。心臓に悪いし、いつか茶器を割ってしまう。チョコレートケーキを落としてしまった時は、色んな意味で半泣きになった。

 勉強している時は真剣に側に寄ってこないで欲しい。ドキドキしてしまって頭に何も入って来ないどころか、せっかく入れたものまで片っ端から抜け出ていってしまう気がする。

 しかも人が真っ赤になって、情けないぐらい動揺しているのに、アレックスは普通そうなのがなんだか……。

 以前アレックス本人に聞かれて答えたように、嫌なわけではない。でも、あれを外でやられたら間違いなく羞恥で死ねると思う。


「フィル、顔が赤いわ、目が泳いでいるわ」

(し、指摘しないで欲しい)

 フィルは自分の頬を咄嗟に押さえる。

「……キ、キスぐらいした?」

(そ、それ以上……なんて言える訳がない、それぐらいの常識なら私にだってある……)

 赤くなっているくせに微妙にうきうきしながら質問を繰り出してくるナシアを、楽しそうに過ごしてるみたいでよかったと思う一方、恥ずかしくて逃げてしまいたい、と思っているのも事実。


 ちなみに、小声でひそひそ話す二人の会話が所々、先を歩くアレックスに漏れていたこと。話の断片と二人の様子から、恋の話でナシュアナにフィルが押され気味なのを察した彼が、「十二歳以下……相変わらず先は長そうだな」とため息と共に吐き出したこと。

 ――幸か不幸かフィルは知る由もなかった。



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