9-5.焦燥
反乱に加わった、クホート地方デアン領主モーガンの制圧に向かった直後、カザック国軍は反乱軍の奇襲を受けて分派した。
その一つ、アレックスのいる部隊は一旦南へと後退し、夜陰に紛れてデアンの南部にある丘陵地に入った。そこで体勢を立て直すなり、登り始めた月明かりを頼りに丘を駆け下り、低地にたむろする反乱軍を急襲する。そして、夜通しの戦闘を経て、未明に敵を退けた。
敵の兵数が圧倒的だったことと、奇襲直後の味方の混乱ぶりを考えると、幸運を思わないではいられない。
(カザックとしては、だが……)
上り始めた曙光を受け、アレックスは顔を歪める。が、すぐに表情を繕った。指揮官の立場にあるのだ、騎士が感情を表に出せば、即兵たちを動揺させる。
すぐにでも動き出したいという焦りを押し殺して、被害状況の確認と負傷兵の回収を命じ、残る兵には休息を言い渡した。
戦闘の指揮を執ったアレックスのもとに、他の騎士たちが集まってくる。皆、血と土ぼこりにまみれていた。
「お疲れ、上手くいったな」
「おー、さすがアレックス、キーマ渓谷戦に続いて、また人気者だぞ」
「年の功より実績だよなあ、俺、絶対こんなの無理だ」
「メッセンもお前には期待せんだろ、俺にもだけど」
どんな状況でも軽口を叩いて笑うのは、カザック騎士の常だ。元々の性格もあるが、騎士は余裕でいなければならない、という団の教えの賜物だ。
彼らに手だけで応じ、アレックスは思考を別の場所へと向ける。
(次にすべきこと、は……)
「っ」
またも競りあがってきた個人としての感情を、必死に押し殺す。
(感情に任せて動くべきじゃない、フィルに辿り着くのが遅くなるだけだ……)
そうわかっているのに、このまま上手く抑えられるか自信がない。
「他の状況がさっぱりわからんな」
「メッセン第四小隊長がチラパ要塞、イオニア第一小隊長補佐がギムノ要塞を押さえていることは確かだ」
ヘンリックの相方でもある第三小隊のフォトンの呟きに、意識して淡々と答えた。
襲撃時に居合わせた騎士たちに、メッセンは押さえるべき要所を手短に告げた。その中からイオニアにはギムノ行きを、アレックスには両要塞への圧を下げるために一旦南方に下がるよう、命令を下す。
だが、混乱のために、騎士の分配も兵の分配もうまくはいかなかった。
地上戦となるにもかかわらず、こちらの部隊には元の兵の四分の一程度しかついてこなかったし、騎士の数も十名、しかも彼らのほとんどはアレックスと同様、自分の相方と別れてしまっている。偶々集まった彼らが白兵戦に長けた者たちでなければ、正直厳しい戦いだった。
「ギムノ峠はともかくチラパ峠から国境を越える気か? 正気の沙汰じゃないだろう」
「ここ最近、峠に人影があるって情報があったってのと関係してんのかね」
(フィルはどうしているだろう)
仲間の騎士たちの会話を聞くともなしに聞きながら、アレックスは別れたフィルに思いを馳せる。
彼女の姿が視界から消えて久しい。もちろんあの強さだし、戦闘で命を落とすはずはない。そう思うのに昨日の晩、彼女と別れてからずっと落ち着かない。
(片時も離れず、側にずっといればよかった)
もう何度目かわからない後悔に襲われて、奥歯がギッと音を立てた。
守ろうと、これほど思っているのに、なぜ上手くいかないのだろう。手のひらに自分の指の爪が食い込むが、その痛みすらうまく感じられない。
「……」
落ち着きを取り繕うべく、意識して深く息を吸い込む。だが、気管は震えていた。
(どうか、どうか無事で……いや、生きていてくれさえすればいい――)
遠方に小さな砂煙が立った。徐々に大きくなり、ひづめの音が耳に届く。
「ギムノ要塞イオニア第一小隊補佐より伝令ですっ」
乾いた血にまみれた若い騎士が叫び声を上げながら、休息のために腰を下ろしている兵士たちの間を、馬を駆って抜けて来る。
周囲の騎士たちの顔が一瞬で引き締まった。
「未明に交戦終了、敵指揮官拿捕、こちらとチラパ要塞に向けて進軍を開始します。モーガン侯爵の所在は……」
馬を下りた彼は、口早にギムノ要塞での勝利とモーガンが未確認であること、兵士の概数を告げる。
「当方には第一小隊、イオニア、イゼア、第二小隊……」
そして、最後にイオニアと共にいる他の騎士の情報をもたらした。その内容にアレックスも他の騎士も顔色を失う。
「つまりなにか……メッセン小隊長と新人三人がチラパ峠? しかも、ほとんど兵が行っていないことになるんじゃ……」
フィルやアレックスと同じ小隊に属するヘルセンが、彼には珍しい、呆然とした声を漏らした。
「何だってまたそんな偏り方を……」
ザルクの呻きは、そこにいる騎士たち全員の内心そのままだった。誰もが重い表情で口を噤む。
「……大丈夫、ヘンリックとフィルは戦闘になっても十分生き延びられるはずだし、ロデルセンにしたって、そうそう死なんだろうから生きているはずだ」
沈黙を破ったのはヘンリックの相方で、歳の離れた弟にするように彼を可愛がっているフォトンだ。
「偏りはあるが三人ともそれぞれ優秀だし、メッセン小隊長の指示があれば十分働くだろう。運が良かったと思おう。メッセン小隊長が気付かなかったら、あのままチラパ峠を抜けられていた訳だから」
第二小隊の中核をなす壮年のホルムが、気を取り直したかのような、明るい物言いでフォトンの後を受けた。
だが、彼らの言葉に伝令の騎士が顔を曇らせる。それに気付いてしまった直後、アレックスは自分の指先が細かく震え出したのを自覚した。
「他に……何の情報を持っている?」
「フォルデリーク?」
声までもが震えてしまったからだろう、アレックスの同期であるスワットソンが訝しむ目を向けてきた。だが、それに応える余裕はない。
(まさか……)
気まずそうに視線を揺らす伝令の様子に、心臓の鼓動が速まり、嫌な汗が流れ出す。
「なんだ?」
「まだ何かあるのか?」
その場の騎士全員の注目を受けた伝令は、「不確かな情報ではあるのですが、」と言い難そうに視線を落とした。
「途中、チラパ峠に向かう部隊の退却の指示を出していたのは、バードナーではないか、との情報が。それからその時殿を務めていたディランが……その、メッセン小隊長らしき人物を背負っていた、と……」
(……なに、が、起きている……?)
思考が凍りつく。
考えなくてはならない、フィルを救わなくてはならない。そう知っているのに、咄嗟に浮かんできたのは、自分を見て幸せそうに顔全体を綻ばせて笑う彼女だった。その姿が徐々に霞んでいく。
周囲の騎士たちの唸り声がひどく遠い。




