10-3.ヘンリック観察記5
絶対に進んでいる――そうヘンリックは確信している。
「あ、フィルとアレクサンダーさま」
隣のメアリーの目が輝いた。視線を辿れば、アレックスと話をしながら、夕方の街を歩くフィルの姿。その横顔は幸せそうで、しかもすっかり……。
「ああやって見ると、本当に女の子なのよね」
ヘンリックと同じ感想を持ったメアリーが、続いて「一緒にいると男の子にしか思えないのに不思議」と首を傾げた。
そう、ついこの間、メアリーはフィルの本当の性別を知った。ヘンリックがフィルを連れて、メアリーの家に遊びに行った時のことだ。
『服を調整してあげるわ、女の人にはその制服は着辛いでしょう』
仕立て屋さんをしているメアリーのお母さんがフィルを見て、微笑みながらそう言ったせいだ。
実は知っていたとうっかり漏らしてしまったヘンリックは、『隠していたのね!?』とメアリーに問い詰められて大変だったが、そんなメアリーもかわいかった。
当のフィルは、『なんとなくヘンリックは知っている気がしていた』とあっさり言って終わり。さすが親友。
「なんで母さんにはわかったのかしら?」
ちなみに、不思議そうに小首を傾げている今のメアリーの表情も文句のつけようがない。
ヘンリックは親友フィルのことも憧れのアレックスのこともつい忘れて、彼女に見惚れる。問題はないはずだ、困っているならともかく、あっちはあっちで幸せそうなんだから。
メアリーの手を引き寄せようとして、だが、そこはさすがメアリー。視線を二人から離さないまま、ぺしっとその手をはたき落とした。
(デート中に横の僕、いや俺の存在を忘れた上にこれ――今日も安定で容赦がないね、メアリー……)
関係を変えたいなら、まず一人称からを変えろとのカイトのアドバイスに従おうと努力中のヘンリックは肩を落とし、二重にひどくない?と内心で零す。
「前から思ってたけど、アレクサンダーさま、」
「アレックスでいいって本人が言ってたのに……」
「だけど、そう呼びたいの!」
「……」
(そりゃ俺も同じことを考えたけど、メアリーがそうするのはちょっと……)
微妙にむくれるも、二人の観察に余念がないメアリーはやっぱり気づかず、うっとりと息を吐いた。三重にひどい。
「アレクサンダーさまはフィルのこと、好きで好きで仕方ないのね……」
「っ、ちょ、ちょっと待って。そりゃあ、憧れる気持ちはわからないでもないけど」
メアリーの頬が赤く染まっていることに気付いて、ヘンリックは慌てた。
フィルと一緒にいるアレックスは目の毒――ヘンリックも確かにそう思っている。
彼は相変わらずフィルにベタベタしたりしないけど、向ける目線は男でさえ赤面しそうに色っぽいし、話す時の表情も彼女に対してだけ特別に柔らかい。ふとした瞬間の距離の近さも、いやらしい感じはしないのに、なぜかドキッとする。
今だってそうだ、フィルがアレックスを見ていない時だって、彼は熱を隠そうともしないでフィルを見ている。
そのせいだろう、メアリーだけじゃない、周りを見渡せば、たくさんの女性が彼に気を取られていて……、
(っ! お、男もだ……)
犯罪というよりもはや公害ではないか、とヘンリックは顔を引きつらせる。
「メ、メアリー、アレックスのあれは、フィルにこそ向けられるもので……」
(ああ、アレックス、憧れだけど、今ちょっと恨んだ。そんなふうに色気を流して、人の恋人(予定。近日中……)を誘惑しないで欲しい)
「知ってるわよ、そんなこと」
だが、そんなヘンリックに、メアリーは冷たい視線を向けてきた。ひどいのも四重――もっともそんな顔も可愛い。
「さすがフィル、男の子同士だと思っていた時も絵になると思ってたけど、こうして見ても様になってる。やっぱり最高に素敵、どっちもいけるなんて」
そう頬を染めて恥らいながらメアリーは呟く。
(ああ、壮絶にかわいい……けど、おのれ、やはりフィルか、フィルが好みなのか……)
今度ははっきり親友を睨んだ。
(あ)
風で乱れたフィルの髪を、アレックスが優しい仕草で整えて、何気なく彼女の頬と唇に指で触れた。
(……あれ、甘いだけ、じゃない)
