文献 1
彼は何度も読み返したその文献を手に取った。
切なげに息を吐き、指を震わせながら、ページをめくる。
古ぼけたその冊子は、今にも崩れ落ちそうな程、古かった。
表題はない。
著者の明記もない。
しかし、それを誰が書いたのか、彼は知っていたので問題はなかった。
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酷く冷たい石牢に、尊く可愛らしい一筋の光がこぼれていた。
その光は神々しく、本来ならば私などが関わって良いものではなかった。
しかし、私に与えられた使命を全うし、死を迎えるまで。
そんなにも長い間、光を目にする許可が下りた。
最初は悩んだ選択だが、やはり間違ってはいなかったと思う。
かのお方と一緒ならば、どんな結末になろうとも、私は耐えられると確信していた。
石牢の内部の硬質な床には、薄く僅かばかりの柔らかさをもつ、黒い布が広がっている。
私の靴は重たく、守りのために硬くできていた。その靴が床に当たりコツコツいってしまうくらいに、布は意味がなかった。
農耕をして生計を立てている人たちには十分な、しかしかのお方には劣悪な環境であると思う。
かのお方は、その床に細すぎる足を垂らし、ぶらぶらと前後に振っておられた。
その様子を横目に見つつ、目の前の机に、食事を並べていく。
それをどこか嬉しそうに見つめる目に、やはり光を感じた。
細々としか与えられない食事に、ありがとうと告げる声がする。
貴方様は、このような場で生きる人間ではないでしょう?
このような場で死ぬ人間でもないでしょう?
それなのに、国のためにと幽閉される、我が君。
「どうしたの? 怖い顔をしてる」
「貴方様は王になるお方なのですから、そのような行動はお止めください」
「王とか王じゃないとか、関係なしに、ノースが止めて欲しいんなら止める」
足をピタリと止め、私を見るお姿が酷く幼げで可愛らしい。
だからだろうか。余計にやるせなかった。
「申し訳ありません。失礼を」
「どうでもいいよ、そんなこと。それより、笑って。僕、君の笑顔が好きなんだ」
幼い貴方様に、私はあまりうまくない笑顔を見せる。
笑顔には自信があまりないが、かのお方だってそこまで期待はしていないだろう。
案の定、納得したのか、かのお方は食事を開始した。
机の上を一通り見た後、銀のスプーンを使い、スープをすする。
そのお姿を眺めながら、想いを馳せる。
貴方様のためでしたら、何でも捧げましょう。
腰に下げた剣も、どこに行ったとしても通用する知識も、家事であっても、全て貴方様のためだけに。
私は貴方様のためだけに存在するのですから。
白い衣から、日にまったく当たったことのない素肌が覗く。
やつれた頬に、微かな笑みが乗り、私を感動させた。
「ねえ。僕、笑えてるでしょ? 練習したんだ」
「ええ。素晴らしい笑顔です」
その返答に満足して貰えなかったようだ。
ぼそぼそと「そうじゃなくって……」と呟きながら、また足をばたつかせている。
どうやら、私の可愛い主は、褒めてほしいらしい。
「はい。さすが、我が君」
「むう。そうじゃなくって、ほら、……かっ……いとか……」
最後の方はごにょごにょ言っていて、あまり良く聞こえなかったのだが。
私は本当に……駄目な奴だ! どのようなお言葉であろうと、主の言葉を聞き逃すなどっ!
「ちょっと、何で落ち込んでるの!?」
私が昏々と考えこんでいると、主は驚いたようだった。
「申し訳ありません」
「いいよ、もう。ノース」
「はい」
「僕、早く……」
――この場所から、逃げ出したい。
貴方様がそれを望むなら、私はこの印に誓いましょう。
この馬鹿げた場所から、貴方様と共に抜け出すと。
私が死んだとしても、私は絶対に成し遂げてみせましょう。
「仰せのままに」
「ノース、ありがとう」
感謝の言葉なんか、必要なかった。
結局、私と貴方様は主従関係にあって、そして――
「ノース、次の食事は何?」
そして――の続きは記すことすら叶わない。
【サクラム歴七年 サラの月の1】