9-1.理由
「財政的に辻褄が合わない。報告に改ざんがあるか、何かしらの資金源があるかだな」
「あの辺りの領民、あまり裕福ではなかったな……。別ルートで報告をあげさせてみるか。金の動きがわかれば、おのずと共謀者も見えてくるはずだ」
夜はとっくに更け、どこからか梟の鳴き声が響いてくる。
タンタールから王都に戻ってきて既に十日ほど経った。ハフトリー辺境伯が謀反を企てていた証拠は、着々と挙がりつつある。その処理について頭の整理をつけに、王太子フェルドリックは騎士団を訪ね、従弟のアレックスを話につき合わせている。
従弟である彼の政治的な立場は、フェルドリックのものと同じだ。他に出せない情報も出せるし、息抜きにもなる。
彼と同室のフィルが話を聞くともなしに聞いているが、こちらも問題はない。彼女の実家も王后派、つまりフェルドリックの側だし、何よりフィル本人だ。聞いたところで彼女が何か出来る訳もなく、またする気もない。
(というより、フィルはそんなことに気を回す頭を持っていないだろうな)
その証拠にフィルはフェルドリックが腰掛けている椅子の、テーブルを挟んで向こう、一人がけのソファの上で規則正しい寝息を立て始めた。
(……相変わらず能天気過ぎて呆れる)
フェルドリックは彼女に半眼を向けた。
それにしても昔は一つだった、この部屋には不釣合いな質のソファ。同じ物がもう一つ増えているのは、やはりアレックスが彼女のために揃えた物なのだろう。
使っている様子もないのにアレックスがあれやこれと金を増やしているのは知っていたけれど、それも彼女のためだったのかと気付いて、これにはこれで呆れた。
昔一番近いところにいた、自分の従弟――彼はフェルドリックにはまったく理解できない感情に身を置いている。
「私兵の増強が昨冬なら、去年の秋の納税は?」
会話を続けながら、アレックスは立ち上がり、ソファに身を崩すようにして微睡んでいるフィルの傍らに跪いた。
「フィル、風邪を引く」
彼女の額にかかった髪を丁寧な仕草で払うと、アレックスは彼女に顔を寄せて小声で囁いた。
「……全体に豊作だったから、ある程度搾取してもばれにくい」
「中央に収穫を過少申告して、余剰分を不作の続いている北側諸国にでも流して利益を得たか」
「んー……」
わずかに眉を動かしたものの、フィルはまたすやすやと寝息を立て始めた。
アレックスは小さく苦笑を零すと、彼女の背と膝裏に腕を差し込んで、その身を抱えあげた。
「金もだが、人の流れも追った方がいい。あのあたりの国境警備隊から、シャダ国民の流入が増えているという報告が上がっていただろう。あの国の国民の移動の制限具合を考えると、飢饉で切羽詰まっていることを考慮しても、不自然な気がしていたんだ」
「ただの流民ではなく、シャダが組織的に人を送り込んできていると? なら、ハフトリーらのところにいるのは数合わせに集められた私兵じゃないかもしれない……厄介だな」
「ああ、訓練された軍人、軍隊とただの傭兵の集まりとでは、戦争における意味合いがまったく違ってくる」
会話を紡ぐ声は、いつもの冷静な口調だ。なのに、アレックスは腕に抱えたフィルを見つめ、幸せで仕方がないという顔をしている。ゆっくりとした足取りで彼女をベッドへと運んでいく。
「亡命者と希望者は探っているのか?」
「今のところ不審な動きをしているという報告はない」
アレックスは飛び切り高価な壊れ物を扱うようにフィルをベッドの上に降ろし、その傍らに腰かけた。
見ているフェルドリックが居たたまれなくなるような目で、彼女の頬にかかった髪を丁寧に払う。
「カザックにいる亡命者たちが、シャダ国内のレジスタンスに資金を提供しているだろう? シャダの工作員がこちらに入ってきているとなると、逆に彼らの身辺の安全を図ってやるほうがいいかもしれないな」
今度は額にキスを落とした。それから額を突き合わせ、幸せそうに微笑む。
「万が一の監視にもなるし、上手く行けばそこから芋づる式に工作員を壊滅できる」
(……あんな顔をしながら、こっちと器用に会話できるあの頭の構造は一体どうなっているんだ……)
フェルドリックは白い目を向けつつ、呆れの息を吐き出した。
「? ……どうした、リック?」
薄手の布を彼女に掛けたアレックスが、やっとフェルドリックに向き直る。そして怪訝そうな顔を向けてきた。
