【片恋】
「うし、殿下に追いついた……ってことで、今日はここで野営だ」
王都カザレナへの帰還途中、夕刻の森で今回の作戦でカイトたちを指揮した第一小隊長ウェズ・シェイアスが、騎士たちを振り返った。
「反乱が鎮まったのも諸君らの生還も喜ばしいが、かなりの戦闘になったところもあったんだ、はしゃぎすぎんなよ」
ハフトリー辺境伯の居城を制圧した後、騎士たちは四隊に分けられて、それぞれ新たに判明した反逆者たちを捕らえに向かった。カイトたちを含む三隊が対峙した相手は大きな抵抗をすることなく投降してきたが、残る一隊の行く先、クホート地方では大規模な戦闘になったという。
ウェズらしい命令に頷いた後、カイトは前方で既に野営に入っている集団へと目を凝らす。
(クホート行きの隊にはフィルがいたはず……どこだ?)
闇と炎の明かりが交錯する中に、同期のフィルの姿を探した。
「作戦だの、兵士の監督だので頭を使うより、俺、自分でテント張って飯作ってる方が性に合ってる」
「圧倒的に気楽だもんなあ……って、お前の飯、まずいけどな。タンタールの奴らの料理、上手かったなあ」
既に各地方の警護隊員・警備隊員からなる兵士たちは任を解かれ、元の仕事に戻った。仲間の騎士たちとともに自らテントの設営や夕飯の準備に入りつつ、カイトの気は急いていく。
大分南に下っているとはいえ、夜の高原の風はやはり冷たい。暖と魔物よけのために焚かれた野営の火が、小さな火の粉を夜空へと吹き上げる。
「っ、フィルっ」
「おお、カイト」
焚き木を調達しようと森に向かったカイトは、炎の明かりと森の暗がりの交差する場所に探していたフィルを見つけた。急いで駆け寄る。
「……無事そうで何より」
そのカイトの全身にさっと視線を走らせるなり、フィルは安心したように微笑んだ。背にした赤い炎を受けて、髪の端が朱金に輝いている。その顔を凝視してしまう。
(……違う)
そう確信した瞬間、頭が真っ白になった。
「カイト? どうした?」
「……あ、ああ、こっちの隊は大した戦闘にはならなかったからな」
緑色の瞳に不思議そうに見つめられて、慌てて視線を逸らした。
「あー、そっちは結構な目に遭ったって聞いた」
敵はメッセン小隊長が率いる隊が向かったクホートに集中していたという。自隊の任務が終了し、移動する最中に、彼が死亡したという知らせが来て愕然とした。
次いで、フィルたちが彼のもとに配置されたことを思い出した。あのメッセン小隊長が亡くなるような事態だ、一体何が起きているのだろう? 他の騎士は、フィルは無事なのか?と死ぬほど心配した。
「うん、死ぬかと思った」
だが、カイトのそんな事情をフィルが知るはずもない。柔らかい表情でくすっと笑う。
(願望、なんかじゃなかった……)
その顔を見つめ、カイトは夜の闇の中で立ちすくむ。
「ロデルセンなんてひどい怪我をしちゃったし。目の前の警備隊員を庇って、というのが彼らしいと言えば彼らしいけど、怒られてたよ、騎士の立場って難しいよね」
後ろから吹いて来た湿り気と冷たさを含んだ風に、金糸の横髪が舞い上がった。
「……」
それを耳の後ろに戻す白い指に目を奪われる。
(細い――男の、じゃない……)
「カイト? どうした、さっきから何かおかしいぞ?」
「っ、あー、と、また目立ち損ねたと思ってさ」
眉根を寄せ、こっちを真っ直ぐ見つめてくる視線の強さに、何とか我を取り戻した。
「うーわ、他人事だと思って……本当に大変だったのに。悪魔にまた目をつけられたし……」
むくれる、フィルには珍しい幼い表情に体の内の何かが掻き立てられた。同時に心臓がぎゅっと収縮するのがわかった。
イッタイダレノセイデ、ソンナヒョウジョウヲスルヨウニナッタ――。
「っ」
咄嗟に浮かび上がってきた黒髪の長身の男の姿に、憎悪に似た強い感情が湧きあがった。
「アレックス、たちの部隊に助けられたって」
「……うん」
掠れたカイトの声にもその理由にも気付く様子がないまま、彼『女』が顔に浮かべたのは、それこそ男では絶対にありえない類の微笑だった。
「……っ」
見蕩れてしまった次の瞬間、カイトはフィルから顔をそらした。
彼女が今誰を思い浮かべて笑ったのかわかってしまったこと、それが不幸でないのなら何を不幸と言うのだろう?
(今一番近くにいるのは俺なのに、腕を伸ばせば届く距離にいるのに、フィルには今まったく俺が見えていない――)
唇をかみしめるカイトに気づかないまま、フィルは今まで見たこともない、わずかなてれを含んだ表情で小さく頷いた。
「助けがなければ、本当にまずかったかも」
「っ」
(そんなふうに俺の前で笑うな)
他の男を想っての柔らかい表情に、凶悪な衝動に駆られる。自分へと意識を向けたくて、腕が勝手に彼女へと伸びようとする。
「おーい、フィル、カイトーっ」
「っ」
だが、明かりの方から響いたエドの声に踏みとどまった。
(……今、俺はフィルに何をしようとした? 男だろうと女だろうと、誰を好いていようと、フィルは大事な仲間だろう?)
