9-4.混乱
首謀者ハフトリーとその根拠地を無事抑え、反乱の終息に向けて事は順調に推移している。
……と思っていたのに、事態はここに来て思わぬ様相を見せ始めた。
(アレックスやフェルドリックでも予想できないことってあるんだ……)
心中の嘆きそのままに、フィルはこっそりため息をつく。
探索の結果、ハフトリーの城では、反乱の共謀者の名及び北西の隣国シャダ王国の関わりを示す証拠が見つかった。
五十年ほど前、四年に亘る内戦を経て旧カザレナ朝が倒れ、新たにカザック朝が興った。直系の数名を含む旧王家は、血縁関係のあったシャダ王家を頼って亡命、今もそこで安穏と暮らしている。特権階級の私利私欲のためにだけに権力を乱用し、過酷な身分制度を盾に人々の生命すらも軽んじた旧王家へのカザック国民の恨みは根強く、カザックは再三に渡って彼らの引渡しを要求してきた。
だが、同様の身分制度を今なお取り続けるシャダは、カザックに絶対に譲歩できないのだろう。要求を跳ねのけ続けると同時に、逆にカザック朝の正当性を否定し、再三にわたって外交的・軍事的に介入を試みてきた。
アレックスや副団長たちがハフトリーの私室の隠し部屋で見つけた書類は、そんなシャダによる新たな介入の証拠となるものだったという。暗号化されていたらしく、フィルには何をどう解釈したのかさっぱりわからないが、フェルドリック・シルニア・カザックを排し、旧王家出身の祖母を持つセルナディア・ゼッセンベル・カザックを即位させる、その為にシャダが軍事的な支援を行う、という内容らしい。
そして、フェルドリックが目を留めてフィルに取らせた本に、細工と共に隠されていたのが、その計画に携わっていた者たちの名――裏切りを防ぐためにだろう、ご丁寧にも本人たちの手によって署名がなされていた。呆れることに、クーデター成功後の権力の割り振りについても。
ちなみに、なぜそれがそうとわかったのかは、これまた甚だしく謎。フェルドリックに訊ねたら、答えが得られなかったどころか思いっきり馬鹿にした目を返されて、酷く落ち込んだ。自分の迂闊さにも凹んだ。
それはともかく、新たに判明した造反者は、クホート地方デアンを領地とするギフゾ・モーガン侯爵他三名。いずれもカザック北部に領地を持ち、旧王権やシャダとの関わりがごく深かったがゆえに、現王権下での影響力が圧倒的に低下した高位貴族たちだった。
フィルとアレックスのテントにまたも“息抜き”(注:アレックス談)に来ていたフェルドリックによれば、『できるだけ早く一気に叩く』のがいいそうで、結果、騎士たちは急遽四隊に分けられ、それぞれ反乱者の制圧に向かうことになった。
そうして、フィルはアレックスと共に第四小隊長メッセン指揮下に入り、タンタール地方を挟んで西方、クホート地方デアンに派遣されたのだが……。
五日目の夜――かなりまずい状況に陥っている。
今日の午後、数十名の騎士たち一行はクホート地方の都に入り、そこの警護隊と合流した。
そして、夕刻、モーガン伯爵の居城に向けて境の森に入った際に、伏兵による急襲を受け、部隊は分断される。同時にクホートの警護隊から離反が出、夕闇の中で敵と味方の識別が不可能となった部隊は混乱に陥った。
混乱の最中、フィルはメッセン第四小隊長の指示の下、内心疑問でいっぱいになりながら、クホート北西部のチラパ峠にある砦に入った。地理の授業で習った内容が確かなら、この峠を越えるには標高の高い、足場の悪い岩場の登山道を抜けなくてはいけないはずで、戦略的な重要性はほとんどないはずなのに、と。
だが、現に敵はその砦を越えようとフィルたちを取り囲んでいる。
(さすがは名将メッセンってことかな……)
そう思いつつ、フィルは内心で溜め息をついた。
「……」
岩肌が所々露出する崖に挟まれた峠道の手前、急峻な山に周囲を囲まれた小さなその砦の屋上で、フィルは弓に矢をつがえる。