どうしたも何も全部おまえのせいだろう、という言葉をのみ込んで、以前から気にかかっていた別の質問を口にした。
「ねえ、何がそんなにいいのさ?」
フェルドリックは、アレックスの傍らに向けて顎をしゃくる。
それがフィルのことだとすぐに理解したらしいアレックスが、眉を跳ね上げた。
フェルドリックとアレックスが十くらいの時だった。虚弱な体質の彼は、療養のためにザルア地方のアルの所に行った。
学友のくせに半年もいなくなるなんて、とも思ったが、彼の健康を考えると反対できない。
微妙に面白くないままアレックスを見送った半年後、戻ってきた彼は前にも増して体を壊すようになっていた。王宮に顔すら出せない有様で、理由をアレックスの父であるヒルディスに訊ねた時、彼は苦笑しながら、でも嬉しそうに答えた。
『剣を習い始めたのです。が、体がまだついていかないようで』
『はあ、アレックスが剣を習ってる? ……何それ、ヒルディス、なんの冗談?』
『理由は本人に訊いてみてください、面白いですから』
そう笑ったヒルディスの言に従ったのは、ようやくアレックスがフェルドリックのもとに顔を出した冬の日のことだった。少し日焼けして、髪も短くなっていて、ひどく驚いた記憶がある。
『……大事な子を守れるようになりたいから』
『それ、好きな子ってこと……?』
そして、問いに対する返答と赤くなったアレックスにさらに衝撃を受けた。
(恋? アレックスが? 今まで僕と同じで、そんなことに欠片の興味もなさそうだったのに……)
『誰?』
『…………』
アレックスはそれが誰かを絶対に言わなかったから、予想を立てた。
ザルアへの道中、そしてザルア。アレックスが出会いそうな同じ年頃の貴族の少女の中で、彼が警戒しなさそうな家の者となると、かなりの確率でアルの孫のフィリシア・フェーナ・ザルアナックなのではないか、と。
『そういえば僕の婚約の話、また出てるらしいよ』
『今度は誰?』
だからカマをかけた。
アレックスは彼の婚約者であるニステイス伯爵令嬢にも、婿入りを打診してきている他の貴族の令嬢の誰にも反応しないで、それは有利とか不利とかそんな話をする。
『やっぱりザルアナック伯爵家のステファンの娘が無難かな?』
ただ一人、彼が息をのんで沈黙したのが彼女だった。それで確信する。
『婚約、するの……フィ、彼女と……?』
だが、ようやく口を開いたアレックスの固く、冷たい空気に怯んで、そうと指摘できなかった。まるっきり別人のようだった。
『……無難だけど、今更ザルアナックと組んだところで有利には働かないしね』
興味はないと言外に告げると、アレックスは小さく息を吐いた。そこには確かに安堵が含まれていた。
アルと共によく離宮に来ていたフィリシア・フェーナ・ザルアナック。
それに会ったことがあると言わなかったのは、アレックスがどう反応するか、まったく予想がつかなかったからだ。あとは、あの奇妙な彼女が相手なら、アレックスはいずれ興味を失うだろうと思ったから。
一度彼女と二人きりで話してからそれは確信にまで至っていたのに、こうして知れば知るほどどうしようもなくおかしいやつだと断言できるようになっていくのに、彼の思いは十年近く経った今も変わっていないと、今、目の前で見せつけられている。
フェルドリックにからかうつもりがないことを、アレックスは理解したらしい。
「……知らないうちに彼女を追っている」
そういう時は絶対に答えないようなことにも、彼は真面目に答えた。
「それ、理由?」
「そう、だな……」
訳が分からないと匂わせたフェルドリックを前に、彼は眠るフィルに視線を戻し、その顔をじっと見つめた。
「いなくなられたら、息の仕方を忘れる」
穏やかな声とは対照的な過激さと、青い瞳に篭った熱に思わず目をみはった。
彼は優しい仕草で、彼女の金の髪を梳き始める。
「……物騒だな。『華』だぞ。狙ってる家だって多いだろう?」
フェルドリックが把握しているだけでも六件。監視を兼ねて側に置いているアンドリュー・バロック・ロンデールの実家は、その最たるものだ。ザルアナック伯爵家に二人の婚約を執拗に打診している。しかも、そのロンデールは、彼女がフィリシア・フェーナ・ザルアナックだと気付いた節がある。
「それでも絶対に渡さない、誰にも――」
そうして彼が向けてきた目線。それに、『お前にもだ』と言外に言われている気がするのは邪推だろうか……?
