10-4.希求
綺麗になった、そう思う。
(贔屓目であればいいのに……)
鍛錬場で第十七小隊長アイザックを相手に剣をふるうフィルを見つめ、アレックスは息を吐き出した。
第十七小隊は、情報を専門に扱う隊だ。任務の性質上、戦闘になる際は市街地などでの接近戦になることが多いからだろう、アイザックの得物は短刀、しかも両刀遣いだ。
忙しいために鍛錬場に現れることが少ない彼を目敏く見つけるなり、フィルはウキウキで対戦を申し込みに行ったわけだが、彼自身と彼の戦闘法の珍しさと相まって、場内にいた騎士の多くが彼らに注目している。
(問題は……)
周囲の人垣に目をやり、アレックスはため息を重ねた。
やはり『観戦中』とはとても思えない面持ちでフィルのみを見つめる騎士が、複数そこに混ざっていた。
もう結構な数の人間が彼女を女性と認識している、と確信して、アレックスは目を眇めた。
例えば、第一小隊員たちだ。もっとも彼らのフィルに対する態度に変化はまったくなく、それどころか何かとかばってくれている。感謝してもしきれない。
ヘンリックも早くに気付いていたようだったが、本人もフィルも一切気にする様子がないので問題はない。
ボルトなどグリフィス退治で一緒だった者たちは、ニッカとマリーの件もあってまず間違いなく知っているだろう。
あとは彼女と親しい同期たち。中でもカイトは、アレックスに面と向かって『俺だって、フィルと同室ならもっと早く気付いてもっと上手くやれてた』と喧嘩を売るように言ってきた。
恋敵という意味でもだが、それ以上にフィルの騎士団での立場が気になるアレックスとしては、非常にありがたくない状況になっているわけだが、救いは誰も表立ってフィルの性別に触れられないこと――。
振動を無理やり抑えられた金属が、ガギンと鈍い音を立てた。アイザックの短刀が空に舞う。
舌打ちと共に、残る一刀を彼がフィルに一閃させるも、彼女はそれを飛び後退ってよけた。
誰もが固唾を飲んで見守る中、彼女は剣を構えて薄く微笑む。
「……」
離れた場所にいるというのに、ゾワリと肌があわ立った。戦闘中に彼女が時折見せる顔だ。神経が昂ぶった時のものらしくて、本人は意識しているわけではないようなのだが、強い攻撃の意志を含んだ微笑はそれゆえ妖艶にも見える。あれに目を奪われて、負ける相手も少なくないだろう。
フィルが一気に間合いを詰めた。アイザックが残る一刀で応戦するも、両刀使いゆえのメリットは既に失われた。誰の目にも彼に勝機はないことは明らかだった。
「よし!」
衆人の注目はいつものことながらフィルの眼中に無い。「ありがとうございました」と丁寧に頭を下げると、苦笑と悔しさを半々に滲ませるアイザックを尻目に駆け出していく。
「……で、どこに行ったんだ、あいつ」
勝負を見ていた、同じ小隊に所属するオッズがアレックスに話しかけてきた。
「武器庫」
アレックスの返事に、オッズのみならず周囲にいた全員が首を捻った。
はたして、戻ってきたフィルの手には短刀が二本――。
「あたった……けど、訳わかんねえ」
「つーか、わかるアレックスも大概おかしいだろ」
顔を引きつらせる仲間たちを意にも介さず、フィルが「アレックス」とにっこりと笑いかけてきた。
「……」
目の前の彼女は、新しいおもちゃを見つけた子供のようにキラキラと目を輝かせて上機嫌。探検に入った洞窟で、魔物の卵を見つけた時のあの顔そのものだ。もちろん可愛い。
……が。
(付き合え、と……?)
