苦行の喫茶店 5
「俺も引き寄せられちゃったわけ」
困ったように笑う顔は、逃れられない運命を憂いているようだった。どこか寂しげな瞳に、胸が締め付けられる。彼はその事実を知った時、どんな気持ちでいたのだろう。
一方、ヒロはそれを冷静、というよりは忌々しげに聞いていた。
「ふうん。勇者ね」
ヒロは藤沢くんの立場を少なからず、理解していたようだ。鈍いようで、鋭い彼の思案する表情はどこか暗いものを感じさせる。しかし、天使のような造形をした彼は、どちらかというと人に愛されそうなのだが。
少なくとも、魔王ではないだろう。
「まあ、みんな何か困ったことがあったら、おいで」
マスターさんはさっくり私たちに伝えてきた。
軽く、そんなことを言っても良いんだろうか?
だって、世界を動かす力だよ!?
「磨夜ちゃん。この軽薄そうな男より、僕を頼ってね」
「いや、早川が一番あてにならないだろ」
即座にツッコミが入る。
「君はいちいちうるさい」
私はふう、と息を吐いた。
「ヒロ、失礼でしょ。そういうこと人様に言っちゃダメ! っていうか、マスターさんに謝りなさい」
マスターさんは私たちの様子を見て、くすりと笑った。
「魔王に謝らせようとする子、初めてだよ」
この言葉にはカチンとくる。
「魔王、じゃなくて、私はヒロに言ってるんです」
ヒロはヒロであって、もしかしたら魔王と呼ばれるような人なのかもしれないけど、未だに人様に顔向け出来ないような悪いことはしていない。
彼は普通に生きて、普通に周りともやってきているのだ。
こうやって、理解してくれる人たちだからこそ、余計にヒロをただ「魔王」と一括りにして欲しくなかった。
そんな考えを理解してくれたのか、マスターさんは睫毛を悲しげにふせた。
「そうですか。不快にさせてしまったみたいですね。申し訳ありません」
「い、いえ。先に失礼なことを言い始めたのはヒロですし」
私もちょっと失礼なこと言ってしまったし。
ああ、困ってしまった。
気まずい空気が流れる中、完全に硬直して。自分がとても情けない。
「……すみませんでした」
隣から、ヒロの謝罪の声がした。
「普段なら、こんなことはないのですが、磨夜ちゃんが関わっていることなので、過敏になりすぎていたみたいです」
「確かにな」
即座に藤沢くんが同意する。
「だから、藤沢……うるさい」
敬語を使うヒロは、新鮮だった。久々に見た。
私の前と他の人の前では、態度が違うと知っていたけれど……。
「磨夜ちゃん、帰ろ」
「う、うん」
彼は私の方に、手を伸ばす。
やっぱり、こっちの方が安心する。
「浅生さんは俺とデートしてたんだけどな〜!」
「磨夜ちゃんとデートなんて認めるわけないだろ! さっさと一人で帰れ!」
ヒロのこの態度に、藤沢くんはニヤリと笑った。
「まあ、二人の秘密だから?」
「なっ!?」
うーん。藤沢くんはなんの話がしたいんだか。
なかなか見られない絶句したヒロを観察しながら、仲のよさに心が温まる。
「二人の時間って、イイよな」
藤沢くんって、本当に良い性格してるよね。
ヒロをここまで振り回せる人なんて、なかなか居ない。那乃だって、いつも振り回されてるし。私だって、振り回されてばっかりだし。
まあ、とりあえずは話は終わりかな。
藤沢くんに、私やヒロを害する気は全く感じないし。それに多分こういう話をしてくれたってことは、少なからず心配してくれているんだろう。不安定な感情を持つヒロが、いつ爆発するのかは分からないし、そうなってしまったら、誰かが止めなければいけない。もしかしたら、生死に関わるやり取りをしなければいけなくなるかもしれない。
その相手になると、彼は言った。そして、忠告も。
「藤沢くん、ありがとう」
彼はヒロの一番の理解者になってくれるだろう。それが嬉しい。
「……いや」
「磨夜ちゃん、コイツにお礼なんかいらないよ! それより、早く! 早く帰ろう」
子どもが癇癪を起こすような、そんな感じ。ヒロはたまにかなり感情的になる。
私はヒロの言葉にかき消された感情に気づけなかった。その小さな綻びを感じていたのは、一人だけ。
「はーやーくー」
「はいはい」
立ち上がったヒロは、座ったままの私の腕を取り、出口の方へ引いている。
やっぱり、子どもっぽい。
そんなに急がなくてもいいのに。
重い腰をあげ、彼に従う。
「じゃあ、ミツルさん。また、来るよ」
後ろで椅子を引く音がした。立ち上がったらしく、藤沢くんがマスターさんに挨拶をしていた。
「いつでも、来なさい。待ってますから」
「はい」
「待ってるよ、りっくん!」
「フミちゃんもまたね」
彼がこの不思議なお店に通いつめてしまう理由が分かった。
藤沢くんは、2人が寄り所だったのだろう。
「藤沢くん、行こう」
「名前で呼べって」
「いちいち、磨夜ちゃんに対して図々しいんだよっ!」
「はいはい」
私たちは、騒がしくその場を後にした。