吹雪の朝に
瞼を開けて最初に目に飛び込んで来たのは、見慣れない真っ白な天井だった。
「ここは……?」
小さく呟き、私はゆっくりと身を起こして周囲を見回す。
辺りは一面清潔感のある、真っ白な壁だ。
「そうだわ、確か私……」
築城家の別荘、粉雪城へ来て、泊めて貰っているのだった。
一連の事を把握し終えた私が時計に目をやると、時刻は朝の七時。
体内時計のおかげか、休日でも必ずこの時間に起きるのが私の習慣だ。
「それはともかくとして……、お腹が減ったわね」
気付けば、起きたてだというのに私は腹ぺこだった。
昨晩は随分と食べたり飲んだりしたと思ったのだが、成長期の体には足りなかったらしい。
ダイニングにでも行こうと思い、柔らかなベッドから立ち上がった私は、ふと窓の外を見て、とある事に気が付いた。
窓の外が真っ白なのだ。
風が低く唸り、窓に雪の粒が叩き付けている。――どうやら、吹雪が吹いているらしかった。
「こんな山荘で吹雪って……、全くついてないわ」
帰るまでに止んでくれると良いのだが、と思い溜息を漏らしつつ、私は一方で「きっと今日はスキーはないわね」と内心で喜んだ。
またあの苦行をやるのかと思って少々気が重たかったのである
パジャマからセーターに着替えると、私は部屋を出た。
廊下はひんやりとしていて、あまりの寒さに私は思わず身震いした。
ペタペタと、私の足音が回廊に響く。
「まだ誰も起きてないみたい。みんな、遅起きなのね」
そして私は廊下を横断し、談話室へ。そして階段を伝って一階へ降りた。
リビングには、やはり誰もいない。
「仕方ない、誰もいないならこっそり冷蔵庫の物でも頂戴しようかしら」
そんな事を考えつつ廊下に出て、ダイニングへ入るとすぐ円佳の声が聞こえたので、私は心臓が飛び出すかと思った。
「おはよぅ、礼沙ぁ」
ダイニングを見回すが、誰もいない。
「ここ、ここよぉ」と言われて見てみれば、キッチンに彼女の姿はあった。
「……おはよう円佳。早いのね」
「まぁね。お料理作らなくちゃいけないからぁ」
自慢げに言う円佳は、相変わらず綺麗な白雪姫風のドレスを着ていた。
今、調理の真っ最中らしく、ジュウジュウと何かを炒めるような音がしている。
その良い匂いを嗅いで、私の空腹感はさらに高まった。
「ご飯、いつ?」
「そろそろよぉ。そうだわぁ、礼沙ぁ、みんなを呼んで来てくれなぁい?」
笑顔でそう頼まれて、私は少し困惑した。
「それって、みずきさんの仕事じゃないの?」
下女ならそれぐらいして当然だと思ったが、円佳が「あの子ぉ、まだ起きてないのよぉ」と半笑いで答えたので仕方ない。
私は軽く頷いて、ダイニングを出た。
「本当、あの下女め……。自分の仕事ぐらい果たしてよね……」
ブツクサ言いつつも再びリビングへ行って二階に登ると、私は西側のドアから談話室を出て回廊に戻って来た。
目の前には弘恵未亡人の部屋がある。
私は躊躇なく、そのドアをノックした。
「弘恵さん、起きて下さい。朝ご飯ですよ」
呼び掛けるとすぐ、ドアが開いて彼女は現れた。
「あら、おはよう。起こしに来てくれたのね。ごめんなさい、私、少し寝坊してしまったみたいだわ」
そう申し訳なさそうな笑みを浮かべる弘恵未亡人は、今日も変わらぬ輝かしい美貌である。
それに見惚れつつ、私は被りを振った。
「大丈夫です。……先に一階へ降りておいて下さい。私、まだみんなを起こさなくちゃいけないので」
「……ありがとう。ごめんね、頑張って」
魅惑的な微笑みを残し、弘恵未亡人は談話室へと消えた。
