10-2.想起
もうすぐフィルたち五十二期生が入団して一年になる。
初めて体験するカザレナの盛夏に、高地のザルアで育ったフィルは辟易としていた。今日の午後も薄い雲に覆われていてなお茹だるような暑さで、虫の音が喧しい。
(今日はできるだけサボる……じゃなくて、体を休ませる……!)
夏バテ気味のフィルは鍛錬場の片隅で、少しでも涼を取ろうと日陰に張り付き、ウェズと手合わせするアレックスを眺める。出身地の様式が混ざっているのか、変則的な剣術を持つウェズと、基本に則りつつ自分の特性を最大限活かすアレックスの試合は、いつ見ても面白い。
「アレックス、また伸びたな」
「頭もいいし、あの体格だ、ウェズでもうかうかしてられんだろうな」
周囲には同じ小隊の先輩達がいて、やはり二人を観察していた。
遠征後ということもあるのだろう。鍛錬場にはどこか穏やかな空気が漂っていた。もっともポトマック副団長あたりが見れば、だらけた空気と言うのだろうが。
皆がアレックスの成長について話すのを聞くともなしに聞いていたフィルは、意外な言葉を拾って目を瞬かせた。
「え……? じゃあ、ポトマック副団長って、アレックスの師匠?」
「おまえ、あれだけ剣を交えていて気付かなかったのか……?」
驚くフィルに同じ小隊のミルトさんが呆れ声を漏らし、他の仲間からも信じられないものを見る目が向けられた。
顔を引きつらせながらもつい正直に頷いてしまって、今度は皆のため息が追加される。
(え、あれ、つまり似てるってこと? そ、そういうもの?)
知らないうちにまたやらかしていたらしい――ぼそぼそと話し始めた小隊員たちを横目に、何がまずかったのかといつものごとく考え込む。
「……意識されてないのかな、アレックス」
「それはないだろ、フィルだって最近女っぽくなってきた……気がしないこともないような気がしなくもないし」
「……どっちだよ」
「なあ、あれ、付き合ってると思うか?」
「あー、こないだも話してたけど、そこは微妙じゃねえ?」
「いい感じではあるけどなあ、フィルも完全に自覚、出てきてると思うし」
「相変わらずアレックスの前以外では、色気どころかはにかみも恥じらいも皆無だけどな」
「そのアレックスの前でだけってのが重要なんじゃねえか」
「でも、アレックス、相変わらずフィルの頭しか触らんぞ」
「けど、距離は近づいてないか?」
「なあ、もういい加減本人たちに聞いてみようぜー」
「はっきりしてから、いつ付き合い始めたかを聞いて掛け金の分配をする、そういうルールだろう。今はまだ駄目だ」
「えー……」
「意識させてくっつかなくなったら、責任とれんだろうが」
「そこまでお子さまじゃ……いや、ごめん、お子さまだったな、フィル……」
「アレックスも信じられないくらい不器用だろう」
「それこそ想像したこともなかったよなあ……」
(ポトマック副団長かあ、アレックスとは体格とか違うけど、力と速さのバランスがいい守勢型……そういう意味では似てる?)
フィルは頭の中で彼の動きの再現を試みながら、その姿を鍛錬場に探した。
彼と初めて出会ったのは入団試験の、剣の実技試験の時だ。他の試験者との対戦が終わった直後に、見るからに高い地位にいるであろう、怖い顔をしたその人がフィルの相手を名乗り出てきた。
不思議で首を傾げたのも、目の前まで来たその人から滲み出る威圧的な雰囲気に顔を引きつらせたのも束の間だった。すぐにその人は剣を構えて、その迫力につられてフィルも思わず剣を構えてしまって、後はあまり覚えていない。一瞬の気も抜けなくて、やられないようにただ必死で剣を振り続けていた。めちゃくちゃ楽しかった。
入団してからその人が副騎士団長ルーク・ポトマックだと知って、ひょっとして時々爺さまがルークと呼んでいたあの人かなあと思った。確か姓もポトマック、そんなだった気がする。
すっごく頭のいい人でちゃんと考えて動くと、タイプが違ったからどうやって教えていいのかわからなかったが、良いやつで一緒にいて本当に楽しかったと、爺さまがよくご機嫌で語っていた人だ。
確か一番弟子? そうなると私の兄弟子だと思って、本人には言えないけれど、こっそりちょっと嬉しくなった。亡くなった爺さまの存在が感じられたから。
歳は五十歳くらい? 騎士団本営近くの屋敷に、感じのいい優しそうな奥さんと仲良く暮らしている。
筋肉質で、厳しい顔つきをした寡黙な人で、表情にもあまり変化が無い。怒ると静かなのに空気がびりびり震えている気がして、色んな人に怒られているフィルでさえ泣きたくなるくらい怖い。
この間砦を壊した時もそんな感じで、別の意味で怖い王太子の黒い空気と相まって、フィルは魂だけで天国の祖父母に会えるのではないかと思った。
ちなみに、そう感じるのはフィルだけではないようで、騎士団の屈強な騎士たちが最も恐れるのは彼の怒り。丸々としていて、どこかひょうきんな見た目のコレクト騎士団長のそれではない。
でも知り合ってみれば、殊更に近寄り難い訳でもないし、それどころかどこかほっとする。爺さまが彼を好きだった理由が何となくわかる。