そう確信すると、自分の頬も染まっていくのがわかった。鈍いフィルは気付いていないようだけど、あれはそういう意図のある仕草だ。
禁欲中の青少年には刺激が強くて、ヘンリックはてれを隠そうと、額に手をやる。
そう、あの二人は既にそういう関係だと思う。
いつぐらいからか? 多分、タンタールに魔物退治に行って帰ってきたあたり。ひょっとしたらその最中。
確信したのはチラパ峠だ。
シャダ兵を含む反乱軍との戦闘の勝敗が決した朝、アレックスは再会したフィルをひたむきに抱きしめた後、存在を確認するかのように、何度も何度も口づけを落とした。いくら砂埃と混乱と勝利で沸き返っていたとはいえ、周囲にはあれほど人がいたというのに。
(あれも刺激が強かった……。勘弁してよ、アレックスーって、結構切実に思ったんだっけ……)
「な、なんか……違う、わよね」
「え? ああ、そう、だね」
そういうことに興味はありそうで、結構な耳年増な癖に奥手なメアリーが頬を染めたのを見て、ヘンリックは目をみはった。
「……多分もうそういう関係だし」
「え」
チャンスだと悟って平静な顔を作り、なんでもないことのように口にすれば、メアリーが唖然としてこっちを見てきた。目が合うなり耳、首、指の先へと赤みが広がっていく。
ダキシメタイ――。
衝動を実行に移そうとして、かろうじで踏みとどまった。
いつもそうしてしまって、冷たくあしらわれて終わりなのだ。いい加減進歩しないと――。
「この間の遠征で反乱分子の侯爵を捕らえた後、」
「……チラパ峠、の話?」
瞬時にメアリーの顔が曇った。
遠征前、死ぬかもしれないと思ってメアリーに告白しに行ったヘンリックは、フィルの予想通り彼女に怒られた。
『縁起でもないことしないでよっ、ヘンリックの馬鹿っ。そういうことはちゃんと帰って来てからするものでしょうっ』
泣きながらそうメアリーに言われて、返す言葉が見つからなかった。その時はメアリーが大人しく抱きしめられてくれたから余計に。
ところが、死にそうな思いをしたその遠征から戻って、真っ先にメアリーを訪ねた時は普通。告白し直したのに、はいはいって感じでいつものようにあっさり流されてしまった。
自棄になって、その夜はフィルを付き合わせて酒場で酔い潰れ、彼女に担がれて宿舎の自室に戻った。ベッドに押し込まれてなおウダウダ言っていたヘンリックの愚痴を、フィルはヘンリックが寝落ちするまで、横でフォトンさんと酒を飲みながらずっと聞いてくれていたらしい。
翌日ヘンリックが二日酔いだったのは仕方がないとして、フォトンさんまでそうなったのは申し訳なかった。が、もちろんフィルは平気……その辺も含めてさすが親友と言うしかない。
さらにありがたいのは、その親友の彼もだった。
それからしばらくして、彼らと一緒にメアリーとご飯を食べていて、なんとなく遠征の話になった時のことだ。
『死んでいてもまったくおかしくない状況だった』
あの作戦は今考えると確かに非常識だったと笑うヘンリックとフィルの横で、アレックスがメアリーに真剣にそう言った。
蒼褪めたメアリーに気付いて、冗談で誤魔化そうとしたヘンリックを、けれどフィルがテーブルの下で足を蹴ってきて押し留める。
『メアリーに余計な心配をさせてしまうじゃないか』
帰り道で抗議したヘンリックに、彼らは『……生きて帰ってきた今がチャンスだろう?』と苦く笑った。それに言葉を失った。
今は跡形もなくなったチラパ峠の要塞の医務室で、ロデルセンとヘンリックとで看取ったメッセン小隊長を思い出す。
奥方への彼の遺言は『愛している』。それだけかと戸惑った自分達に、途切れがちな息のまま彼は笑った。『それで十分だ。伝えるべきことはすべて伝えている』と。
それから、彼の奥方を思い出した。その遺言に『知っているわ、それも含めて全部』と寂しそうに微笑み、けれど、泣き崩れはしなかった。
騎士になったのは自分の選択で、そこにはいつ訪れるかわからない死が付き纏う。騎士であるということはそういうことだ。
遠征の前に『無事に帰ったら付き合って欲しい』 そう告白したヘンリックを前に泣いたメアリー。
では、もしあの時、ヘンリックが死んでいれば……? メアリーは、叶えられなかった約束を抱えて泣き続けていたのだろうか……?