次は一つ西側、築城千博の部屋だ。
「朝食です。どうぞダイニングへ」
私が呼び掛けると、中から声がした。
「分かった。もうすぐ降りるよ」
「はい、了解しました」
まるでメイドか何かのようだな、と思い、苦笑しながら、私は次の部屋へ足を向ける。
馬鹿丸出しのみずきを大声で叩き起こし、元気一杯部屋から駆け出して来た菜歩と衝突、自室を通り越して、私は回廊北側、萌の部屋の前に立った。
「やけに静かね……」
萌の事だから大いびきでもかいているのではと想像していた私は、少しだけ拍子抜けしてしまう。
――コンコンコン。
扉を叩く。と、隣の部屋のドアがギィっと開いて、佐和子が飛び出して来た。
「ひ、ひぇ! だ、誰!?」
顔を蒼白にし、ブルブル震えている。私は逆にそんな彼女にびっくりだ。
「何言ってるの。私よ、礼沙」
「ば、化け物! こ、殺さない、で、……? れ、礼沙、ちゃん?」
寝ぼけていたのだろうが、やっと私が私である事に気付いたらしく、灰色のパジャマ姿の佐和子は口を尖らせて、
「お、脅かさないでよ……」
と、珍しく怒り顔。
そんな彼女はひとまず横に置き、私はまだ起きる様子のない萌に向かって呼び掛けた。
「萌! 萌! 朝よ、起きなさい!」
――しかし返事はない。どんなにぐっすり眠っているのだろうか。
「萌! 馬鹿萌! 起きて! 私、お腹減って減って死んじゃうわよ! 死んだら恨むから! 地獄で恨むから! 恨まれたくなかったら起きなさい!」
怒鳴っても起きない。私は溜息を漏らし、隣の佐和子に振り向いた。
「あなた、言ってやりなさいよ。あなたは萌と仲良しでしょ?」
「仲良しじゃ、ない……。あ、い、今のは、みんなには、な、内緒、だよ? じゃ、じゃあ、呼んで、みるね? ……お、おーい、萌ちゃん。あ、朝だよ。吹雪の、良い朝だよ。お、起きて。礼沙ちゃんが、起きないと、殺す、って」
辿々しい佐和子の声も、どうやら届かなかったようで中からの反応はない。
私はあまりの空腹に、そろそろ腹が立って来た。
「起きろ! さもないと、開けるわよ!」
そう言ってドアノブに手を掛けて回すと――、なんと、開いた。
「――え?」
てっきり鍵が掛かっていると思い込んでいたので、私は思わず驚いてしまった。
開いた扉の向こう、純白の部屋の奥にベッドがあり、その上で萌が寝ている筈だ。
でもこれはむしろ好都合、揺すり起こせば良いだけだ。そう思い、私は部屋へと足を踏み入れた。
「あ、あわわわ。れ、礼沙ちゃん……」
背後でおどおどする佐和子だが、彼女を無視して私はベッドの傍に立った。
萌は、寝息も立てずに静かに眠っていた。
その寝顔はとても安らかで、とても心地良さそうだ。
本当ならもう少し寝かせてやりたいが、今はそうも言っていられない。私のお腹がぐうぐうと鳴っていた。
「萌、萌」
彼女の体を思い切り揺する。しかし、全く起きる気配なしだ。
「どれだけ爆睡してるのよ……。もう、仕方ないんだから。萌、起きな……」
力づくで目を覚まさせてやろうと、肩まで被せられていた布団を剥がし――。
私は、絶句した。
萌の胸に、包丁が突き刺さっている。
そして、そこから流れ出した血の跡が、布団を赤黒く染め上げていた。
中曽根萌は、眠っていたのではない。
眠っているように、死んでいたのである。
「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
大きく叫び、私は地べたに座り込んだのだった。




