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そして君は前を向く  作者: ユキノト
過去編【交差】
116/320

1.雪男

「ただいま、エレン」

「おかえりなさい、アル」

 開いた木戸の向こう、庭園に向けて開かれた窓辺の陽だまりに、三日ぶりに会う愛しい妻の姿を見つけてアルは顔を綻ばせる。微笑んでこちらにやってきてくれた彼女へと腕を伸ばし、抱き寄せてキスを落とした。


 ザルア山脈の中腹にある、この別邸から、馬で三時間ほど行った所がザルアの町だ。ザルアナック伯爵家のザルア領本邸は、そこからさらに馬で三時間下った、山脈の扇状地に位置する領都にある。

 引退して息子が跡を継いでいるとはいえ、その仕事を手伝わない訳にはいかないこともあって、そんな時は泊まり掛けで領都に赴き、二、三日別邸を留守にすることになる。今日もそんな仕事の帰りなのだが……。

「? フィルは?」

 出張帰りには、いつもニコニコと出迎えてくれる可愛い孫の姿が見えなくて、アルは眉根を寄せた。

「また探検ですって」

 楽しそうに笑うエレンにつられてアルも笑う。


 今年七つになったところの孫のフィルの毎日は、いつだって『発見』と『探検』で溢れている。

 ザルアの湖に流れ込む川の源泉を知るのだと、馬のジャンに食料を乗せて意気揚々と出かけていく。

 空から降ってくる雨や雪が不思議で仕方がないらしく、その源の雲になんとか近づけないか、翼を作ろうと苦心していた。

 森の動植物が面白くて仕方ないらしくて、飽きずにずっと見ている。

 魔物を見つければ人の心配も何のその、大喜びで跡をつけてそのまま一日二日帰ってこない。しかも、何度怒られても、だ。あの辺のいい神経は一体誰に似たのだろう?

 おかげで気配を消すのが異様に上手くなってしまって、この自分が彼女の気配に気付かないなんてことも昨今では珍しくなくなった。


「今度はなんだって?」

「雪男を発見したそうよ。もう上機嫌も上機嫌」

「雪男?」

 アルは眉をひそめながら首を傾げる。その仕草がフィルにそっくりなことに気づいて、エレンが忍び笑いをもらした。



 * * *



(おおっ!)

 ターゲットを見つけたフィルは歓喜の声をあげそうになって、慌てて口を両手で押さえた。

「っ!」

 その拍子に木から落ちそうになって、今度は急いで幹にしがみつく。

(あ、危なかった、見つかるところだった……)

 気を落ち着けてから、遥か遠くにいる対象を再びじぃっと見て、緩む口元をぎゅっと引き締めた――そう、今日こそ絶対に逃がさない。

「……」

 つっと目を細めて、徐々に近づいてくるその姿をじっくり観察する。そして、やっぱりにんまりする。

(ふふふふふふふ、間違いない――雪男だ! いるいると言われ続けながら誰も見たことがない、あの謎の生き物!)

 それが今フィルのいる枝の下をゆっくりのっそり歩いていく。

(なんてすごいんだ。すごすぎるっ)

 この気持ちを表すには……あれだ。強調したい時に使うと婆さまが教えてくれた、反語というやつ――。

(これがわくわくすることでないなら、他に何でわくわくしようっ!?)


 間違いない、だってあんなに大きな人をフィルは見たことがない。爺さまより更に頭一つ半高く、肩幅は彼の倍、腕はフィルの胴より太い。

 真っ白な髪はざんばらに適当に切られていて、顔にかかり放題。しかも、その顔は白い髭と長い眉毛でもじゃもじゃ。一体どこが目でどこが口なのかさっぱりわからない。

 体は厚手の鹿の革で覆われているけれど、服なんてものじゃなくて、ただ体に引っ掛けているだけという感じ。服なんてどうせすぐ破れるんだからどうでもいいとフィルも思っていて、いつもオットーやターニャに怒られているけれど、あれを見たらきっとターニャなんて失神する。だって顔がついたままだ。

 持っている弓矢と槍がすごくしっかりしていて、使い込まれているあたり、絶対に町の人じゃない。

 何よりあの動きだ。あんなに大きな体で、小枝の降り積もった地面をほとんど音を立てずに歩けるなんて。

(絶対! 噂の! 雪男だ!!)


