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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第9章 ハフトリー叛乱
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9-7.交戦

(夜明けがくる)

 月はまだ中空に漂っているけれど、空がほんの少しだけ明るくなった気がする。

 フィルは砂礫とほこりにまみれた顔を東に向け、目を眇めた。


 砦にいた国境警備隊員のうち、工兵が老練と言える人たちだったことは、本当に幸運なことだった。

「そりゃできなくはないと聞いとるが……本気でやるのかね?」

「だって、それしか手、ないですし」

 彼らに露骨に戸惑われつつも力を借り、夜陰に乗じて必要な細工を施した後、フィルはロデルセンと共に要塞の背後、峠側の裏門前に向かった。

(心を水鏡のように平らに。体に気力を、髪の先々まで、指の端々にまで行き渡らせる――)

 歩きながら、祖父に教えてもらった、戦闘に入る前の儀式の言葉を胸に深呼吸する。


 行く手にはヘンリックが兵士たちを集めてくれていた。

 揺らぐ篝火に照らされ、赤と影の黒に染まった彼らの顔には、不安と不信が浮かんでいる。今からそれを払しょくしなくてはならない。

(心臓が口から飛び出そうって、きっとこういうことだな)

 心臓が痛い。ものすごく怖い。でも――一歩も退けない。

 フィルは左手で腰に刺した剣の柄をぐっと握りしめる。

 『やるべきこと』をして、この国を、自分を含めたここに住む人たちを守らなくてはいけない。大事な人に会わなくてはいけない、会わせてあげなくてはいけない――。


 まずいと思う時は、いつもそうしてきたように、脳裏に大事な人たちの顔と彼らのくれた言葉を浮かべる。

『何かを守ろうとする心というのは強靭なのだよ。そして、思いもかけない力を生む』

『何かを守れるってすごい力だよね』

『フィルのその力は誰かを守るためだろう?』

(大丈夫。私はどこまでも強くなれる――)


「これより反乱軍のせん滅及び敵将ギフゾ・モーガンの拘束にかかる」

 フィルは意識して背筋を凛と伸ばし、皆に語りかける。兵士たちが動揺に視線を揺らした。

「諸君らが見ての通り、敵は我等の四倍。状況は不利だが、」

(事実は認める、その上で……)

「ここから退くことは許されない。しくじれば、彼らは外国の、シャダの力を借り、この国を乱しにくる」

 兵士たち一人一人の顔を見渡し、落ち着いた声音で断言した。


 夜が明ける寸前の冷たい風が、山から吹き降りてきて、髪を撫でていく。

 その音に乗じて皆に気付かれないように、フィルは口内に溜まった唾液を飲み込んだ。


「けど、問題なのは実は国じゃない」

 硬い口調を敢えて砕いたせいだろう、兵士たちが戸惑うのが見てとれた。

「国が乱れれば、大切な人たちが、特に力ない人たちが理不尽に苦しむことになる、」

 死ぬかもしれない。泣くかもしれない――そんなことはさせたくない。

「私はそれを防ぎたい」

 ここは祖父たちが、より多くの人々の幸せを祈って作った場所だ。この先もフィル自身幸せでいたいし、他の人にもそうあってほしい。

「賭けるのは私の、そしてあなたたちの命だ。だが、それも愛する人、愛することになる人のためだとしたら、十分価値があると思わないか?」

 そのために強くなろうとしているんだから、とフィルはじっと一人一人を見つめた。

 思い描いてほしい、誰か大事な人を。それでその人のために戦うと、そして勝って生き延びると、そう思って欲しい。

 でなければ、きっと勝てない。弱気な訳じゃない、それぐらいの状況だ。


 ゆっくりと頭上に剣を掲げる。緊張で柄を握る手には汗が滲んでいて、取り落としてしまうのではないかとドキドキした。

 それでも声が震えてしまわないように細心の注意を払う。

「大事な者との幸福な未来のために」

 祈るような気持ちで剣を握るフィルに、青い顔をしている兵たちが少しずつ応じてくれた。それが最後の一人にまで広がって、眼前に刃の銀の林が生まれた。

 どこからともなく「絶対に勝ってやる……っ」と声が上がった。続いて「俺、赤ん坊の顔、まだ見てないんだ、シャダなんかにやられてたまるか」「俺の嫁、シャダから逃げてきたやつなんだ、あんなひでぇ国に好きにさせたりしない」などと聞こえてきた。

(いける、勝てる――)

 そう確信して、深呼吸の後、声を張り上げる。

「――我らがカザック王国に勝利を!」

 呼びかけに高揚を含んだ喚声が応じた。

(大丈夫、なんとかなる、なんとかしてみせる。だから――アレックス、また後でね)

