9-10.終と緒
フェルドリックが向かった地域では、国軍が反逆者の私軍と刃を交えるまでもなく、決着がついた。
王太子による救済が間近に迫っていると知らされた領民たちが熱狂のまま領主の館に詰めかけ、自ら領主を討ったためだ。
歓呼に迎えられて、その地に足を踏み入れたフェルドリックは、叛乱に関わる金銭を握るのがギフゾ・モーガンだと気付くなり、ポトマックや他の騎士数名を伴って、クホート地方デアンに馬を走らせる。
途中、モーガンの制圧に向かった部隊が苦境に陥っていること、それゆえモーガンを取り逃がしそうな状況になっていることを知り、休息もまともに取らずに辿り着いた先のチラパ峠――。
そこで目にしたのは、瓦礫と化した砦の名残と、使い物にならなくなったシャダ王国と自国カザックを結ぶ峠道。その前で勝利に浮かれる自軍。そして、自分と目が合って気まずそうな顔をしたアレックスと、未だ収まらない砂埃の中、自分を見つけてこそこそと逃げ出そうとするフィルの後ろ姿だった。
事情聴取のために、砦で防衛(より正確には破壊だが……)にあたった騎士たちを呼び出し、その面子に愕然とした。死亡したメッセンの他は、問題児(に決まっている)のフィルとその同期二人のみ。
よく生きていた、よく持ち堪えた、と思う一方で、躊躇の形跡ゼロで破壊されつくした砦と峠道を思うと、褒める気にはなれない。
おそらくメッセンの案だろうと推測はついたし、砦の建て替え案が出ているのも事実。だが、そのメッセンがいないのに普通実行するか? と思ったのもまた事実。
そんな所に、フィルがアルの孫である決定的な証拠を見つけた気がした。祖父が何度も「アルのしでかすことな……毎回毎回毎回、後始末が大変で……。しかもあいつ、やると決めたら加減しないんだ……」と愚痴っていたな、と。
アルとフィルの相似点はまだあった。問い詰められているのに、フィルは顔を引きつらせながらも反省の色を欠片も見せない。『こいつは絶対に野放しにしては駄目だ』と確信する。
ついでに先日命を救われた借りを帳消しにしよう、と考えて、フェルドリックはフィルに釘を刺しまくった。アレックスが余計なことにフィルを庇いなどしなければ、もっと徹底的にやってやったのに。
ちなみに、そのフィルは先日ハフトリーの居城でフェルドリックを救ったことすら忘れていたようだ。相変わらず馬鹿みたいにお人よしで、呆れるよりほかない。
* * *
「アレクサンダー・エル・フォルデリークです」
今晩の護衛はアレックスらしい。
「入れ」
兵士のものより一回り大きいだけのフェルドリックのテントには、彼らのと同様に寝台もなければ椅子もない。ただ寝袋と下に引く薄手の敷布、テーブル代わりに使う備品入れがあるだけだ。
祖父はそういう贅沢を嫌う人だったからそれが受け継がれているのだろうし、合理的だとも思うのだが、体が痛むのも確か。
「ちっ、今晩ぐらいは砦のベッドで寝られると思ったのに、馬鹿フィルのせいで」
と愚痴ると、入り口をくぐったアレックスが小さく笑った。
その顔を半眼で見、フェルドリックは備品入れの箱の上にあったサンドイッチをアレックスへと放り投げる。
「どうせフィルといちゃつくのに忙しくて、夕飯も食べてないんだろう?」
「……」
赤くなったと指摘するのも馬鹿馬鹿しいので、そこは無視することにする。本当にこいつがあのアレックスなのだろうか、と考えるのももうやめることにした。
同じ箱の上においてあった酒のボトルを手に取り、コルクを瓶から引き抜いて、二つのグラスに注ぐ。トクトクと音が立ち、独特の香りが鼻腔をついた。
「……仕事中だ」
「この程度じゃ何ともないだろう? 期待通りに生きてやることにしたんだ、自棄酒にぐらい付き合え」
アレックスにグラスを押し付け、二人無言で酒を飲む。
天幕越しに、兵士たちの浮かれ騒ぐ声が聞こえてくる。楽しそうな声にほっとする一方で、どうしようもない距離を感じる。自分は一生ああいう輪の中には入っていけない。
「……覚悟がついたか」
アレックスがグラスから口を離した。
「ムカつく」
睨んでみせたのに、半年だけ年下の従弟は肩を竦めただけで、気にしている様子はない。それで逆に救われた気がして、フェルドリックは息を吐き出す。
「……むしろ諦めというべきかもね」
権力抗争の最中にあって、フェルドリックは生まれてこの方、立場のみならず生死さえ危うい状況の中で生きてきた。
ろくに時間を共有することのなかった姉は、実際にそれに巻き込まれて死んだと聞いている。
王位の継承を周囲に疑われるまでに疎遠だった父と母。
対照的に可愛がってくれた祖父とフィルの祖父であるアル。そして、陰に陽に擁護してくれたアレックスの両親とフィルの父。