色んな意味で呆れるしかない。
「ほんと、物好きだよねえ。見た目は悪くないけど、色々それを上回っているだろうに。貴族らしくなく、娘らしくもなく、常識すらない。媚びもしなければ、窮地に陥っても泣きもしない。甘えることも、こちらに合わせることもなく、どこまでも自力で我が道を行こうとする」
フェルドリックのフィル評に、彼は軽く目をみはった後、「そうだな」と低く笑った。
(……否定するかと思ったのに)
フェルドリックは片眉をひそめた。
「十年近くぶりに会って、幻滅とかしなかったわけ?」
絶対にすると思っていた。
「顔もよく覚えてなかったしな……ただ、中身は変わってないと思った」
アレックスは蕩けそうに甘い顔を寝ているフィルに向け、その頬へと指を落とす。
「……そんなに大事?」
顔も覚えていない相手をそんなに長く思える感覚、それがまったくわからない。
「……」
フィルから目線をフェルドリックに戻したアレックスが返してきたのは微笑だけ――彼のその表情はフェルドリックですらほとんど見たことのない柔らかいもので、その解釈は間違えようがなかった。
昔一番近い所にいた従弟の彼は、やはりフェルドリックには欠片も理解できない感情に身を置いている。
「……僕が彼女と婚約すると言ったら?」
アレックスが表情を消した。こちらをじっと見つめて、口を開く。
「お前がフィルを好きで、フィルがお前を……好き、だと言うなら……」
誰にも渡さないと言った言葉も、フィルがフェルドリックを好きと仮定した時に歪んだ顔もきっと彼の思いそのものなのだろう。
「……ふうん」
だが、彼にとって自分は別格らしい。彼女が望むなら、という条件付きであっても、僕が望んだ場合は叶えてくれるらしい、と理解して、フェルドリックは少しだけ気を良くした。
「望まないけどね。そんな苦労しそうなの、死んでも嫌だ。僕は我がままにやりたいんだ、僕以上に勝手なのなんて絶対に無理」
本音を漏らすと、アレックスは安堵したような苦笑を見せる。
「とりあえず婚約者だって噂はいかしておいてあげるよ。僕の婚約者となれば、それを無視してザルアナックに婚姻の申し込みが出来るような家はそうそうなくなるからね」
「……恩着せがましいな、お前だって隠れ蓑にしているだろう?」
「便利なんだよね、確かに有力なのに本人も家族もその気なし。美人という噂はあっても誰も見たことがないから、周囲は勝手に想像して勝手に盛り上がってくれる」
その想像を元にした動きはこちらからよく見えて、駒を動かすいい材料になる。
「病弱だから社交の場に出てこないんだって。本当に愚かだよね。あんな化け物を一刀で切り伏せる奴にさ」
寝返りをうったフィルが、苦笑しているアレックスへと身を寄せた。
それに苦しそうな、だが嬉しさを隠しきれないといった複雑な表情をアレックスが見せた。彼は乱れた掛布を丁寧に直すと、身をかがめて彼女に口付けを落とす。そして熱の篭った視線で彼女を見つめながら、同じ場所に指で触れた。
「……」
前に見ていた時より随分進んでいるらしいのはわかったし、アレックスが自分に特別に気を許してくれているのもわかる。が、こんな空気はさすがにはっきりきっぱり居たたまれない。
「早く帰れって思ってる?」
思わず訊ねれば、アレックスは意外そうな顔を返してきた。それで再び気を良くする。
「まあいいや、今日はこれで帰るよ」
「? そうか?」
ドアに向かうフェルドリックに合わせて、アレックスも立ち上がった。
どうやら王宮まで送ってくれる気らしい。それでさらに気を良くした。
昔一番近い所にいた従弟の彼は、フェルドリックには欠片も理解できない感情に身をゆだねるようになった。が、彼は完全に変わってしまった訳ではないらしい。
「……ケチ」
「うるさい」
