非日常の予兆 5
「さて、と。ちょっと待ってて」
せっかくなので、ヒロにCDを貸してあげよう。そう思って立ち上がると、ヒロは不満げだった。
はて、何かしたっけか?
視線で訴えかけると、ヒロは口を開いた。
「なんで、僕のこと避けるの?」
「避けてなんかないよ」
「じゃあ、どうして僕と一緒に居てくれないんだよ!? 今日だって、告白されていたし……」
いや、さすがに今日のは特別な気がするのだけれど。
それに、やっぱり今日のは何か違う。
どこかイライラしているヒロに何を言っても無駄だと分かっているんだけれど、どうにかしたい。
「僕は磨夜ちゃんが心配だよ」
私は君が心配。いつも君の事しか考えていないんだよ。まるで、呪いのように君を思っているんだよ。
だから、ヒロを大切に大切に扱ってきたつもりだったのだけれど。
久々に会った幼馴染は、大変独占欲が強いお方であって、しかも一度キレるとなかなか止められない。
このままじゃ、埒があかないよね。
「ヒロのためにCD取りに行きたいんだけどな」
部屋のドアに手をかけながら言うと、ヒロは下を見ながら小さな声で「ずるい」と言った。
私にしてみたら、ヒロの方がよっぽどずるい気がするけど。
「ちょっと、待っててね」
そう言い残し、部屋を後にして階段を上がる。
静かな中に私の足音だけが響く。
こんなに近くにいるのにね。
「ずっとずっと、遠いひと」
近くに在るのが正しいとは思わないけれど、遠くに離れると寂しい。
寂しいのに、やっぱり近くに来ると、少しだけ怖い。
この恐怖は、多分嫌われたら生きていけないだろうという、そういった毒のようなものだと思う。
それが、なかなかヒロには伝わらない。伝えたいとも、思えないんだけど。
自室に入り、投げ出されたように置いてあるCDを手に取る。
ヒロをあんまり待たせると面倒になるな。
そそくさと、戻り始めた。
「たっだいまー」
階段を半分くらい下りたところで、玄関から声がした。
ヒロにしては可愛い声、ってことは有り得ないほど女の子の声なので、多分那乃だ。
「おかえり」
階段を降りながら挨拶すると、那乃は動かない。
那乃はいつでも不思議ちゃんだけど、今日はいつもより変だ。
「おねーちゃん……」
やっと顔を上げたかと思えば、いきなり叫び出した。
「おねーちゃんが男を連れ込んでる!!」
那乃の足下にはヒロの靴があった。
え、っと。それは那乃もよーく知っている人の物で、別に連れ込んでいる訳では。
いや、言葉としては連れ込んでいるで間違ってないんだけど、ニュアンスが違うよね。連れ込むって、つまり、そういうことを言いたいんだよね?
言いよどんでいると、リビングから「ガタン」という音が聞こえてきた。
ヒロ、何かあったんだろうか。
何か、怒っているような気が……?
今の声、聞かれたよね? それで怒ってるのか。
確かに、彼女でもない女に連れ込まれたって、気にすることなのかもしれないけれど……。
それにしては、禍々しい気配がするのですがっ!?
すぐにドアが開き、機嫌が度を超えて悪いヒロが出てきた。
うわー、どうしよう。
「磨夜ちゃんが男連れ込んでるって、聞こえたんだけど?」
「ヒ、ヒロ!?」
「ねえ、どういうこと? 磨夜ちゃん。どこにその間男がいるの?」
どす黒い空気が今にも家を倒壊させんばかりに、張り詰め漂っている。
間男ってことは、どっかに男の人を匿っているって思われてるんだろうか?
ヒロの考えることは、180度おかしくて、誤解を解くのが難しいんだよう。
それにしても、マズい。誤解を早く解かないと、大変なことになる!
那乃はヒロのこと言ってるのに。
「今日の男だけじゃないんだ? 磨夜ちゃん」
「だからっ! 私が連れ込んでる男は、ヒロ以外にいないでしょ!?」
気がついたら、私は叫んでいた。
「……へ?」
「おねーちゃん、趣味わるうー」
「はっ!?」
私は言ってしまった内容に固まり、ヒロもぽかんとしている。
那乃だけはつまらなそうに自分の部屋へと上がっていった。
「僕、磨夜ちゃんに連れ込まれた……?」
「い、いや……あの……」
なんでそんなに嬉しそうなんだ!?
恥ずかしくて顔を上げられず、ぐずぐずしていると、ヒロは空気を変えた。
「磨夜ちゃん。那乃がいるし、今日はもう限界だから、明日また会おうね」
「限界?」
「そ、それは深く突っ込んじゃダメだよっ! じゃ、じゃあね」
ヒロはそう言うと、すぐに帰ってしまった。
「あ、CD」
渡すのを忘れたそれを持ち、私はしばらく立ち尽くした。
「また、明日……」
伝えられなかった言葉を呟き、しばらくその場に立ち尽くした。