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そして君は前を向く  作者: ユキノト
過去編【交差】
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4.時間

 春の終わり。疲れが取れなくなって、横になる時間が増え始めた。


 盛夏。立ちくらみが起こるようになる。

「大丈夫だ……メル、ネル」

 心配そうな視線を向けてくる二匹にそう告げつつ、ロギアは自らの終わりが近いことを悟って、安堵の息を吐き出す。

 長く、長く、生きた。多くの命を奪って、人生を台無しにして、それでなお生き続けた。やっとその終焉が来る。


「ロギア爺ーっ、来たよーっ」

 ロギアの犯してきた罪を何一つ知らずに纏わりつづける、おかしな娘。まだ十一のこの娘はきっとロギアの死に際して泣くだろう。

 そうして自分はまた一つ罪を増やして、この世から消える。

 そうと知っていながら、子供の息吹に惹かれて見ないふりをした愚かさと傲慢さに、後悔が首をもたげる。

「……また来たな」

 あと三月――娘が、フィルがここにやって来られなくなる冬までもってほしい。


「メル、ネル、頼んだぞ」

 いまだ幼い彼女にはどうしてもさせたくない。万が一に備えて、ロギアはフィルに見つからないよう密かに準備を整えた。



 * * *



 徐々に秋が深まっていく。

 色づいていく山々。恵みに活気付き、冬に備えて忙しなさを増す山の生き物たち。何度も何度も繰り返された、美しい光景と命の営みの気配。いつもと同じそれももう見納めだと体が告げている。


「ロギア爺ー、メルー、ネルーっ」

 嬉しそうに笑って走ってくる、少し大きくなった娘を見るのもこれが最後になるだろう。


「……ロギア爺? 疲れているの?」

 考えなしなくせに勘だけはいい娘が、心配を顔に乗せてこちらを覗き込む。

「年寄り扱いするな」

「私よりはずっと年寄りだ」

 にやっと笑う娘を小突いて黙らせる。

「痛い……あ、じゃあ、今日は私がご馳走を作るよ。ロギア爺はゆっくりしてて」

「アルが毒キノコで殺されそうになったと言っておったが?」

「う。爺さまめ、余計なことを……でも今は多分大丈夫、だって、父さまたちの友達がくれた図鑑で勉強したもの」

 そう言って小屋を走り出していくのを見送る。


「……っ」

 その姿が見えなくなったところで、ロギアは崩れるように床に膝をついた。

「あと少し、だ……」

 すぐに雪が降る。そして、ロギアはこの世から消える。

 春にまたここを訪れたあの子は、誰もいない小屋を見てどう思うだろう?

(私が旅に出たとでも思ってくれればいい。どこかで違うと感づいても、決定的でなければいい。そうすれば能天気な彼女のことだ、きっと私は黒い魔物と共に、この世界のどこかにいると考えて毎日笑うだろうから……)

 ――そんな風に消えたい。


「これ、危ないと思う?」

「……勉強したんじゃろうが?」

「だってそっくりなんだもの。ちょっと味見してみよ……いでっ」

「わからん時はやめておかんかっ」

「うー、つまんな…………ごめんなさい」

 戻ってきた娘はぶつぶつ言いながら、材料をさくさく切って鍋に放り込んでいく。その横の椅子に腰かけたロギアは、体を苛む痛みに気づかないふりをしながら、その姿を見守る。


「はっ」

 後ろから忍び寄ったメルに気がついて、振り返るあたりは進歩。

「ふふふふ、いつまでもからかえると思うな、メル」

 ナイフを片手に今なお自分の何十倍もある魔物と向き合って睨み合う。

「ぎゃっ」

 それに集中するあまり、気配を消して物陰から出てきたネルに気付かずに押し倒されているあたりはまだまだ。

「ずるいよな、二対一だもん」

 いつからそうなのか忘れたが、こうやって張り合って負けた場合は、娘はメルとネルに何かを差し出さなければいけないらしい。

 ぶつぶつ言いながら、先ほど捕ってきたところの鳥肉を差し出している。

「……わかってるよ、それは私の分。ロギア爺のはちゃんとあるってばっ」


 人をはるかに上回る知能があり、攻撃的な気性でこそないものの、竜以上の身体能力を持つと竜以上に恐れられた滅びゆく魔物。

 人への関わりを忌避すべきとなっている種族の赤子だった二匹を、そうと知りながら拾ったのはロギアだ。それ故に人への愛着を示すようになったメルとネルの今後をも憂う。

 彼らと娘が近しくなったことを喜ぶと同時に、このまま共に居させてはいけないと思う。

 一時娘も彼らも寂しがるだろう。それでも彼らのためにそれが正しいと判じて実行しようとする。老いた身の傲慢そのものかもしれないと思いつつ、それでも――。


 埋火が明滅を繰り返す炉端に寝転がって毛布を被れば、当たり前のように娘が横に並んだ。

「アレクは見つかりそうか?」

 誰かと共に眠りにつくなど何十年もなかったというのに、娘がやってくるようになってからは当たり前になっていた。

「ううん、全然。だって、名前とカザレナの貴族ってことしか知らないんだもの」

 うー、もっと色々アレクに聞いておけばよかった、と娘は眉を顰めた。

「爺さまも婆さまも『自分で探せ、その方が楽しい』って笑うだけだし、オットーもターニャも口止めされてるし」

「これに懲りたら、ちゃんと先を考えて生きることじゃな」

「ロギア爺、厳しい……」

 むぅっと口を尖らせた、幼いその顔には生命の輝きが満ちていて、ひどく眩しい。


「ひょっとして、ロギア爺、なんかアレクのこと知ってる?」

 この娘の大事なあの彼は今頃どうしているのだろう? ネルにメルが、メルにネルがいるように、あの彼がこの娘の傍らにいれば、と思う。

 あの夏に芽吹いた幼い恋は、思いもかけない道を辿った。あの年の秋に、帰ってしまった、もう会えないかもしれないと泣きながらここへきた娘は、今なおあの子を探している。

「……知らんこともないが」

 朽ちゆく身の上で願うのは、この娘の幸福。

「うわ、やったっ、教えてっ」

 抱きついてくる、子供の体温の高さと日の匂い。もう何もかも必要ないと静かに時が過ぎるのを待つばかりだった自分に、期せずして授けられた温かみ。

「そうじゃな……お前は必ずあの子を見つける。あの子もお前を見つける」

 もしそうでないなら、私がそうしてやろう、と密やかな誓いを立てる。

「何があっても必ずお前たちは会える。だから……諦めるな、フィル」

 この娘の幸福の為になら、魂を悪魔にだって差し出してやろう。もう何もいらないと思っていたところへ思いがけず舞い込んだ温もり、それを守るためなら今更何一つ惜しくはない。

 目をみはっていた娘は、次の瞬間にこりと笑った。

「……うん、ロギア爺がそう言うんなら、きっと確かだ」

 へへへと笑いながら、どさくさに紛れて娘はロギアの寝具に潜り込んできた。

「ロギア爺、あのね……」

 そうしてロギアの傍らで、娘は眠気にのまれるまで話し続けた。


 これが血と咎にまみれたロギアの最後の時間だ。

 過ぎたる僥倖を思う。多くの命を奪い、多くの者を不幸にしておきながら、最後の最後で穏やかな時を得た。

 それをもたらしたこの娘、フィルをなるべく泣かせずに消えること――それこそが最後になすべきことだった。



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