存在の喪失
「ヒロ。とりあえず、席に着こうか」
「……」
私は居心地悪く、席に着いた。
隣でむっつりと黙り込んだヒロが、机の上を睨みつけながら私と同様に席に着いたのを見届ける。
ヒロが! ヒロが怒ってる……。
静かに燃えるような怒りは、場の空気を凍らせた。
早くこの場所から去らなければ!
そう思って、一気飲みをするように頼んだドリンクを飲み干し、二人に「今日は本当にありがとう」と告げる。
ヒロはそんな私を一瞥すると、視線を元に戻した。その一動作以外全く動かず、置物のようになっている。ちなみにどんな置物かと言うと、背後には闇が付いてくる曰くがありそうな置物だ。
そんな私たちのお礼に藤沢君は苦笑して、瞑子は青ざめた。
「ヒロもありがとう」
「……」
子どもじゃないんだから、と言うべきだろうか。
そう言えば聞き分けが良くなるのならそうしたい。
じっとヒロを見つめるが、彼は机を睨みつけるだけで、全く反応しなかった。
「ヒロ、帰ろうか」
この後、彼に予定があったかもしれないが、私はお構いなしに言った。
来たくなかったら、きっと断るだろう。
やっと虚ろな目が私の目と合った。
もしかしたら、怒っているのではないかも。これは、どちらかというと――。
「かえる」
動詞がぽんと帰ってきた。ヒロはそれ以上何も言わずに鞄を持って立ち上がった。
また、視線が合わなくなる。
連れ立って歩き出すが、無言。私と話がしたくないというオーラが出ていて、困り果てる。どうしてこうも子どもなのか。
「今日、芝葉馬公園に五時の約束にしたんだ。一応、みんなにメール回したから」
「そう」
「ヒロ、あのね」
「磨夜ちゃんは、僕が傍に居ない方が良いんだね」
感情が込められていない言葉に、ぞっとする。
私は、彼を怒らせてしまったのか。どうして、こうも上手くいかないのだ。だって、私はこの方傷つけたくなんか無いのに。
「磨夜ちゃんは僕が引き起こす事態に巻き込まれてしまうから。だから、僕の隣には居れないんでしょう? 何度も離れて、そして僕が君を引き寄せて、また離れて」
確かに私はずっとヒロとは距離を置いていた。でも、傍に居たかった。あれ、どうして? 疎遠だったじゃないか。でも、私は彼を守るって決めたから、それを実行していて。
頭が痛い。こんな矛盾、ずっと感じていた。
でも、いつから? 何回同じ事を思ったんだろう。
ヒロを優先しているよね、私。間違っていないよね?
「僕から離れれば、幸せになれる?」
それは、いつかの彼と重なった。
それが、いつの彼だったのか分からない。
彼のことは、誰よりも知っている。でも、近くに居る誰よりも記憶が少ない。
「私の幸せは……」
そんなもの、必要ない。
私の使命は彼を守り抜いて、彼を幸せにすることなのだから。
恐れ多い、私の主。
「私の幸せは、貴方と共に」
にこりと微笑めば、ヒロ様は驚愕した。あれ、どうされたのだ。
私がおかしなことを言ってしまったのだろうか。
「磨夜ちゃん、じゃない……」
何を言っているのだ、この方は。
「クリスマス、私と過ごしてくださるんですよね?」
「え、うん」
「じゃあ、それで良いじゃないですか」
深く考えるからいけないのですよ。私は貴方のために存在する磨夜でいいのです。
そう、だからずっとこの精神を少しづつ乗っ取ってきたのだ。
貴方の記憶を消し、貴方への想いを消し。貴方のない磨夜は存在できないから。
それに貴方にとって危険な原とかいう女も出てきたので、それも排除しなければいけない。
「良くないよ。良くない!」
何がいけないんだ。だって、貴方が欲したのは世界を見て回る能力――私だったじゃないか。今更、要らないなんて言わないでください。
「欲しくないんですか? 私が」
「磨夜ちゃんは欲しいよ!」
それは嬉しい。だって、貴方に必要とされるために私はすべてに耐えてきたのだから。
「すべては貴方のために」
ずっと、こうやって隣に立ちたかったのだ。私は貴方の手を引かなければいけない存在だったし、同時に後ろに控えていなければいけない存在だった。
こうやって、幸せな世界で幸せな表情をしている貴方を見たかった。
「クリスマス、どうしましょうか」
ヒロ様が拘っていたのに磨夜は気づいていないのか、そっけなかった。
「君じゃない。磨夜ちゃんと過ごしたいんだ」
「私が磨夜です。小さい頃から、貴方を守ってきた磨夜です」
この言葉に、ヒロ様は憤った。何故だろう。こんなに怒られるようなことをした覚えはなかったのに。私が何か粗相をしてしまったのだろうか。だったら、謝らなくてはいけない。でも、何を? 何を謝ったら許してくださるのだろうか。
この方に疎まれることは許されない。もしそんな存在になるとするなら、私は私を消すべきだ。だって、この方を守るために私は存在するのだ。害して良い訳が無い。
「もう寂しい思いはさせませんよ」
「何、言ってるの?」
「傍に居て欲しいというなら、可能な限り傍に居ます。朝も昼も夜も。だって、お隣なのですから、怪しまれたりもしないでしょう」
「……何それ。確かに、磨夜ちゃんが一日中僕の傍に居て頭をなでてくれたり、キスしてくれたり、それ以上のことをさせてくれたりしたら、そりゃ死ぬほど嬉しいよ。でも、僕には分かる。君は磨夜ちゃんじゃないって。僕の魂は呪われているんだ。だから、分かるんだよ!」
また、そんな言葉を使う。
「貴方は呪われているんじゃない。高貴なだけです。ただ、少し境遇が違ったから。あの勇者と呼ばれる浅はかな人間と」
「……君は、何を知っているの?」
まだ真っ白な貴方を、真っ白な場所に幽閉して、黒く染め上げたあの場所を知っている。
だから、私は選ばれ、そして選んだ。
「貴方を守る術を知っています」