それで「今すべきことは、」と考えた。
俺は、メアリーは、伝えるべきことをお互いに伝えているだろうか? 今すべきことを、今しているだろうか? ――していない。すべきことは見えない将来を約束して、それに縋ることじゃない。悠長にしている時期はもう終わりに来ているんだ、そう思い知った。
(だから、メアリー、もう手加減する気はないんだ)
あの時こうしておけばよかった、そう考えながら死ぬのも生きるのも、生きさせるのも嫌だ。今すべきことをする――メアリー、俺はどうしても君が欲しい。君にも僕を望んでほしい。
横の彼女に視線を落とし、ヘンリックは決意を新たにする。
「すごい混乱の中ではあったけど、アレックス、見てる人がいるって気付いてたはずなのに、それでもフィルを抱きしめて何度もキスしてたから」
「っ」
「内緒だけどね」
視線を揺らすメアリーの手をもう一度取った。今度は放されなくて、思わず笑みを零す。
彼女ががちがちになっていることに気付かないふりをして、「行こうか」と歩き出した。
「ヘン、リック……」
(……いい感じだ。今メアリーは二人にあてられて、素直になっているはず)
先日のこととあわせて、フィルとアレックスに感謝する。困ったようにこっちを見ているメアリーの目が潤んでいるのも文句なし。
(今日こそいける! 今日こそこのまま……)
「あれ、ヘンリックとメアリー?」
「!」
だが、人垣越しにかけられた声に、メアリーが息をのんで手を振り払った。
「フィ、フィル……」
「メアリー? どうしたの?」
フィルは真っ直ぐこっちへ歩いてくると、メアリーを見て眉根を寄せた。
そして、右手で彼女の目じりに滲んだ涙を拭う。そりゃあもうむかつくぐらいカッコ良い仕草と表情で……。
「……泣かせたのか?」
非難を含んだきつい視線がヘンリックに向き、メアリーのフィルを見る目がまたハートになる。
「っ、馬鹿フィルっ」
「は?」
「絶交だっ」
「いきなりなんなんだ、ヘンリック」
「鈍感っ」
「いや、それはそうかもしれないけど……」
戸惑っているフィルの横で、状況を察してくれたらしいアレックスがため息をついた、それが痛い。
「あの、どうなっているのかしら?」
状況をわかっていないメアリーがアレックスに訊ねる、それが悲しい。
「うぅ」
「え、と……」
状況を少しは理解したらしいフィルが気まずそうな顔をして、顔を近づけてくる。
「ごめん、邪魔したのか?」
「……っ」
それで怒るに怒れなくなる、それがつらい。チャンスだったのにっ!
「フィル、今晩付き合えよっ」
飲み潰れてやる、と決めたヘンリックに、フィルは顔を引きつらせ、困ったようにアレックスを見た。
「悪いが、フィルは今日俺と約束している」
苦笑するアレックスに『む、やっぱり友より恋人が優先か』と思った瞬間、彼は一際艶やかに微笑んで再び口を開いた。
「――朝まで」
「「「っ」」」
同時に息を止めて真っ赤になった三人にアレックスはくすっと笑い、それからフィルの手を引いた。
「またな」
肩越しに振り返ってヘンリックに目配せを残すと、彼はぎこちないままのフィルをつれて雑踏へと紛れていく。
そしてすぐにヘンリックたちを忘れたかのように、あの目をフィルに集中させて……。
「「……っ!」」
フィルが、あのフィルが、赤くなりながらも潤んだ瞳を彼に返した。あのフィルが、だ。
「……」
意を決する。硬直したまま二人を見送っているメアリーに視線を移し、ヘンリックはその手を握った。
「っ」
触れた瞬間、メアリーがビクっと震える。嬉しかったけれど、精一杯普通の顔をした。あのフィルだって成長しているんだ、負けてなんていられない。
「近いうちにぼ……俺もああいう約束、取り付けたいんだけど」
「……」
横目でメアリーを見、少しだけ微笑めば、彼女は完全に息を止め、ガチガチに固まった。
「冗談」
メアリーがほっと息を吐いた気配がする。
「――だっていつまでも思ってないでね」
真剣に呟いて手をつないだまま歩き始める。いつもよりその距離を縮めて。
すべきことをする。もうすぐこの残りの距離もゼロにする――だから……覚悟してね、メアリー。