「……」

 フィルは緩んでいた顔をきっ、と引き締めた。

 昨日は撒かれてしまったが、今日こそはきっちり跡をつける。だって、上手くいったら雪女や雪ん子なんてのも見つかるかもしれない。

(そしたら……なんて素敵なんだろう!)


 ――と思ったのに。


「……」

「……」

 ただいまフィルは、猫の子のように首根っこを捕まれて宙吊り状態。目の前にあるのは白い髭もじゃの大きな顔……。

「うぅ」

 よく見たい、知りたいとは思っていたけど、こんな距離は勘弁して欲しいとフィルは顔を引き攣らせる。


 そう、捕らえるつもりが、あろうことか逆に捕まってしまっているわけだ。大分距離を取って慎重に跡をつけていたのに、姿が見えなくなって慌てて足を速めたところで、木陰からぬっと出てきた雪男にむんず、と襟首を握られて。

(気配がまったくなかった、さすが雪男。違った、恐るべし雪男……)

「……」

 フィルはごくりとつばを飲み込む。伸びた白く前髪とやはり長く伸びた眉毛の向こう、見えない眼に睨まれているとひしひし伝わってくる。

「……はっ」

(ひょひょひょひょっとしなくても、く、食われるのだろうか?)

「……おお!」

 これぞ、爺さまの言っていたジャクニクキョウショクというやつじゃ? 世の中、特に森はそうやって出来ているらしい。

 すごいなあ、自分って結構賢いんじゃないか、とホクホクしかけて我に返った。

「肉は私だ……」

(嫌だ、けど自分だってそうやって命をもらって生きているじゃないか……。自分だけ嫌なんて我がままだ……)

 祖父母が我がままは駄目だといつも言っていることを思い出して、フィルはグズっと鼻をすする。

「焼かれるか煮られるか……生は嫌」

 もっと修行しておけば良かった、と思わず呻いたら、雪男の左眉毛がかすかに上がった気がした。


「っ!」

 ポイっといきなり投げ捨てられて、フィルは落ち葉の吹き溜まりに頭から突っ込む。

「……」

(……あ、あれ?)

