9-6.メッセン
チラパ要塞の石廊の突き当たりの部屋は、薬と血の臭いで満ちていた。
「ロデルセン」
「……亡くなられたよ」
奥で机に向かって、紙にペンを走らせていた同期の彼が、呼びかけに応じて振り向く。そして、悲痛な顔を見せた。
「ヘンリックから聞いた」
多分ロデルセンはそうと知っている。けれど、言わずにはいられなかったのだろう、フィルがそうとしか返せないように。
フィルは彼の傍らの寝台に歩み寄る。そこに眠るメッセンは全身血まみれだった。
顔を覆う布をそっと取り除くと、その顔を見つめる。苦しそうな表情をしているのが哀しく、何より申し訳なかった。
「……」
目を閉じて胸に手をあて、最敬礼をとる。
室内の灯火がジジッと音を立てた。
「フィル、外の様子はどう?」
視線をロデルセンに向ければ、青白い顔をしていた。それでも表情は静かで、フィルは知らず息を吐き出す。
慎重すぎると言われることもあるけれど、彼は色んなことを知っているせいか、とても思慮深い人だ。賑やかなフィルたち同期生の中で、多分一番落ち着いている。
「いまいちだ。完全に包囲されている。兵力差は楽観的に見て四対一。ついでに、ここの兵もクホートのも予想以上に訓練されてない。あと、敵が斥候を出してきているけど、あれ、訓練された専用兵だ。シャダの正規兵が組織単位でいると見た方がいい」
そう告げると、ロデルセンはペンを止めて長い溜め息をついた。
「率直なのは知ってるし、全部必要な情報だけど、少しは希望、持たせてやろうとか思わないのか……?」
「だから最悪とは言わなかった」
「……一応気を使ってくれたわけか」
肩をすくめてみせれば、彼は「それでこそフィルだな」と苦笑を零した。その顔に、ヘンリックに続いてなんだか自分の方がほっとさせてもらったような気がした。
戦闘になると危なっかしいけど、こういう時平常心でいてくれて、なおかつ頭の回る彼は頼もしい。フィルもヘンリックもそういう分野はあまり得意じゃないから特に。
「それでメッセン小隊長はなんと?」
彼の傍らの椅子を引いて、腰かける。
「ご家族への遺言を預かったよ。あと今の状況についても。山がどうの、というようなことを言っていたと思うんだけど、呼気が切れてしまっていてほとんど聞き取れなかった」
ロデルセンは眉尻を下げながら、天を仰いだ。
「よりによって俺たち三人だけだもんなあ。野営に入って、たまたまちょっと顔を合わせたところに襲撃って……違うか、逆にそのタイミングを狙われたのか」
当時、カザック軍は行軍を停止し、フィルたちが兵に野営の準備などを指示する傍ら、イオニア補佐やアレックスなど上位階級の騎士たちはメッセンのもとに集まっていた。
「今そんなこと考えても仕方がないけどさ」
とますます顔を曇らせるロデルセンに、フィルは「だね」と同意する。
「まあ、私たちがいて良かった、新人ではあるけどさ」
「……は?」
「だって、おかげでここにメッセン小隊長一人という事態も、誰もいないという事態も避けられたわけだし、ほら、やっぱ運がいい」
「運、良かった、のか……?」
「正確には今から『良かった』にする」
「……ほんと、どこまでも前向きだな」
言い切ってみせれば、目を丸くしていたロデルセンが小さく吹き出す。そして、唇を引き結んで黙り込んだ。
フィルは再び傍らのメッセンに目を向ける。白い髭ののったその顔は、やはり苦しそうに見えた。
事切れる瞬間まで何かを必死に伝えようとしてくれたという彼は、国を、人々を、そして自分たちを心配してくれたのだろう。
(なら、なおのこと、生き延びなくてはいけない)
フィルはぎゅっとこぶしを握り締める。
それだけじゃない、ヘンリックやロデルセン、兵士たちを生き延びさせなくてはならない。カザックに生きる人たちが笑っていられるように、国を、この場所を守らなくてはいけない。
でも……どうすればいいのだろう?
『国のためじゃない、誰かの為に戦うんだ』
困難を乗り越えた時はいつもそうだった、と話していた祖父を思い出す。
(でも、爺さま、それでどうしたらいい……?)
『やるべきことをやればいい。フィルならできるだろう?』
次に思い浮かんできたのは、遠征出発前にそう諭してくれた青い瞳だった。
(アレックス、何をどうしたらいい? 私のやるべきことって何……?)
