非日常の予兆 4
「さて、と。帰ろうか」
私はヒロに向かって言うと、彼は頭をこくんと上下に振った。そんなヒロを見て、わずかに笑みが漏れた。
さっきの緊張感が、それをさせたのかもしれない。
まだ、手は繋がれたままで、離してもらうか、このままでいるべきか迷う。
もう少しこのままで痛いと思う気持ちがある。それは、さっきの原ちゃんとの件でとても疲れてしまったためであり、微妙に違うともいえる。
深くは考えない。それが、今は大切だ。
「ヒロ。もう平気だから、手を離してもらえるかな?」
「それはダメだよ! だって、迷子になるし」
それって、幾つの子の話だよ!?
そう突っ込みそうになったけれど、とりあえず手を解くことを優先した。
ヒロは私が本気でそれを望んだら、拒まない人間であることを知っている。
では、どうして私がヒロにされるがままなのかというと、結局、私の意志が弱いせいなのだと思う。
「久々に、うちに来る?」
「う、うん……」
「ねえ、ヒロ。さっきから、ほっぺた赤いんだけど、風邪じゃない?」
「ち、ちがうよ! 気にしないで」
焦る彼に、わずかに眉を寄せる。
勝手なときは、勝手で、てこでも動かないときがあるのだけれど、ヒロは結構無理をするからなあ。
ちゃんと察してあげないと、取り返しのつかないことになる。
「まあ、いいや。早くあったかくしよう」
そう言う私に、頬を緩ませる彼。
温かい気持ちになるけれど、これからが恐い。
原ちゃん、大丈夫なんだろうか。
それだけ、彼の「魅力」はすごいから。人を一人、おかしくしてしまうなんて、簡単だから。
こんなこと、決して口にはしないけれど、不安なんて、この世界からなくなってしまえば楽なのにな。
黙々と歩き、やっと家の前へ着く。
「ねえ、ヒロ」
「なに?」
「えーと……なんでもない」
何を聞けばいいのかも分からなかった。
原ちゃんのことを蒸し返して、彼の機嫌が悪くなることを私は望んでいない。
「レモンティ淹れてあげるね」
「うん」
だから、私は目先にある楽しいことに逃げた。これから起こるであろう事実から、目を背けてしまった。
「ちょっと待っててね」
ソファーに上着を投げ、鞄を床に置く。
私は冷蔵庫からレモン果汁の入った容器を取り出し、紅茶を入れる作業にかかった。
一人分入れることの出来る透明なポットで、茶葉を上下させる。
うん、美味しそうだ。
「ヒロ、戸棚からお菓子だして」
「うん」
いつもお菓子を置いている場所は一緒。
大体、一日分のお菓子がいつも入っていて、無くなると補充されるという、その戸棚は、昔から重宝さえている。
特に子どもだった私たちには。
「あ、クッキーだ」
ヒロがその棚を開けているのも、久々な気がする。
昔から無邪気な彼の笑顔に、胸の奥がちりちりする気がするが、無視した。
「はい、じゃあ、ティータイムね」
私の声に、ヒロの笑顔が合わさって、断片的ではあるけれど、懐かしい記憶が蘇ってくる。
ティータイムという言葉が大人っぽくて、カッコいい気がして私はヒロによく言っていた気がする。
本当に懐かしいな。
「磨夜ちゃんのティータイム、大好きだよ」
「!?」
ちょっと、ヒロ。それって確信犯!?
心臓に悪い言葉を吐かれ、必死に「好きなのはティータイム」という言葉を心の中で繰り返し唱える。
まったく、酷いんだから!