よく見ていれば、視線もきつくない。
(その辺が確かに誰かに似ている気がするんだけど……それこそみんなが言うみたいにアレックス? でも、なんか違うし)
「太刀筋とかアレックスに似ているだろうが」
ヘルセンさんに声をかけられて、フィルは意識を仲間たちに戻した。小隊の中でも比較的良識的で、皆の歯止めになることの多い人にまでそんなに呆れられると、さすがのフィルも辛い。
ちなみに、アレックスは良識はあるけど笑い上戸だから、あまり歯止めにはならない。そうでない時はどこか遠くを見ているし。
「太刀筋……」
そう呟いてフィルは眉を寄せた。
「お前、誰と誰の太刀筋が似ているとか、気付かないのか? 例えば、カイトとエドのは、キュゼル第十八小隊長のと同じだろう」
考えたこともなかった、と目を瞬かせる。
「爺さ……ええと、私の師が勝負の時は余計なことを考えるな、先入観を持つな、と」
「じゃあ、何でお前は相手の動きを予測するんだ?」
何で、と言われても、予測、と言われても、そんな難しいこと考えたことがない、とフィルは顔の片側をしかめる。
「さあ? ええと、強いて言うなら、動く寸前にちょっと目や筋肉が動くのとか?」
微妙に首を傾げて答えたフィルに、今度は皆が顔を引きつらせた。
「野生児……」
「あれだ、本当に感性だけだ」
「本当に人なのかねえ」
「フィルに常識をあてはめようとすることがそもそも間違いなんじゃないですかね」
「……」
(……いくらなんでもひどい言われような気がする)
フィルは口の両端と眉尻を下げた。
「気をつけた方がいいんでしょうか?」
ほとんどすべての者が考慮に入れている事実と、師である祖父の言葉の矛盾。優先すべきはどちらだ?
「っと」
再び考え込もうとした瞬間に、ボスっと頭に手が置かれた。振り返って見上げた先には、無表情な、相変わらず厳ついポトマック副団長の顔がある。
「余計なことを気にするな」
そして彼はそのまま歩き去って行った。
(ええと、あれ、本当に誰かに似てる気が……)
「っ」
思い浮かんだ顔にフィルは、息を止めた。即座に否定する。
違う。あの人も無表情だけど、あんなに優しい目線で誰かを、特にフィルを見ない。
(ああ、でも……)
『おいで。同じなのに違う、そんな景色が見えるはずだから』
そう思うのも確かなのに、思い出してしまった。
いつもこんな季節だった。彼がザルアの別邸にやってきて、最初に顔を合わせる時は、いつもあんな目をしていた。肩車をしてくれた時だって……。
(ひょっとして違わない、のかな……? 最初の印象が『怖い』だったとしても、もしかして、もっと知りあっていけば、そうでないことだってありうるのだろうか、あの人も……)
そう思ってから、フィルは視線を地面に落として首を振った。
(事情が違いすぎる。あの人はそもそも私を嫌いだ)
昔からずっとそうだ。あの肩車はきっと気まぐれだった。大体私など役に立たない、要らないと、そうはっきり言った――。
その時の視線を思い出して、フィルはぎゅっと拳を握りしめる。
(でも……)
『大事に生きなさいね』
(でも、そうやってずっと避けてていいのかな……?)
先日、今にも泣きそうな空の下で、自身泣きそうな顔をしながらも微笑みかけてくれた女性の顔を思い浮かべる。
「ポトマック副団長、良い人だよな」
「ああ、怖いけどな」
「本当にな」
仲間達のその声に慌てて顔を上げ、フィルも頷いた。
見た目は怖いし、怒ると空気だけで死ねそうな気がするけど、優しい人だ。アレックスの師匠ならなおさら良い人に違いない。しかも祖父の弟子で、つまりフィルの兄弟子だ。
「フィルの場合、気にするなじゃなくて、気にできないが正しいからな」
「フィルが傷つかないように言ってくれたんだよなあ」
「……」
――特に、この第一小隊の面子と比べるとその人の良さが際立つ。
対戦を終えたアレックスが、袖で汗を乱暴に拭きながらこちらへとやってくる。そして涙目になっているフィルと周囲の仲間を見比べて、小さく眉根を寄せた。
「また遊ばれたのか」
今度はなんだ、と訊くアレックスに、オッズがフィルに代わって答える。
「フィルが変わってるって話」
「……」
微かに眉を跳ね上げたアレックスは、次に、
「それが?」
――と、素で不思議そうに。
「……」
絶句したフィルに構わず皆は爆笑して、ついにポトマック副団長の雷が落ちた。
「付き合ってないよな、あれ」
「まあなあ、いくら事実でもなあ」
「俺の五百キムリ…………」
「この一ヶ月が勝負なんだよな、頼むぞ、アレックス」
無論その怒りにもめげず、第一小隊員たちの賭けは続く。
ちなみに――。
「フィル……?」
その日の夜、当たり前のように触れてこようとしたアレックスから、フィルは音を立てて距離をとった。
「一体、どうしたんだ? 何かしたか?」
睨んで抗議してみたのに、アレックスがその原因にまったく心当たりが無い、というふうに戸惑っていたことでフィルはさらに傷ついた。
(つまり私が変なのは、アレックスの中で当たり前ということに……)
新たな発見に一人呻いている。