すれ違いざまに何の気なしにフィルの顔を覗き込もうとしたら、それは阻まれた。そして、無礼にも目線で戸の方へと追いやられる、それに再び気を悪くする。
「フィル、ごめん、起こして。フェルドリックを送って来るから、少しだけ待っててくれ」
扉の前でアレックスを待っていると、部屋の中からひどく甘ったるい小声が響いてきた。従弟のピロートークを盗み聞きしているような気分でやはり居たたまれない。
(本当にあのアレックスなのか……)
失礼なことこそしないものの、どんな女性にも基本的にそっけなく、難攻不落と言われているはずだ。夜会で、美女と評判の誰に誘われてもどんなふうに誘惑されても、計算しつくした顔と声でしか対応しないくせに。
「……うー、私、も行きます……」
「だが、」
「だって、狙われてるんでしょう……? 一人だと二人とも危ないです。少しだけ待っててください、顔洗って目を覚ましてきます……」
寝呆け声の直後、フィルがフラフラとこちらに歩いてくる。
「んーと、ちょっとだけ待っててください」
目を手の甲で擦りながらフィルはフェルドリックにそう声をかけ、玄関横の洗面室に入っていった。
(……危ない? 二人? って、アレックスと……)
思わず顔が引き攣った。
「顔が緩んでるぞ」
「違う、引いてるんだ。どこまでもお人よしでどうしようもない馬鹿だから。これだけ遊ばれているっていうのに、かばうか、普通」
笑いを堪えているアレックスを睨んでみたが、慣れたものなのか、彼にはまったく気にする様子がない。
「……昔の恥ずかしい話、フィルに色々ばらすよ?」
なんだか余計ムカついてそう口にすれば、彼は心底嫌そうな顔を向けてきた。溜飲が下がる。
「絶対いつか仕返してやるからな」
「いつか、ねえ」
「お前に好きな人ができた時とか」
あまりにあっさりと、だが真面目な顔で言われて、一瞬素でぽかんとしてしまった。
「……できないよ」
「できるさ」
「自分ができたからって…………本当、ムカつく」
年下のくせに何もかも見透かしたみたいに彼が柔らかく笑う、それこそが腹立たしい。
昔一番近い所にいた従弟の彼は、フェルドリックには欠片も理解できない感情に身をゆだねている。その彼にはやはり変わってしまった部分もあるらしい。
「万が一のその時は盛大に笑ってやるから覚悟しておけ」
そう笑いながら、自分より随分背の高くなった彼が横に並んだ。
「お待たせしました」
そう言って洗面室から顔を出したフィルは、当たり前のようにフェルドリックを挟んでアレックスの反対側につく。どうやら独占欲の強いらしいアレックスはそれを気にした様子もない。咎めるかと思ったのに。
「……どこまでも馬鹿なやつ」
「それって私のことですか……?」
「僕であるはずもないし、アレックスでもないに決まっているだろう」
「……つまり私のことですね……」
「へえ、それぐらいはわかるんだ」
「…………ほんと、どこまでも性格悪い」
「なんか言った?」
「……」
口を尖らせ、顔をしかめたフィルの表情は、昔と同じだ。
なのに、彼女はあれほど嫌っていた自分から、もう逃げる気はないらしい。それも気に入らない。
「……嫌な風だな」
騎士団を出たところに吹いてきた生暖かい風は、夏の湿気を帯びて重苦しい。
もうすぐこれは血生臭いものに変わる。そして、それこそが自分の引き返せない道の始まりとなるのだろう。
「……意外。風に思いを馳せるような繊細な感覚があるなんて……」
人の物思いをすべて台無しにする一言を、思わずというように漏らしたフィル。
「くくっ」
人の物思いを知らないはずはないのに、それに吹き出したアレックス。
「……覚えてろよ」
いつかこの二人に王太子への敬意というものを叩き込んでやろうと決意を固めた。
足元の石畳の上。
青い月の光に三つの影が並んで浮かび上がっている。