「派手にやってやろう。私たちが勝てないわけはない」

 自信満々に見えるように呟いて、「だから一人も死ぬな」と笑えば、兵士たちの顔にも硬いながら笑みが浮かんだ。

 苦笑を漏らしたヘンリックとロデルセンに合図を送って、一斉に動き出す。


 そうして新人三人が決定した作戦は、夜明けを前に実行に移された。



 * * *



「……遅かったか」

 ヘンリックの相方でもあるフォトンの口から悲痛な呟きが漏れた。

 強行に軍を進めてチラパ峠をようやく視界に入れたアレックスたちが目にしたのは、陥落したと思しき砦に、勝利の雄叫びと共に雪崩れ込む敵軍の姿だった。

「……」

 全身から血の気が引き、指先が震え出す。


「アレックス、まだだ、まだ全滅していない」

「っ」

 ヘルセンの言い聞かせるような声に正気を取り戻し、アレックスは背後からの攻撃を指示するために口を開く。

「――待て」

 だが、違和感を覚えて、動き出そうとしていた仲間の騎士たちを咄嗟に制止した。

「アレックス?」

「フォルデリーク、のんびり様子見をしている場合では……」

 自身の焦りと周囲から注ぐ疑念を、無理やり意識の外に追いやる。


(何かが確かにおかしい、確実にフィルに辿り着くために、見逃してはならないほどの何かが――)

「……」

 意気揚々と砦に入っていく敵軍を眉を逆立てて睨みつつ、仮にメッセンが無事でないとして、とより悪い状況のシナリオを考えた。

(その場合、指揮は恐らくフィルだ。作戦を立てるのはロデルセンだろうが、性格の向き不向きを考えれば、彼女の方が味方の士気をうまく揚げられる。敵を逃がせないことを考えれば、抜かりのないヘンリックはその後方、ロデルセンはそのさらに後方にいる……)

 引っかかるのは、敵の消耗の少なさだ。フィルが指揮をしていて、無抵抗で砦を明け渡すなどあるだろうか? 彼女が用兵学の実技試験で見せた戦術は、基本的にどこまでも攻撃的だった。メッセンの安否は不明だが、彼が無事でもきっとフィルを前線に押し出して抵抗するはずだ。

 カザック側の兵の配置も妙だ。メッセンが無事であれば有り得ないし、そうでない場合であっても、そういった知識の豊富なロデルセンがあんな初歩的な戦術ミスをするだろうか?

 メッセン小隊長は情報どおりなら生きている可能性もあるし、少なくとも即死ではなかった。今動けないにしても策を授けた可能性ならある。


「……っ」

 刹那、フィルがいないという可能性が頭を過ぎって、足元が揺らいだ。平常心を保とうと慌ててその考えを頭から締め出す。

 アレックスは冷たくなった指先に気付かないふりをして、なんとか思考を元に戻した。

 メッセン小隊長の戦歴、チラパ要塞の設立年、そしてあの三人の性格……――。

「……全速前進の上、砦周囲を包囲。ただし合図するまで近寄るな」

「おい、アレックス?」

 焦りを含んだ仲間の騎士の声に、アレックスは無表情を何とか保ち、言い切る。

(大丈夫、大丈夫だ、フィルはどこまでも逞しいはずだ)

「大丈夫だ。彼ら三人は今年の新人の中でも有望株だろう」

 笑顔に見えているか、まったく自信がなかったが、仲間たちの憂い顔にアレックスは口角をあげてみせる。

 予想通りならその作戦はさすがにどうかと思うが、もう始まってしまったようだ。今更止めることもできない。それに……、

(本音を言えばなんでもいい、生きていてくれさえすれば――)



 アレックスたち南側の部隊が砦の取り巻いた直後に、それは起きた。

「なっ……」

「…………くず、れた」

 両側の崖と山道の上方から崩落してきた巨岩と共に、眼前の建物が轟音と土煙を上げて文字通り落ちていく。

(やはり……)

 唖然とする騎士たちと、事態がまったく飲み込めていない兵士たちへ、アレックスは動揺する間を与えず命令を下す。

「ヘルセン、グート、スワットソンは俺と右から、テェイダ、リムはフォトンに従い、左から進撃、ショーソンはホルムに従い、背後から敵軍を攻撃の上、せん滅を図れ。ザルクはこのまま待機、逃亡を図る者があれば一名残らず捕らえよ。絶対に逃がすな」

 崩れた砦に濃く立ち込める砂礫の幕の向こうでは、やはり進撃の声が上がっている。


(――いた、フィル)

 岩などの瓦礫を駆け上がり、喚声の響く戦場を見下ろしたアレックスは、探していた姿を見つけて唇を戦慄かせた。

「左翼、その場にて交戦、弓隊、前線後方へと居掛けろ、敵を分断する」

 埃や血に塗れているのは周囲と同じだというのに、金色の髪はやはりそこでも目立っていた。硬い顔をしつつ周囲に目を配り、相手と剣を交えることすらないまま、相手の力を奪っては自分の空間を広げていく。

