私にできること
「で、磨夜ちゃん」
綺麗すぎる顔が、私を見ている。
胸が不自然に動いたけど、気のせいということにした。
「何? ヒロ」
苦笑しながら返すと、ヒロは距離を詰めてきた。
「二股って、何かな?」
にこりと微笑まれたようだが、目が全く笑ってない。
う、怖い。
無言の重圧が肩を重くする。
「原ちゃんが、適当なこと言っちゃっただけだよっ!」
これ以上、ドツボにはまりたくなかったので、焦って私こそ適当なことを言った。
――たぶん、ヒロと藤沢君のことだよ。
なんて言えるわけない。いや、原ちゃんもただの嫌がらせだっただけかもだし。
こんなこと言ったなら、完全なる自意識過剰として笑われるに違いない。むしろ、笑えない。
だいたい、原ちゃんは何であんなことをしたんだろう。
原ちゃんはヒロのファンだって言ってた。
でも、何で私とヒロが知り合いだって知ってるんだろう。
ヒロは大学では私と接触を図ったことはないし。
――それは、本当?
那乃もヒロも、私が何か忘れてしまっていると……。
――何を忘れてる?
遠い記憶を取り戻さなければいけない気がする。
悲しくて、温かくて。
忘れてはいけない大切な人の記憶だ。
何故、忘れてしまうのか。
いや、そもそもそんな記憶は存在するのだろうか。
「磨夜ちゃん、落ち着いて」
「う、うん」
ヒロの声が深く沈んでいた思考の底から呼び戻してくれた。
これ以上、考えるとおかしくなりそうだ。
うん、止めよう。不毛すぎる。
ヒロだって、止めて良いって言ってくれたし。
卑怯な言い訳を頭の中で正当化しながら、やはり忘却するべく努力した。
「磨夜ちゃん」
「大丈夫。ヒロ」
大切にされていると、思う。
必要とされていると、思う。
不安になるのは、私が勝手だからだとも、思う。
しかし、現状として、悠然と構え続けるのは、普通は不可能だ。
彼はとても私の手に入りそうな人間ではなかった。
綺麗で、どのような相手であろうと例外なく魅了することができる人。それでいて、孤独を感じ、子どもらしい独占欲を併せ持っている。
不思議な力もある。
私が彼にとって、特別であるのは、またこれからもあり続けるのは、彼の力が私だけには効づらいということが挙げられる。全く効かなくする方法もあるらしいのだが、それは知らなかった。
「忌々しいね」
彼は自分の能力について、度々こんなことを言う。
絶望したように、切々と。
私だって、特別じゃなければ良かったのに、とたまに思う。
しかし、きっと特別でなければ、隣には居られなかったのだろう。
ただのその他大勢に、私は今更なれそうもなかった。
結局、私も貪欲な人間だ。
「僕がこんなじゃなければ、磨夜ちゃんと2人でまったりじっくりしっぽりできたのに」
ヒロはたまに訳の分からないことも言い出すが。
内容がニュアンスで伝わってきて、赤くなれば良いのか青くなれば良いのか……大変困る。
彼は、私が考えこんでいる間ずっと、私を見ていた。
眩しいものを見るように、目を細められて、どきまぎする。
困ったように微笑めば、彼も力を抜いて笑ってくれた。
「こらこら、2人の世界に入らないでってば」
「ごめんっ! そんなつもりじゃ……」
那乃にじとりと見られて、慌てて弁解しようとするも、何と言えばいいのか分からない。
ヒロは無言だし。
「それで、どうするの? 今回はかなりヤバいっぽいから、何か手を打っとかないとダメだよ」
那乃の言う通りだ。
原ちゃんが、これ以上大変なことをしないために、私は何ができるだろう。
「とにかく、原ちゃんを呼び出すよ」
「ダメだ。危ないよ、磨夜ちゃん」
私の提案を即刻不可にするヒロ。
「で、でも……」
「ねえ、磨夜ちゃん。僕に任せてくれない? すぐに何とかしてあげるよ」
どうするんだろう。
那乃が横で眉間に皺を寄せているところをみるに、きっとあまり良いことをしないんだろう。
「磨夜ちゃんが言ってたことは守るから」
きっと、ヒロは私との約束は守ってくれる。
原ちゃんに危害は加えないんだろう。
ただ、不安に思う。
ヒロは非常に怒っている。
無邪気に非道なことをたまにする彼に任せるのは、絶対に良くない。
だいたい、彼は人の一生を簡単に壊すだけの力がある。
原ちゃん自身に何かしなくても、周りを動かして何かするかもしれない。
それは、原ちゃんに申し訳ないし、何より彼の品位を落とすことになる。
そんなの嫌。
結局、私は彼に綺麗でいて欲しいのだ。
何て浅ましい考えなのだろう。
「やっぱり、話合いをする。ヒロも隠れて見てて良いから。ダメかな?」
「磨夜ちゃんを上から下まで眺めてていいって許可?」
「え、いや……」
「うん。死ぬほど見るから、安心して!」
いや、それは無理。
口にできないのは、ギラギラした瞳が怖かったから。
「とりあえず、信用できる友だちも連れてった方がいいよ。この変態は何するか分かんないし」
「う、うん……」
ヒロを変態扱いするのは気が引けたが、本人があまり気にしていないようなので放置した。
「おねーちゃん」
「うん」
「頑張ってね」
那乃は、笑顔でそう言ってくれた。
私も笑顔で返す。
「磨夜ちゃんが笑顔を向けて良いのは僕だけだよ!」
不安でいっぱいだけど、君のためなら、何でもできる。
それが私の――私たちの使命。