8-20.責
(大事なことだ。フィルを大切に思っているのだから、なおさら必要なことだとは思うのだが……)
「やっぱり落ち着きますね、自分の部屋って」
「……そう、だな」
騎士団の宿舎の自室。シャワーを浴び終わり、濡れ髪を拭きながら出てきたフィルを見るなり、ベッドに腰かけたアレックスは、動揺と共に視線を逸らした。
大型の魔物であるグリフィスの改良種『ザルアの悪魔』をすべて始末し、それを操っていた魔物使いを捕らえて以降、一行はほとんど休息を取ることもなく帰路を急ぎ、既に王都へと戻ってきている。
(フェルドリックは今頃休む間もなくあれこれ働いているはずだから、それを思えば自室でフィルと寛いでいられる自分は幸せなのだろうが……)
「久々にお茶を淹れましょう」
暢気に嬉しそうに呟いてキッチンへと消えていったフィルの後ろ姿をアレックスは目で追う。
(何をどこまで知っているんだろう)
そして、いつの間にか詰めていた息を吐き出した。
あの夜、フィルを抱いた。自分が彼女の初めての相手になれたことに、言い知れない安堵と感動を覚えている。というか、そうじゃなかったら今頃嫉妬で狂っていただろうが、問題はそこではない。
そう、今更ながら気にかかっているのは、一体彼女はああいった行為にどれぐらいの知識があったのだろうか、ということ――。
「……」
(そもそも……ものすごく戸惑っていた、ような……)
触れられること自体にもだが、快感を不安がって泣きそうになりながら、何度も何度も縋るように自分へと手を伸ばしてきていた。ああ、自分でも触れたことがないのか、などと思って、可愛くて仕方がなくて、その時は気にしていなかったが……。
「……」
アレックスは両腿の上に肘をつき、顔の前で手を組んで考え込む。
(そういえば、破瓜の出血にも不安そうな顔をしていたような……)
やっぱり嬉しくて気にしていなかったが。
まだある。自分のものだと主張したくて、露出しない部分に隈なくつけた赤い所有の証も、首を傾げながらひとつひとつ確かめるように見ていた。
「……まさか、」
(何も知らなかった……?)
普通なら有りえないことだが、フィルの育った環境を思えば有りえなくはない。
「……」
なら、俺は何も知らないフィルに付け込んだひどい男ということになる――その発想にアレックスは一人蒼褪めた。
本人に確認も取ったし、その後も嫌がってはいなかったと思う。翌朝も照れてはいたようだが、アレックスに対する態度に変化はなかったはずだ。
細心の気を払おうとしていたのに、白岩村の件があってすぐにそれどころじゃなくなった。
晩にニッカとマリーを連れてタンタールの要塞にやっと着いたと思ったら、報告とそれに続いたグリフィスの襲撃にほぼ徹夜。翌日は休む間もなく魔物と魔物使いを仕留めることに費やし、その夜はニッカとマリーと共に雑魚寝した。
急遽王都に引き返すことになってからは、日中はフィルに近づこうとするロンデールを牽制するのに神経と時間を使う羽目になり、夜は夜で、フェルドリックが部屋に来て叛乱の件を話し込んでいる間に、フィルは毛布に包まって寝てしまう。
起こせば、理性を保てるか自信がなかったし、あの時はそうする訳にはいかない事情もあって、あの一夜はなかったかのような空気になって今に至るわけだが……。
(合意の上、だよな? 傷つけたり、傷ついていたりは……)
ティーポットとカップを抱えて戻ってくるフィルを、アレックスは全神経をもって観察する。
あの晩流されて自分とそういう関係になったのではないと思いたいが、フィルならあり得ない答えを返してきそうな気がして、確認するのも恐ろしい。
「アレックス?」
窓辺のテーブルに茶器をおいたフィルが、ベッドから降りようともせず彼女を見つめ続けるアレックスを不思議そうに振り返った。
首を傾げながら、無防備に近寄ってきた彼女の腕を取って、衝動のままに引き寄せた。
「ア、アレックス?」
腕の中から焦ったような声があがるが、気付かない振りをする。
そして、自分の中で湧き上がりつつある不安を消そうと強く彼女を抱きしめ、金色の髪の中に顔を埋めた。
あの晩を無かったことになんてできるはずがない。
彼女のほのかに染まった肢体を、柔らかい感触を、熱に浮かされて喘ぐ呼吸の音を、潤んだ瞳で自分を見つめてきた視線を忘れるなんて不可能だ。未知の経験に怯え、快楽の中で自分に縋ってきたあの可憐さを知る前には戻れない。自分の受け入れて上げた声も、自分のために痛みを堪えてくれた健気さも、今更無かったことにはできない。
それらを知る前にはもう二度と引き返せない。現に今また彼女の感触と伝わってくる呼吸の熱に身体が反応していっている。全身が彼女を欲してしまっている。
――だからこそ、このまま溺れてしまう前に、きちんと話をしなくてはいけない。
そう思い至って、アレックスは慌ててフィルの肩を掴んで自分から離し、その顔を見つめた。
(まずい。もし、本当に何も知らなかったら……?)
「アレックス? ええと、さっきから何か……どうかしたんですか?」
(教育から始めなくてはいけないことになる……)
顔が引き攣ったという自覚はある。
「……」
(俺がするのか? それを……?)