周りでは元々砦にいた数十名の国境警備隊員たちが、同じく弓を手に、砦の南面を囲む敵陣の松明を不安そうに見つめていた。
何がまずいかってあの一団――夕刻の森で襲い掛かってきて、今ここを包囲している兵士たちは、規模といい、統率された動きといい、傭兵や私兵じゃないということだ。訓練された正規兵が組織立って混ざっている。
反乱の真相が確かなら、それとうかがわせるような装いではないが、シャダ王国軍だろう。陰に干渉するだけ、表立って戦争を仕掛けてくるだけでは飽き足らず、傭兵に扮してまで人の国に土足で踏み入ってきているのかと思うと腹立たしさが倍増する。
(怒ったところで兵が増えるわけじゃないんだけどさ)
フィルは夜陰に紛れて顔を歪めた。
離反に乗らずにメッセンについてきたクホート警護隊の兵士は、極めて少ない。砦に元々いた警備隊員と合わせてやっと四対一、下手をしたら五対一程度だろう。しかもクホートの兵は新兵と言っていいような若い者が多く、そもそも戦いに慣れていないようだ。
(……ああ、だから離反に誘われなかったのか)
そんな発見も状況を改善する助けには一切ならない。フィルはもう何度目かしれないため息とともに、周囲の兵にこっそり目をやった。
この砦の警備隊員たちは逆に一線を退く寸前のような人たちか、同じくまだ訓練中と言っていいぐらいの新人ばかりだ。指揮官は不在だし、いくら戦略上の拠点じゃないって言ったって程があるだろうに、と愚痴ってしまいたくなる。
(……性懲りもなく)
フィルはつがえていた矢を下方に放つ。矢はヒュンッと空気を割き、木立の陰を縫ってこちらに近づこうとしていた斥候の目を射抜いて、その動きを止めた。
周囲の兵が漏らした感嘆を仕草で制止しつつ、フィルははぐれてしまっているアレックスを思って眉尻を下げた。個人的に何が一番痛いかって、側に彼がいないことだ。
アレックスの腕だし、大丈夫だと思う一方で、何があっても不思議じゃないことを先ほど実感してしまっているからこそ、彼の安否がひどく気にかかる。
(でも、もし、もしアレックスに何かあったら……)
「……っ」
そう思った瞬間に内蔵がせり上がってくるような感覚が生じた。必死に抑え込み、きっと大丈夫と自らに言い聞かせる――これをさっきから幾度となく繰り返している。
しかも不安だけじゃない。ひどく個人的な問題だと自覚しているけれど、何とかなる、何でもできるという気がしなくなっている。
山から冷たい夜風が降りてきた。フィルと隊員たちの体を撫で、周囲のかがり火を揺らして吹き抜けていく。
「……攻めてきませんかね」
「夜が明けないうちはな」
怯え声を発した兵士の一人に、落ち着きを装って返す。
北のこの山脈には夜行性の厄介な魔物がいる。急ぐ事情があれば犠牲を覚悟で強行にここを越えにかかるだろうと見ていたが、あの軍には夜の今動く気配がない。正直助かるが、つまりは分断された味方にも何らかの圧力がかかっているということ――応援は簡単には来ない。
(最大の問題は……)
フィルは兵たちの顔に一様に不安が浮かんでいるのを見て、奥歯を噛みしめた。
ここの人員を指揮する立場にある騎士はたった四人。第四小隊長メッセンとフィル、ヘンリック、そして、ロデルセン。だが……。
「フィル……」
血まみれのヘンリックが、屋上の中央付近にある階段から姿を現した。彼が悲しげに、そして厳しい表情で首を横に振ったのを見て悟る――これで新人三人だけになった。
兵士達の間に瞬く間に動揺が広っていくのを見て、フィルは舌打ちを零したい気分になった。
そんな状況で、フィルたちはここを死守しなくてはいけない。
シャダ兵はハフトリーのところにはいなかった。それがここにこれだけいるということは、ギフゾ・モーガンこそが反乱に関わる重要な物品を握っているのだろう。多分領民たちから搾り取って得た資金や、新王朝の不当性を謳うための何かだ、とフィルは怒りに顔を歪める。