「どうしたらいいのかな……」
「っ」
ロデルセンの一言に、自分の中の弱気を言い当てられたような気がした。知らず伏せていた顔を、音を立ててあげる。
そのフィルと目が合ってロデルセンは、少し情けなさそうに笑った。
『大丈夫だ』
刹那、出発前に励ましてくれたアレックスの声が脳内に響いた。
「……大丈夫だ」
同じ言葉が唇の合間から零れ落ちる。
深く考えたわけじゃなかったのに、多分ロデルセンのためだったのに、でもその音が自分の耳に届いた瞬間、なんだか本当になる気がした。
「うん、大丈夫」
(そうだ、大丈夫だ。だって私だし、アレックスもそう言ってたんだし)
もう一度口に出したら、今度は唇の両端を上げることができた。
「なんとかする。だって騎士団一の頭脳の持ち主がいて、騎士団一の守備手がいて、騎士団一の攻撃手がいるんだ。できないわけがない」
「……また大きく出たね、フィル」
「将来の、だけどね」
茶化すように首をすくめ、にかっと笑ってみせる。
「打倒アレックスってことになるんだけど……厳しいなあ」
「頭脳明晰がすぎて、騎士団に間違って入ってきたってみんなが口をそろえるレジャン・ロデルセンだぞ? いけるいける」
「……」
自信満々に、そして敢えて軽く言い切れば、ロデルセンは相変わらずの顔色のままだったが、また少し笑った。
次いで目を眇め、左手を額にやる。彼が深く考えをめぐらす時の仕草だ。
「定石だと守備を固めて篭城、応援を待つってところだけど……」
「応援が来るまで持ちこたえるのは難しくないかな? 多分分断された方も応戦中だし」
「だよな」
ロデルセンが唸る横で、フィルも眉根を寄せる。
「分かれた方――ギムノ要塞と南下した部隊には騎士が二十五名。クホートの警護隊はどの程度裏切ったのかわからないから判断しようがないけど、タンタール警備隊から連れてきた兵がそれなりにいるはず。でも、全部合わせたところで、今こっちを囲んでる敵軍の数と同じくらいだ」
「他の三地域に向かった部隊から応援が来るっていう可能性はないかな? 状況からすると証拠や財を握ってるのは、モーガン侯爵だろうし、案外他の三地域は今頃楽勝してるかもしれない」
「じゃあ、敵の戦力もここに集中していると仮定しよう。一番近い地域の指揮を取っているのは、フェルドリック殿下とポトマック副団長――時間的にも能力的にも既に制圧を完了しているはずだ。そして、状況に気付いて、既にこちらに進軍を開始している……」
ロデルセンの大人しめの顔の眉間に深い溝ができた。
「それにしても遠すぎる。最速でも到着は明後日だよ」
「……」
彼の計算結果に、フィルも同じ顔をする。
「不利だよね、この砦だけじゃなくてこの地域全体……」
「イオニア補佐やアレックスもいるし、ホルムさんだって白兵戦なら敵なし……本来ならね。兵数だけで決まるわけじゃないっていったって、この差はやっぱり大きいよ」
またもや暗く沈んで行くロデルセンの横で、どの場所にいるともしれないアレックスを思って、フィルもまた不安に襲われた。
(片時も離れず、一緒にいれば良かった。そうすれば、彼が困っていたって助けられたはずなのに……)
「……ん?」
(困るアレックス? ……そりゃあ、なくはないんだろうけど……)
彼が困っている場面を想像しようとしたものの、うまく行かなかった。私が困るより絶対少なそうだ、とフィルは目を瞬かせる。
「……うん、大丈夫」
(心配だけど、アレックスもきっと大丈夫、だってアレックスだし)
自分に言い聞かせるようにもう一度呟けば、ロデルセンが怪訝な目を向けてきた。
「フィル?」
「他はきっと大丈夫だよ。問題はやっぱり私たちだ。騎士三名と砦の人員を入れても相手の四分の一」
「それはそうだけど……。この兵数にあの質、加えてこの古い砦、厳しい以外に言葉がないよ……」
「それでも今ここでなんとかするしかない」
騎士としてカザックの人たちを守るためにもだけど、そのアレックスだ。
(きっとまた心配してる)
一見冷たく見えるアレックスが、自分の様子を気にかけてくれる時に見せる優しい目を思い浮かべて、フィルは口をへの字に曲げた。
『フィルっ』
アレクと同じだ。いつも冷静なのに、フィルが危ない目にあった時は、いつも名を呼んで泣きそうな顔をしながら走り寄ってきてくれる。あんな顔をさせるのはもう嫌だ。
そして、ここにいるロデルセンやヘンリックにもそう思う人がいる。兵たちの一人一人にだってきっと――。
(……絶対にここを守り切って、生き延びる、生き延びさせる)
フィルはそう決意を固め、弱気を振り切ろうと、両頬をぺチンと音を立てて叩く。そして、ロデルセンに向け、ニコッと笑った。
「メッセン小隊長のことだから、勝算はあったはずなんだ」
「だよな。山って言ってたのが関係してるのかな。一体どんな作戦だったんだろう」
ロデルセンと額を寄せ合う。
祖父と共に戦場に立ったことのある、フィルが知らない祖父を知る彼も逝ってしまった。
(あの時、爺さまがしてくれたメッセン小隊長の話は、確かどこぞの国との紛争だった……)
『奇抜なことを考える奴でな、人の命ほど尊い物はないっていう考えを平気で実行するんだ』
『その作戦が本当に壮快なんだ。アドリオットはやめてくれと呻くこともあったけど、俺とは気が合って』
(あの爺さまと気が合った……? あのアドリオット爺さまがやめてと言う……)
――そのメッセン小隊長が考えたのは、一体どんな作戦だったのだろう?
分厚い石の合間に小さくのぞいた明かり採りの窓。その向こうで光っていた、敵の篝火の禍々しいほどの存在感が失せた。
怪訝に思って目を向ければ、森からのぼった月の白い光に、敵影がはっきりと照らし出されていた。