(無事、だ……)

 吐き出した息は安堵で震えていた。やっと現実感が戻ってくる。だが次いで生じた、駆け寄って抱きしめようという衝動は、全力で抑え込んだ。

(まだだ。この場からフィルもろとも味方を無事連れ帰らなくてはいけない――)


 その彼女は、砦の崩落と共に減ってなお圧倒的な敵兵相手に、陣の先頭に立って一歩も引かない。

「右翼、後退。ロデルセンに従い、逃亡者の補足にまわれ」

 透き通った低めの声は戦場の中でもよく通り、味方の動きの統制に成功していた。

「ヘンリック、陣を中央で分断させるな」

 結構いい加減な指示しか出していないというのにそれでも兵士の士気が下がらない、それがフィルらしいといえばフィルらしい。そう思いついた瞬間、小さな苦笑が漏れる。


 フィルたちの思惑を読み取って、アレックスは自分たちの部隊の配置を決定する。

「ヘルセン、陣を縮める。中央部分のバードナーに加勢、間隙が出来れば前線へと詰めろ。グート、右翼からの攻撃もしくは突破に備えよ」

「アレックス!!」

 砂煙の向こうでフィルの緑の瞳が自分を捉えた。驚きも一瞬、ほっとしたように笑ったのを見て微妙に脱力する。もちろん戦闘の最中にそんなそぶりは見せられないが。

「スワットソン、最後尾でロデルセンに協力、逃亡を図る者があれば逃がすよりは殺せ」

 対方から現れたフォトンらの部隊が左翼を補強しつつ、交戦に入るのを確認し、

「続け」

 アレックスは自らの隊を率いて、フィルのいる前線に合流する。味方の歓呼が響き渡り、敵の動揺が増した。


 彼女の傍らに着いた瞬間、いつもの感覚が全身を包んだ。兵の数は互角。だが、彼女が側にいる限り、負ける気はしない。

 彼女の意図を汲み取り、その動きに合わせる。こちらの意図を読み取り、彼女が動きを補ってくれる。全身の感覚がひどく鋭敏になって、見えていないはずの敵の動きまで頭に鮮明に流れ込んでくる。それに昂揚感を覚えた。

 自分の周囲、そして背後にいるフィルの周囲から敵が徐々に退いていく。それに乗じて戦線を押し返し始めた。

 崩れ落ちた砦と突然現れた援軍に敵兵が恐慌状態にあったことも幸いして、一気に形勢が逆転し、勝利を確信する。


(――奴だ)

 そんな中、見知った恰幅のいい男を視界の端に捕らえた。土煙の舞う中、砦の名残の瓦礫をよたよたと乗り越え、屈強な男二人を従えて戦場を抜けようとしている。

「フィル」

 同じ方向を見ていた彼女に声をかけて共に駆け出す。そして、護衛と思しき二者たちとのわずかな交戦を経て、デアン領主ギフゾ・モーガンを拘束。

 ほぼ同時に、敵指揮官の死亡を告げる、ホルムの野太い声が戦場に響き渡り、クホート地方チラパ峠前における戦闘は終結した。



 * * *



 日が上った。

 いまだ漂う砂埃が、午前の強い日差しを乱反射する。まるで霧中であるかのように視界が限られる中、瓦礫の合い間から味方の勝ち鬨があがる。血や汚れ、時には怪我すら厭わずに手近な者と安堵と興奮、喜びをわかち合っている。


 生死の狭間から帰った者が生み出すいつもの混乱の中、アレックスは先ほどから傍らにいたフィルへとようやく腕を伸ばした。

「……っ」

(イキテイル、ソバニイル――)

 指先がその体温を捕らえた瞬間、体の底から震えが生まれた。

「っ、フィル……っ」

 いつものように頭を撫でるだけで終わるつもりだったのに、次の瞬間には、彼女の頭を自らの胸に掻き抱いていた。

「よかった」

 腕に篭る力の加減が出来ない。それに苦しさを覚えて、零れ落ちる声が情けないぐらい揺れていることに、彼女が気付かないでいてくれるといい。

「アレックス……」

 ばれてしまうかも、そう細く呟いたくせに、フィルの腕も自分の背へと回わされる。体を締め付けてくる腕の感触、胸に押し付けられた全身から伝わってくる振動に酔っていく。

「大丈夫、誰も見てない」

 見られていたって今はどうでもいい――。

 そう呟いてフィルの顎に手を掛ける。

「…………うん」

 胸の中の緑の瞳に引き寄せられる。昔も今も変わらない。それこそが生きていると実感させてくれる。

「フィル……」

 触れる寸前に名を呼び、まだ震えている唇にゆっくりと自らのものを重ね合わせた。腰に回した左腕でさらに彼女との距離を縮める。

 何度も何度も確かめるように口づけを繰り返す。呼吸の仕方を思い出せるまで、お互いの存在を実感できるまで――。


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