それらの理由も今では理解している。皆僕が彼女のようになることを恐れたのだ、と。
「それ以外の生き方なんて結局考えつかなかったんだ。仕方ないだろ」
フェルドリック個人を守るために、彼らはフェルドリックを王都、特に現体制を良く思わない貴族たちから遠ざけ、湖西地方の離宮に隠居していた祖父――国民を貧窮に追い込んで虐げた旧王朝を、電撃的に滅ぼして新しい王朝を樹立した、カザックの建国王のもとにやった。
祖父は、国民から心酔ともいうべき崇拝を受けている人だったが、幼いうちに王都を追放されたこと、旧王朝との内戦を平民出の英雄アル・ド・ザルアナックなどと共に潜り抜けたことなどで、ひどく気さくな人でもあった。離宮にはそんな祖父を慕う一般の国民が気軽に出入りしていて、幼いフェルドリックは貴族たちより、爵位などを持たない彼らを身近に育った。
祖父に対する彼らの敬慕は、そのままフェルドリックにも向けられた。
無邪気に愛情と信頼を寄せてくる彼らを裏切ったら悪い気がして、フェルドリックは早々に『良い王子さま』を演じるようになる。
内心で馬鹿馬鹿しいと白けていたが、そんなフェルドリックの態度を受けて素直に喜ぶ彼らと、その彼らを見て祖父が幸せそうに微笑むことに気付いたら、やめることもできなくなった。
自分の身を守るべく、城で仮面をかぶって貴族たちを騙している時は感じない良心の呵責を感じ、嘘だらけの自分をどうしようもない人間だと感じるようになった。
そんな人間だとばれてがっかりさせるのが怖くて、人知れず努力も重ねた。結果を人並外れて出せたことで、講師などからも絶賛されるようになったが、褒められれば褒められるほど、どうしようもなく白けていった。
ムカつくが、そんなフェルドリックを「胡散臭い」と警戒するフィルは正しい。動物的で勘の働く彼女は、フェルドリックが外側を取り繕っているだけの、歪で醜い存在だと嗅ぎ取ったのだろう。
他の大半の人間はそうではなかった。フェルドリックを理想の王太子だとみなすようになり、そう噂した。新王朝で力をつけてきた国民、特に商人たちをはじめとする人々の支持の力は、貴族たちのものと遜色なくなっていく。
父母や伯父のフォルデリーク公爵、彼らの幼馴染のザルアナック伯爵も彼らの思惑に乗り、フェルドリックを王太子として、なるべく多くの者たちに認知・支持させようと画策した。同時に影で反対勢力の力を徹底して削いでいく。
すべてはフェルドリックの立場を揺るぎないものにし、身の安全を確保するためだったと理解している。
そんな中でフェルドリックが孤独とプレッシャーでつぶれないように、また将来のためにと連れてこられたのが、アレックスとフィルだ。今ではそれも理解している。
「そう育てられた、か。悪意であれば無視もできる。が、愛情ゆえに、となると、押しつけがましいと思っても無視できない、はねつけられない……」
フェルドリックの心情を正確に読み取って言葉にし、アレックスはまた酒を口に含む。
「愛情ってのは呪いと本質的に同じ、いや、もっと性質が悪いんじゃないかと真剣に思うよ」
なんだかおもしろくなくて、ぶすくれて酒を呷れば、彼は苦笑を零した。
どこから紛れ込んだのか、テント内に入り込んだ羽虫がテーブルの上のランプに飛び込んで、ジジッと音が立った。
「……そんなところまで計算してそうだな、うちの祖父の場合」
そう、すべては彼の、皆の思惑通り。
思惑通りフェルドリックは、王に要求されるだろう学問をそつなく修めた。現実にそれを活かせることも既に証明しつつある。
思惑通りフェルドリックは、国民から人気を得、勢力を増してきた商人たちからの高い支持も受けている。
当初の期待とは違った形になったのだろうが、思惑通りアレックスもフィルもフェルドリックの側に来ている。
この二十年で古い貴族の象徴だったロンデール家も第二夫人の実家も、フォルデリーク家やザルアナック家を筆頭とする新勢力にやられて衰退を見せている。
何より腹立たしいのは、自分を信頼し、笑顔を向けてくる人々を大事にしなくては、と思ってしまうフェルドリック自身だ。
叛乱を起こすための資金作りだったのだろう、ハフトリーたちは領民から厳しい搾取を行っていた。
その人たちがハフトリーの居城へと兵を動かすフェルドリックを見て、泣きながら喜んだこと。老婆が「建国王さまのお孫さまなら大丈夫」と孫らしき子供に言い聞かせているのを聞いたこと。粗末な身なりの小さな子供が、道端で摘んだ花をおずおずと差し出してきたこと。受け取ってお礼を言ったら、心底嬉しそうに笑ったこと。