フィルがここに来てしばらく経った頃に、淡い期待につい一つだけ手に入れてしまっていたそれ。こうなった以上、もう自制を効かせられるとも思えなくて、先ほど町で買い足してきたのだが……。
(場合によってはこれの説明も……? 想い続けてきた相手に? どんな顔をして?)
「っ」
ちゃんと話さなくてはいけないとわかっている、フィルを大事に思っているからなおさら。だが……、
(きつい、勘弁して欲しいと思うのは、情けないことなのだろうか……)
顔を覆って、ついに呻き声を上げたアレックスに、フィルが顔を引きつらせた。
* * *
窓際のソファに移動したアレックスの様子を、フィルは微妙にドキドキしながらうかがう。
彼はいつも以上に寡黙で、テーブルについた頬杖で鋭利な顎を支え、考え込むように窓の外を見つめている。
空は既に暗くなり始めていて、窓際に立つ木の向こうに一番星が見えた。
先刻、宿舎に戻ってすぐ、アレックスは「ちょっと出てくる」と言って、部屋を出て行った。再び部屋に戻ってきてからだ。彼はなんだか落ち着きがない、ように思う。
気をつけていないと見過ごしそうなくらいわずかな変化だけど、さっき抱きしめられた時も途中で固まっていたし、その後なんか呻いていたし。
(ど、どうしたんだろ……というか、私、またなんか変なことしたっけ……?)
お茶のカップで顔を隠しつつ、アレックスに目だけを向ければ、偶然なのだろうか、彼もこちらを見ていて青い瞳と視線が絡んだ。
「……」
見覚えのある目だ。あの時と同じ――猟師小屋で過ごした晩、欲しいと言われた時と同じものをその目の中に見つけてしまって、今度はフィルが落ち着きを失った。顔に血が上り、肌がざわざわしてくる。
落ちつかなくては、とフィルは不自然にならないようにカップを置き、顔を窓へと向けた。
「っ」
一呼吸もおかない間に、テーブルに置いた手にアレックスの大きなそれが触れた。全身に痺れるような衝撃が走る。身体を強張らせた瞬間、抱き寄せられ、椅子が倒れるのにも構わず彼の膝の上に乗せられた。口づけを受ける。
「ん……」
徐々に深まっていくキスの合間に響く水音と、絡められる舌の感触に我を失っていくうちに、先ほど身に着けたばかりの夜着のボタンが外されていく。
「あ……」
アレックスの息が自分の胸にかかった。舌が触れ、もう片方には指が落ちる。生じた甘い感覚に何も考えられなくなる。
「フィル、こっちを向いて」
艶を含んだ声に、閉じていた目を言われるままに開くと、青い瞳が視界に入った。
「っ」
その彼の前に、自分の淡い色の胸の頂が晒されているのが見えて、信じられないような羞恥を覚えた。
「アレック……、っ」
恥じらいのあまり抗うも、刺激によって再びなかったことにされる。
前にも聞いた、高い声が自分の唇の間から漏れ出し、それを恥ずかしいとも思うのに、堪えられない。
刺激はそのうちに下半身へと広がっていく。快感に朦朧とする間に抱えあげられ、柔らかくベッドへと落とされた。
「……いいか?」
(いいって、あの時みたいなこと……?)
覆い被さったアレックスから向けられた言葉に、全身が震えた。青い目はその間もフィルから逸れない。真剣に求められているとわかる視線に、体の芯が溶けていく気がする。
恥ずかしさに顔を横に背けつつ、フィルはかすかに頷いた。
「綺麗だ、フィル」
アレックスの指と舌に全身を隈なくなでられ、熱に浮かされたような囁きを受ける。快感以外の全ての感覚が麻痺していく。
自分でさえ触ったことのない場所へ、再び彼が触れ、舌を這わす。内側から新たな感覚を掘り起こされているような、不思議な甘い痺れが全身を包む。
「これ……、んっ」
「フィルが俺のものだっていう証拠」
かすかな痛みと共に、以前見た赤い花びらのようなものが全身に散らされる。俺以外の誰にも見せないで、という声に肌があわ立った。
以前の痛みを思い出したせいで不安な顔をしていたのかもしれない。アレックスが苦笑した。
「辛かったら俺の背に爪を立てたらいい。それでもどうしてもきつければ、やめるから」
優しく髪を梳いてくれて、大丈夫だと思えるようになるまで何度もキスが降る。大事に扱われているとはっきりわかる彼の仕草に不安が消えていく。
「あっ」
「っ、フィル……っ」
彼が自分を満たす、その感覚に全身が染まる。
「ん……大丈夫、か、フィル……?」
熱に浮かされたような声が鼓膜を打った。フィルは閉じていた眼を開け、頬を染める。アレックスが陶酔するような表情で自分を見ている。
――そうさせているのが自分だというなら、こんなに幸せなことはないかもしれない。
そう感じた瞬間、ポロリと涙が一滴零れた。
「フィルっ?」
「平気、です。ええと、幸せだなあって」
焦り顔から一転、彼は苦しそうに顔を歪めた。
「あまり不用意なことを言わないでくれ、加減できなくなる……」
返事を返す間もなく、今まで数度しかしたことのないような激しいキスが始まる。それと同時に彼の動きが激しくなって、すぐに意識は飲み込まれた。




