放課後 3
彼は私の手を取って、ニコニコと笑っている。邪気の全くない笑顔に全身の力が抜け落ちた。
いや、あんなことあった後に、こんな無邪気な様子を見せられて……。
でも、あんまり恐いと思えない。
自分の境遇に、少し疑問が残る。
「机、戻さないと」
思考を途中で中断した私は、後ろの倒れた机や椅子を直そうと振り返る。
きっと、滅茶苦茶になっているだろう。
「ヒロ?」
後ろに引っ張られる力を感じて、そういえば手をつないでいたのだと思い出した。
彼はどこか思いつめたような顔をしているようにも見える。しかし、それは一瞬のこと。
私は、呆れたような、気恥ずかしそうな表情をしながら、彼に行動を促した。
「机直すから、離して欲しいんだけど」
「ええー」
頬を膨らまし、甘えた態度を取る彼に苦笑を漏らす。
空いていた手で頭を撫でると、彼は微笑み、私を解放した。
今まであった体温が失われ、ほんの少し寂しく思う。
「アイツと付き合ったりしないよね?」
「告白すら、されてないよ」
「でも、アイツは絶対に磨夜ちゃんのことを好きだよ。だから、ダメだ」
「分かってるよ」
私に離れて欲しくないことは十分承知している。そして、その理由も。
だから、私にはそれしか言えない。
「机、早く戻そう。帰れなくなると、困るでしょ?」
「僕はそれでもいいけど」
「え? 何か言った?」
机を床に引きずった音とあまりはっきり言ってくれなかったせいで、ヒロの言葉がよく聞こえなかった。
「ううん。いいや」
「そう?」
**
全ての椅子を元に戻し終わった頃には、もう完全に夜になっていた。
まあ、大学生ですし?
気にしなくても平気だったけど、ポケットから携帯を取り出し、家に素早くメールを送った。
そんな様子をずっと彼は眺めていた。
「僕も、同じの欲しい」
携帯を熱心に見つめているってことは、同じ携帯が欲しいんだろう。
ヒロは私と同じものを欲しがるところがある。
けれど、私の携帯は赤色だ。あまり彼に似合いそうな色でもない。
「赤色なんて、ヒロには似合わないよ」
「血の色だから?」
「違います。ヒロには、どっちかって言うと、水色とかシルバーのほうが似合うよ」
「それは、願望でしょ? 僕にそういう風になって欲しいって、思ってるんだよ」
そんなことはないのだけれど。
繊細な君には、やはり銀や水の清涼な色が似合うと、私は純粋に思った。
たぶん、言っても無駄だろうけれど。
「僕が、魔王だから?」
彼は悲壮をその言葉に封じ込めている。
どうしたら、その呪縛から救ってあげられるんだろう。
私には無理なのだろうか。
彼は、別になりたくて魔王という存在になったわけでも無いし、特に周りと害することを是としているわけでもない。
気にすることはないんだ。
「そういうつもりじゃないし、関係ないよ?」
「でも、そういう穏やかな人間になって欲しいんでしょう? こんな風に机を飛ばしたり、普通じゃないのが嫌なんでしょう?」
思いつめたヒロは、結構バカな事を言い出す。
「確かに恐いけど、でもそれ以上にヒロのこと大切に思ってるし、今更言うことじゃないよ。 生まれ持っちゃったものは、仕方ないよ。私がヒロのこと、怒らせないように気をつければいいだけだし、大丈夫。それより、早く帰ろ?」
「う、うん……」
横を向いて顔が見えなくなってしまったけれど、鞄を担いだので、一緒に帰る気になったのだろう。
しかし、こんなに長く幼馴染をやっていたのだ。
今更、彼のことが少し恐いだけで、離れられるとも思えないことをどうして理解してくれないんだろうか。
第一、彼は私を傷つけない。
絶対に。
「一番、安心できる場所なのに」
小さく呟いた声は、ヒロには届かなかったらしい。
いつか、ちゃんと告げなければいけない。
でも、もう少しこのままで居たかった。