 慌てて顔を出した時には、雪男は既にいなくなっていた。

「……まずそうだったのかな」

 それってちょっとクツジョクというやつだ、きっと――落ち葉を口に咥えながら、そんなことを思った。



「何してるんだ、フィル?」

「美味しく見えるように、でも食べられないですむようにしてるの」

 翌日、フィルは大事な、大事な取って置きの焼き菓子を、小さな小袋にいくつにも分けて詰め、服のあちこちに縛りつける。

「よし、いい匂い。じゃあね、爺さま、婆さま。期待しててね」

 そう言って山に駆け出していく。

「…………謎だ」

「あの子はいつだってそうでしょう」


 だが、結果は惨敗。今度は生け捕りにしようとロープ片手に木の上で張っていたフィルだったが、雪男に足元の枝を槍で切断されて、落下するところを捕まえられた。

 再び猫の子にするように宙吊りにされたが、収穫はあった。

 雪男もフィルと同じく焼き菓子が好きらしい。

 身の代に、身につけていた包みの一つをフィルが恐る恐る差し出したら、雪男はそれを受け取った。今度は両方の眉が上がっていた。

 もう一つの発見はそう、フィルは焼き菓子よりまずそうに見えるということだ。

 ……嬉しいけど嬉しくない。



「何で跡をつけてるってわかるんだろう?」

 三回目の失敗の後、仕方がないので罠を仕掛けてみることにした。

「お嬢さま、それ、一体何です……」

「ターニャ、知らないの? スコップだよ。土を掘る道具なんだよ。オットーが使い方教えてくれたもの」

「え、ええまあ、それはそういう道具です、けど……」

「山歩き、ですよね……?」

「今日こそ!」

 管理人夫妻を前にそう気合を入れて、フィルは自分の背丈ほどあるスコップを背負ってよろけながら走っていく。

「あなた、お嬢さまは今度は一体全体何をなさる気なのかしら……」

「私に聞かないでくれ……」


 餌は焼き菓子。木の上から吊るす。そして、その下に落とし穴。

 一人で掘るのは大変だけど、なんせ雪男だ! その価値は十分すぎるくらいにある。

 ちなみに、あの雪男は平和な魔物のようなので、怪我をしないように穴の中にはいっぱい落ち葉を敷き詰めた。

 さらにちなみに、雪ん子が見つかった時のことを考えて、一緒に食べる為の焼き菓子はちゃんと別に取り分けてある。


 木の上で息をひそめて待つこと三時間。ようやく現れた雪男は、枝の上からつるされた焼き菓子にすぐ気づいた。そのままじっと見つめている。

「………」

(見ている、見ている、惹かれてる――今日こそいける……!)

 泥だらけの顔でそう確信して、幹の影でこっそりにっこりしたのに。

「っ!」

 雪男は枝につるされた焼き菓子を槍で引き寄せると、器用にもその刃に糸を絡め、ぷつっとそれを断ち切った。

(な、なんてことだ、その手があった……)

 呆然とするフィルの眼下で、雪男は紙包みを開けると中から焼き菓子を一つ取り出して口に入れた。それから包みの口を閉じて地面に放り、落とし穴を避けて歩き出す。

「……悔しい」

 歯噛みしながら、思い出したのは『食べ物を粗末にするんじゃありません』という祖母の教え。

 次の手はどうしようと考えながら、包みを拾いに歩いて行って、

「わっ!!」

 ……自分が穴に嵌った。

 落ち葉がまたもや口に入り込む。

「……うぅ」

(考え事しながらなんかするといつもこうなんだった……)

 情けなさに落ち葉を吐き出すのも忘れて口をへの字に曲げていると、頭上から気配がした。引き寄せられるように穴の入り口を見上げる。


「おお」

 青い空と木漏れ日の手前に白い顔が見えた。雪男だ。

「お前さん、なんなんだ?」

「おおっ」

(しゃべった……)

 呆然と口を開けていて、はっと我に返ると慌てて落ち葉を吐き出した。

「フィルだよ」

 なんだかよくわからないけれど、聞かれて答えないのは失礼だ。

「なんで付きまとう?」

「雪女と雪ん子が見たい」

「……」

(あ、左眉が上がった)

「……いくつだ」

「七つ」

 じぃっと見られている気配がする。

(あ、目、見えた……綺麗なコバルトブルーだ)

「子供がこんな所に出入りするな。魔物も出る」

「知ってるよ」

「……子供は子供と遊べ」

「ヘンでフツウジャナイから駄目なんだって」

「……親が心配する」

「親ってオトウサンとオカアサンって人? いないよ。代わりに爺さまと婆さまがいるけど、二人とも心配しない」

 溜め息をつきながら、雪男は穴の淵に腰を下ろした。

(あ、話してくれるんだ)

 なんだか嬉しくて、穴から這い出そうと試みれば、雪男が槍の柄を差し出してくれた。掴まってよじ登る。

「……お前はアルのところのガキか?」

「うん」

(? でも、なんで爺さまを雪男が知って………、はっ!)

「ひょっとして新発見じゃないっ!?」

「…………新発見に、雪女、雪ん子……するとわしは雪男か?」

 ショックを受けたフィルとは対照的に、雪男は大口を開けて笑い出した。

「……」

 それでわかった。大きくて髭もじゃで、鹿の生皮を羽織っていて、音もなく森を移動するけど、雪男じゃない、人間だ。


 ちょっと残念な気もするけど、と首をひねった後、フィルは数度目を瞬かせてにっこり笑った。

(うん、わくわくする)

 それはそれで素敵な発見になる予感がした。


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