周囲から同情の視線が集まる中、アレックスは天を仰ぎながら、剣を鞘から引き抜いた。
懐かれているとは、相変わらず思っている。
嬉しいことに――まあ、こうして時々微妙に思うこともあるが――フィルが何か楽しいことを見つけた時、一番に知らせるのも付き合わせるのも、必ずアレックスだ。
だが、時々不安にもなるのだ。ちゃんと彼女は自分を男だと意識してくれているのだろうか、と。
体の関係を持つようになった後も、不安になるほどフィルは変わらない。
好きだと言ってくることもないし、甘えてくることもなければ、何かをねだってくることもないし、我がままも言わない。嬉しいことがあれば抱きついてはくるが、なんというか、そこには色気も恥じらいもなく、子供そのもの。アレックスに女性が近寄ってきても、気にしているそぶりもさほどない。
思い悩んで、他の女性と親しくしているのを見せれば、嫉妬を見せてくれるかもしれないと思いついたこともあった。だが下手をしなくても、フィルなら『じゃあ、お幸せに』ぐらい言って離れていきそうな気がしなくもない。大体フィルがそうじゃなくても、そんな隙があれば、彼女を掻っ攫おうとしている男は山ほどいる。そんな賭けは危険すぎる、そう思って二秒で断念した。
だから、相変わらず『アレク』だと名乗れていない。どうしようもなく怖い。フィルにとっての自分の価値を確かめるのが。
「っ」
今度はアレックスがフィルの短刀をその手から弾き飛ばした。彼女は悔しそうな顔をしながら首を傾げる。
(……そうなるよな)
休憩がてら観戦に回ったアイザックに目を向け、唖然としている彼にアレックスは共感を覚えた。もちろんアイザックにはかなり劣るが、二本の短刀を持ったフィルの動きは驚くほど彼に似ていた。
飛ばされた短刀をじっと見ていたフィルが、「ふむ」と呟く。
「あれだ、力が足りないんだから、同じことしてても無理だ」
にこっと笑うと、その短刀を拾って、もう一度アレックスに向かって構える。
(その顔、本っ当に楽しそうだな、フィル……)
「っ!」
微妙に脱力した直後、ざっと音を立てて踏み込んできた彼女の初撃をはじく。が、体勢を整え切る前に二撃目が来た。辛うじてかわす。
(手数が増えた)
金属の交わる音が絶え間なく響き、先ほどの一戦と変わって防戦一方になる。
弧を、円を描き、舞うように彼女の身体が動く。一撃一撃は重くないのに、しなやかに急所を狙ってくる。それが優雅で、打ち合いの最中だというのについ見惚れてしまう。
――意地で勝利を収めはしたが。
当たり前だ、今日初めて握った武器を相手に、しかも好きな相手にそうそう負けてたまるか。
「……」
終了後、フィルを遠巻きに見る空気をアレックスは冷静に感じ取る。
圧倒的な才能、簡単に追随を許さない強さとそれへの執着、先日の反乱分子の掃討でも見せた大胆不敵さ――この辺が女性とばれても綺麗になっても、誰も彼女に指摘も言い寄ることもできない理由なのだろう。
「うー、悔しい……」
フィルが肩で息をしながら、袖でざっと額の汗をぬぐった。
短刀のリーチの短さを補うために、いつも以上体を動かしていたせいかもしれない。頬は桜色に上気していて瞳は気だるげ、艶めいた唇はわずかに開き、そこから乱れた吐息が響いてくる。
「っ」
――“女”の顔、だ。
「わ」
咄嗟に手にしていたタオルを彼女の頭にかけた。なんて勝手なのだろう。彼女をそうしてしまったのは自分だが、他の男にそんな顔を見せたくない。
タオルの下からフィルが目線をあげる。
「アレックス」
その美しい緑と、小さく名を呼ぶ声に一瞬で意識が奪われた。笑みを湛えるその顔から目が離せなくなる。人目も憚らず抱き寄せて口付けたい、そんな衝動が湧き起こる。
「ぅわっ」
それを抑えるために、彼女の頭上のタオルをふざけたようにわしゃわしゃと動かし、彼女の髪をボサボサに乱す。
(誰もが目を背けるような容姿であってくれれば良かったのに。それでも俺はフィルがフィルなら、絶対に惚れていたのに……)
そんなことを考えながら。
だから、今晩も彼女を腕の中に閉じ込める。
抱きしめると、赤くなりながらも抱き返してくるのが嬉しい。口づけの後に目を合わせると、『もっと』と訴えかけるように潤んだ眼を向けてくるのに歓喜する。
全身をまさぐる指に応えて呼吸を乱す様に原始的な欲求を掻き立てられる。自分のものだと示したくてつける赤い花びらが、その白い肌に残っていく様に安堵する。自分の欲望を受け入れ、なおかつそれに答えるように動くようになってきたその身体に至福を覚える。
「アレ、ク、ス……」
達する瞬間に自分の名を呼ぶ、その声がいつも泣きたくなるほどの幸福を運んでくる。縋るように伸ばされるその腕がどうしようもなく愛しい。
フィル、俺が君のただ一人なんだ、そう認めて。体を手に入れただけじゃ足りない、もっと俺に溺れて。もっと俺が欲しいと、俺無しではいられないと、そう言って……――。