モーガンはこの峠を越えて、シャダに逃げ込み、それらを旧王家に提供する気だ。実現すれば、また旧王権派が勢いづく。奴らは今回そうであるように、自分たちの欲望のために人々を踏みにじることを当たり前だと思う連中だ。絶対に利用されるわけにはいかない。
「フィル……」
「数さえいればいいというものじゃない」
不安を顔に浮かべたヘンリックににっと笑うと、新たな斥候の両膝を連続して放った矢で正確に射抜いた。
「あの兵を回収せよ。敵軍の情報を引き出す」
兵士の間からまた歓声が上がった。数名が勢いよく駆け出して行く。
「大丈夫だ。私が負けるわけはない」
ヘンリックとの会話ではあったけれど、明らかな苦境と三人の騎士の若さに不審の眼を向ける兵士たちが耳をそばだてていることを知っての言葉だった。
「……まあね。実は俺もまったく負ける気がしてないんだ」
そのフィルに対し、ヘンリックは青い顔のままではあったけれど、にやっと笑って返してくる。
「……」
フィルが彼を好きなのはこういうところだ。きっと彼は、フィルが『何の根拠があって言っているんだか』と思いつつ、無理して笑ったことを知っている。彼の中の不安も多分まったく消えていない。それでいて、彼はフィルの心中を推し量って笑い返してくれた。
ここで一緒にいるのがそんなヘンリックだったのは、フィルにとって不幸中の幸いなのだろうけれど、それで自分は一体何をどうしたらいいのか――。
祖父はこんな状況の話をよくしていたけれど、最初の遠征でまさか自分がいきなりそんな目に遭うとは、とやはりばれないように重い息を零す。
(せめてアレックスがいれば……)
思い浮かんだ泣き言を打ち消そうと、フィルは小さく首を振った。
弱気に心を乗っ取られないように最大の注意を払わなければいけない。でなければすぐに周囲に伝染してしまう。そしてそれは今の状況で、敵以上に恐ろしい破滅の因子になる。
「ロデルセンのところに行ってくる」
ヘンリックに指揮を頼み、フィルは踵を返した。
もう一人の同期のもとに向かう途中で、フィルは立ち止まった。天井の低い、石造りの廊下の壁にはくぼみがあり、そこに置かれたろうそくの光がぼんやりと周囲を照らしている。
誰もいないことを確認した上で、フィルは胸の前で両のこぶしをぎゅっと握り締めた。細かく震え始める。
「メッセン小隊長、いい人だったのに……爺さまもそう言ってたのに……」
亡くなったメッセンは、初老の穏やかな騎士だ。優しく笑いかけてくれる人で、フィルは彼の持つ雰囲気がとても好きだった。
攻城戦を得意とする第四小隊を長く指揮した、いくつもの戦乱をくぐり抜けてきた騎士団屈指の名将は、だがここに向かう途中、射掛けられた矢に倒れてしまった。
損傷部位と出血の多さから助からないかもしれないという予感を抱えつつ、彼を背負って必死にここまで連れて来たのだが、メッセンはそんなフィルを笑った。『置いて行け、もうどの道助からない』と。
『っ、考えていることを教えてもらわなくてはならないので、もうちょっと踏ん張ってください』
苦し紛れにそう言うと、背中の彼は途絶えがちな呼吸の合間に、『アルにやはりそっくりだなあ』と掠れた声で呟いた。
泣きそうになったのを、前を見据えて敵を退けることで何とか抑えた。
フィルは祖父から彼の話を聞いたことがあった。フィルが彼を知っているくらいだし、向けられる彼の視線から、ひょっとしたらばれているかもしれない、と思っていたけれど、あんな時に告げられるとは思わなかった。
ロギア爺や馬のジャン、祖母、そして祖父との別れ。そのどれもそれなりに穏やかで、泣く余裕があった。けれど、居ることに決めたこの場所では、別れを惜しむことすら出来ない死が転がっている、そう実感させられる。
「本当にどうしよう……」
そして、自分にのしかかっている責任を思ってフィルは顔を歪ませた。