王太子が来るなら、と人々が今まで怯えていた領主相手に武器を手にしたこと。少し待てば傷つかずに済んだのに、自ら戦い、実際に勝ったこと。それを誇らしげに報告してきたこと。
彼らはフェルドリックのことを何も知らない。見せかけを整えているだけで、どろどろした鬱屈だけが詰まった、どうしようもなく空っぽな人間だということも、そんな自分を信じてしまう彼らを馬鹿みたいだと嘲笑う性根の主だということも。
いっそ哀れになるくらい単純でめでたいと思っているのに、その彼らの期待を、信頼を裏切れなくなってしまっている――。
「もういい。悪あがきしたって面倒なことになるだけだ。なんっにも考えてないフィルを見ていたら、考えている自分が馬鹿にしか思えなくなってきたし」
「まあ、確かにまたとないチャンスだが……そこでフィルを引き合いに出す必要、あるか?」
「あるさ。そう育つよう仕向けられたって言うなら、あいつだって同じだ。なのに、あいつは爺さんたちが自分たちを引き合わせたのが、将来婚約させるためだったなんて絶対に気付いていない。誰かを守るために強さを用いるように、アルの思惑通りに育てられたことだって、『まあ、実際守れるし』程度で絶対気にしないだろ」
顔の片側を器用にしかめたアレックスに、肩をすくめて返した。
(それに……)
『皆も幸せにできて、自分も幸せになれる』
――あんな小さな子が諦めていないんだ、逃げ出したらいい加減カッコ悪すぎる。
明確な覚悟を見せた、隣国の幼い王女を思い出して息を吐き出せば、手のひらで温められたグラスの中から酒の匂いが立ち上った。
「第二夫人の兄、間抜けだからね。今回の件で煽りを食らわせて失脚させてやる。――このまま進むと決めた以上、誰にも邪魔させない」
「彼女も娘のセルナディアも大きな顔ができなくなるな」
「散々好きにやってくれたんだ、いずれ王宮からも叩き出してやる。……そうなるとセルナディアは余計君に付きまとうかもしれないけどね」
人の悪い笑みを浮かべ、「自分が君に降嫁することで候爵位ぐらい何とかならないかと真剣に考えているようだよ」と教えてやると、アレックスはうんざりしたような顔を見せた。
それから彼は視線を下に落とした。
「ロンデールは難しいだろうな」
「今回の件に関わっているかいないか……いずれにせよ、あそこは絶対に尻尾をつかませないだろう。旧王朝をずっと操ってきた奴らだ、他とは格が違う」
「……」
アレックスが眉間に深い皺を寄せた。
「『何らかの理由をつけて公爵を引退させて、アンドリュー・バロック・ロンデールに跡を継がせるのが最良の選択』――そう考えただろう、アレックス?」
同じことをフェルドリックも考えた。現公爵とその息子のアンドリュー・バロック・ロンデールは、決定的に性質が違う。
「だけどその為には、彼の後ろ盾になりうるこちら側の有力な貴族との婚姻が必要となる」
アレックスの目つきが尖った。恐ろしく冷たい空気を向けてきたが、フェルドリックとて慣れたものだ。
「その為に手っ取り早いのがいるんだけど」
アレックスの顔から、気安さと親しみが消えた。
「“彼女”は俺のものだ」
静かなテントの内に響いたのは、何かを押し殺したような声だった。
「……」
フィルのことにだけ、アレックスはこうしてペースを乱す――改めて確認して、フェルドリックは口を尖らせた。
となると、ますますフィルをロンデールにくれてやる訳にはいかなくなった。みすみすやってしまえばアレックスがどう出るか、フェルドリックにすら予測がつかない。
「誰もフィルのことだなんて言ってない」
悪びれなくそう言って、手中の酒をぐいっと飲みほした。内心で『ちっ、やっぱり駄目か』と思ったが、それは秘密にしておく。
(まあいい。あいつはあいつで監視さえ怠らなければ使えるだろう。一応あの祖父、祖母の孫で、あの父の子だ)
空になったグラスをテーブル代わりにしている箱の上へと戻す。
グラスの壁面から、そこに残ったアルコールが奇妙な模様を描いて蒸発していく。
その様をしばらく見つめてから、フェルドリックは再び口を開いた。
「僕が縛られる覚悟をしたんだ。従弟の君も当然道連れ。絶対に手放してやらない」
アレックスの顔が引きつったけれど、知った話じゃない。
「心配しなくったって、フィルも巻き込んでやるから…………気の毒そうな顔したの、どういう意味?」
思わず睨めば、アレックスは溜め息を吐き出した。
「せめてもう少し手加減してやってくれないか」
「甘いね、あいつにはあれぐらいでちょうどいいんだ。あれだけ図太いんだよ?」
アレックスが天を仰いで遠い目をして祈ったのが、フィルへの慰めだったことは当然聞かなかったことにする。