そう思い至って、理性が戻ってきた。胸を撫で下ろす一方で、舌打ちしたくなっている自分も確かに存在している。
「よっ、エド……って、あれ、怪我してる」
「おう、名誉の負傷だ、これは。てか、飲もうぜ、ロデルセン恒例の愚痴大会、始まってるぞ」
「あー、またヘンリックに絡んでるのか?」
「おう、自分だけひどい怪我したのが情けないんだと」
「で、エドと怪我の具合を競ってたってわけか」
「俺はいいんだ、気にしてないから。てか、フィル、お前、また派手にやったんだってー? これ以上人気者になってどうする気だよ!」
フィルはからからと笑いながら、腕をぶんぶん振って出迎えるエドの方へと小走りに駆けて行く。その後ろ姿を見送って、その身を捕らえ損ねた拳をぎゅっと握り締めた。
「下手なことを考えないでもらいたい」
「っ」
暗がりから響いてきたのは、今最も神経を逆撫でする声だった。
込み上げて来る悔しさを彼――アレクサンダー・エル・フォルデリークに悟られるのだけは癪で、カイトは殊更にゆっくりと振り向く。その間に呼吸と表情を取り繕った。
視線の先には、予想通り闇に溶け込むような黒の長身。自分に向けられる青い瞳へと、カイトは皮肉に笑いかけた。顔が引きつっているという自覚はあった。
「監視してるってわけか? フィルは自分のものだ、だから近寄るな、とこうして主張するために?」
ご苦労なことだ、と吐き捨てたカイトに、アレックスは微笑を返してきた。
「……」
余裕そのものの様子に、男の目から見ても絵になる男だと再確認する。したくないとこれほど思っているのに、眉根が寄ってしまう。
しかも見た目だけじゃない。今回の遠征で奴の戦績にはまた箔が付いた。
それが運だけによるものじゃないことぐらい嫌というほど知っているし、噂と違って彼個人の性格も悪くない。
こうしてカイトと正面から向き合っている時点で、彼がカイトのフィルへの感情に気付いていないはずはない。さっきの嫌みに怒る権利もある。なのに、彼は決して感情的にはならないし、周囲を巻き込むような、あからさまな牽制などは絶対にしてこない。
理解しているのだ、それがフィルのためだけじゃなくて、カイトや仲間たちのことを考えてのことだと。
「……」
そうわかってしまうほど彼と付き合いのあったこの一年の記憶が、ひどく疎ましくなった。口内に苦味が広がる。
「……あんたがフィルに近づけたのは、偶々じゃないか」
アレックスのすべてが、自分に対するあてつけにしか思えない。今、闇の中にたたずんでいる彼の表情も余裕そのものに見えて、さらに癇に障る。
「俺だって、」
負け惜しみのような台詞が口を突いて出てしまう。自分を惨めにするだけだとわかっているのに。
「俺だってフィルと同室だったら、相方だったら、フィルが女だってもっと早く気付いてた」
(そうだ、奴と同じ立場だったら、俺だってもっと上手くやれてたはずだ。最初からフィルが女だと知っていれば、少なくともこいつと同じ位置に立ててたはずなんだ。そうしたら、今フィルの微笑を受けていたのはこいつじゃなくて……)
「……」
続いた沈黙の中に、炎を囲む仲間たちの喧騒が遠く響く。それが近くないことをひどく口惜しく思った。
今彼を見てしまえば、殴りかかってしまいそうな気がして、カイトは歪んでしまっているだろう顔を伏せる。
「俺は……フィルがフィルならそれでかまわないんだ」
「っ」
思わず落としていた視線を上げた。
「……」
再度交わった青い瞳には、カイトへの蔑みも優越感も何一つなかった。ただ自嘲にも見える笑みだけを浮かべて、彼は口を開く。
「男だと思っていた時から、それでも構わないと思っていた」
(……男、だと思っていた時、から……?)
言葉を咀嚼するのに時間がかかった。
遠い灯火に顔の左半分を赤く染め、真剣にこちらを見つめてくる瞳は、まっすぐでひどく強い。
そのせいなのか、それとも彼の先ほどの言葉を理解したくないという拒絶ゆえなのか、息が詰まっていく。
「……」
長身が無言のまま、ゆっくり踵を返して遠ざかる。
それをただ見送った。
「……な、んだよ、それ……」
任務終了に浮き立つ仲間たちの声が響いてくる。
そこから離れた静寂の中に一人佇んだまま顔を歪め、カイトは右手で自分の前髪をくしゃりとつかむ。
ひどく息苦しい。
「っ」
呼吸を取り戻そうとぎゅっと閉じた目蓋の裏に浮かぶのは、それなのに――。
「……フィル」
彼女のはにかんだように笑う顔と、離れた場所にいるアレックスを見つめる時の、真剣なのにどこか柔らかい横顔だ。
彼女のあの顔は俺には向けられない、そう知ってしまっているからこそ余計苦しい。
「……ちくしょう、なんでよりによってあいつなんだよ……」
『フィルがフィルならそれでかまわない』
(俺は多分あいつには敵わない――)
そうはっきり知ってしまったからこそ救いが見えない。
彼女を今包んでいる明かりと賑わい、自分がいる場所を包む闇と静寂――近くて遠い、その距離がひどく疎ましい。




