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そして君は前を向く  作者: ユキノト
プロローグ
1/266

目睫

「フィルおかえり! 試験難しかった!? でも、フィルだもん、受かったでしょう!?」

 無邪気に駆け寄ってくる男の子を抱き止めて、丁寧に抱えあげる。

「ばか、そんな言い方したら、落ちてたって言えなくなっちゃうじゃないっ」

 そして、息を切らせてその後を追ってきた少女の言葉に、思わず苦笑を漏らした。

「大丈夫、ちゃんと受かったよ」

 その瞬間、男の子の顔は輝き、少女の顔は微かに曇った。

 

「っと、ほら、暴れない。危ないよ」

 すっごーいと叫んで、興奮のあまり足をじたばたさせ出した男の子を落とさないように抱え直す。

「ねえ、試験ってどんなだった? フィルがやっぱり一番だった? 強かった? ねえねえ、試験怖かった?」

「ええと、」

 男の子の矢継ぎ早な質問に答えようと口を開いた直後、彼はこちらの肩を押して地面に降ろすよう、促した。

「あ、今日、ごちそうなんだった、俺、母さんに知らせてくるっ」

 それから、そうにっこり笑って駆け出していってしまった。

 

 赤く傾いた太陽によって、残された二つの影――俯いたままの少女の小柄な影と自分の長い影が石畳に落ちている。動かないその二つは、家路に向かう人々で忙しない通りの中で浮いて見えた。

 

 膝を落として、先ほどからいつもと様子の異なる少女の顔をのぞき込んだ。

「どうした、メイ? 元気がないね」

「だって、フィル、うちの宿出て行っちゃうんでしょう?」

(寂しがってくれているのか……)

 そう思い至って微笑むと、少女の手を取り、宿に向かって一緒に歩き出した。少女の倍ほどに長い自分の影が、少女のそれの隣でゆっくりと動いている。

 

「また遊びに来るよ」

「本当? 本当に来てくれる?」

 小さな影が大きな影の頭を目一杯見上げている。

「うん、だって、騎士団の宿舎は同じ街の中にあるわけだし。最初の休みをもらったら、必ず寄るから」

「絶対ね、約束よ! あ、あとね、騎士団に行ったって浮気は駄目よ、私がフィルのお嫁さんになるんだからね?」

 影から目を離すと、少女に向かって再び微笑んだ。少女の瞳はやはり無邪気な期待に満ちている。

 その視線に促されて彼女の頭を撫でると、一瞬羨望にも諦めにも似た感覚が体を走り抜けた。

 

「フィルー、おめでとさーん」

 宿の裏戸で、女将が手を振っている。

 少女は自分の手を離すと母の元へと駆けて行き、その胸へと飛び込んだ。

 

「……」

 なぜか寂しい気分になりながらその光景を見つめていて、それから赤く染まった空を見上げた。

(帰る場所、いるべき場所、大事な人――)

「いる、よね?」

 そう、この空の下に。


 見つかるだろうか? もう顔も朧気だ。

(でも……絶対に見つける)

 ずっと追いかけてきたその人を思い浮かべて、胸の前でぐっと右拳を握った。

 そうしたら、そうしたら今度こそずっと一緒に……――。



* * *



「……夢」

 ――何度も何度も、繰り返し見る夢。


『大好き』

 そう言いながら、大事で仕方のなかった子が自分を見て微笑む。もう顔も思い出せないのに、夢の中ではなぜか自分はそれがその子の声だとわかる。

『一緒に行こう』

 自分の手を引いて、その子が豊かな自然の中を駆けていく。もう顔も思い出せないのに、その瞳の色だけは変わらずに鮮やか。

『こっちだよ、特別な場所なんだ』

 嬉しそうに得意そうに、その子が自分に笑いかける。もう顔も思い出せないのに、繋いだ手の温もりにいつも泣きたくなる。


 幸せで、とても大切な思い出の一場面。だが、それにはいつも続きがある。

 モノクロの中で、彼女の額から吹き出す鮮血の赤。それにその小さな身が徐々に染まっていく。

 倒れた彼女に魔物がにじり寄り、自分の目の前で彼女の身へとその牙を突き立てようとする。

 ひどく残酷なその場面は、自分を延々と苛み続ける。

 

 その続きはいつも様々だ。

 そのまま彼女が死んでしまう場合もあれば、助かる場合も。助かった彼女が泣きながら抱きついてくる場合もあれば、自分を軽蔑の目で見る場合も。

 現実と虚構、願望と恐れが交差して、その夢の後はいつもひどく消耗して目が覚める。

 

「……」

 額ににじんだ汗に苦笑しながら身を起こして、窓の向こうでもう日がかなり高く上がっていることに気付き、さらに苦く笑う。

 元々朝は得意なほうではないが、昨晩考え事をしていたせいと今日が休みであることとで、随分気が緩んでいたらしい。時計の針は既に十一時を指している。

 

「……どうしているかな」

 会いたい。けれど、自分にその資格があるとはまだ思えない。

 けれど、どうしようもなく、会いたい。

 だからこそ会えない。

 

 ベッドから立ち上がってゆっくりと窓に近寄ると、まだ夏の名残を残した日差しに目を細めてからそこを開け放った。室内に流れ込んできた茹だりを含んだ空気に、少し伸びた前髪があおられる。

 そして、その隙間の向こうに広がる、彼女がいるだろう西の方角の空を見つめた。

 

「……あと半年」

 そうしたら、そうしたら今度こそずっと一緒にいられるだろうか――。


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