スキー
コートを脱いでリュックサックを下ろし、机とベッド以外空っぽの部屋に必要な物を並べ終えると、私は一階へ降り、リビングに戻って来た。
意外と荷物整理に時間が掛かってしまったのか、他の同級生達はみんな集まっている。
「おっ。堀、やっと来たかよ。遅かったぜ」
「礼沙、待ってたよ。……じゃあ早速始めよっか。何か話があるんでしょ、円佳?」
私を睨み付ける萌と、円佳に向かって小首を傾げる菜歩。
「そうねぇ。もう三時だし、悠長にはしてられないわぁ。――ねぇ、スキー行かなぁい?」
可愛く笑って、円佳がそう問い掛ける。
彼女の言葉を聞いて、一同の顔がパッと明るくなった。
「えっ、良い、の?」
「良いに決まってるわぁ。今はちょっと雪が降ってるけどぉ、これぐらいなら丁度良いわぁ」
「なら、行く!」
真っ先に手を挙げるのは菜歩だ。
「さん、賛成、かな」
「行こうぜ! 長ったらしいご案内の後は、パァッとやろう!」
「行きましょう」
私も無論、同意である。
だってこの為だけにこんな雪山の別荘へ来たのだから。
「ええ。……円佳、ご指導よろしくね」
**********
スキー専用のジャンパーに着替えて外へ出ると、身を刺すような冷たい風が吹いていた。
雪は先程より少しばかり強まっている気がする。
「さて、早速始めるわよぉ。じゃぁ、まずわたしがお手本を見せるからねぇ」
ヘルメットにゴーグルにプロテクター、本格的な格好をした円佳がそう言ってグローブを握り、スキー板に乗って、遥か山下へと滑り出した。
山頂から彼女を見下ろす私達は、その光景に目を見張らずにはいられない。
美しく雪山を滑降していく円佳。その姿はプロのスキー選手のようだ。
空中で横方向、縦方向に何度か回転し、そのまま滑り降り続けて山の中腹で止まった。
下から手を振る円佳に、私達は感嘆の声を上げる。
「すげー!」
「凄いわ、円佳!」
「円佳ちゃんなんかがこんな大技できるなんて、思ってませんでしたよ」
「流石金賞なだけあるね! 菜歩もこんなに上手くなりたいな」
そうこう言っているうちに、彼女はゆっくりと駆け戻って来た。
「じゃぁ、今みたいにとはいかないけどぉ、基本的な滑降ができるように教えてあげるわぁ。そうねぇ、まずは菜歩からよぉ」
「やったー!!」
大喜びの菜歩。彼女は円佳に指導され、スキーを始めた。
グローブの持ち方、滑降するに適した姿勢、視線、等々。
「そうそぅ。じゃぁ、一回滑ってみて頂戴ぃ」
「やってみるね」
いよいよ、菜歩が滑り出す。
降り積もった雪に跡を残し、菜歩はスルスルと滑り降りて行く。
「そぅ。その調子よぉ!」
先程円佳が停止した中腹がゴール。菜歩は真っ直ぐと、安定感のある滑りで近付いて行った。
途中、岩にあたったのだろうか、突然姿勢を崩す菜歩。
しかしなんとか堪えて、ゴールを迎えた。
「やったぁ! やったー!」
遥か下なのに、大騒ぎする彼女の声が聞こえる。
「驚いたわぁ。初めてなのにぃ、こんなにできるなんてぇ」
円佳も驚きの出来っぷりである。
元々、菜歩は運動神経は良い方だが、ここまでやれるとは思っていなかったのでみんなびっくりだ。
それからも何回か彼女が滑り、その度に危ういながらも成功を遂げた。
そして今度は、萌の番。
「そぅ。そうして、これでぇ……」
萌は、バレーボールやマラソン、水泳までなんでもどんと来いというスポーツ少年。間違い、少女だ。
ならばスキーもきっと上手くできる筈。
と、思ったのだが。
「うわあ!?」
滑降開始直後、姿勢を崩して倒れ込んでしまった。
「クソ!」
何度も何度も挑み続ける。
何度も失敗し、私達が凍えても滑り続け――、
「クソ! クソクソクソクソ!!」
結局、最後まで滑る事は一度もできなかった。
「もう一回!」
「萌ぇ、悔しいのは分かるけどぉ、これ以上あなただけがやったらみんなが凍えちゃうわぁ。また明日ねぇ。……じゃぁ次は、輝実よぉ」
悔しげに唇を噛み締める萌に代わって滑るのは、部坂輝実だ。
彼女は最初のうち失敗していたが、飲み込みが早く、最後の頃にはゴールまで滑れるようになっていた。
「菜歩も輝実もぉ、驚きの腕前ねぇ」
その次に滑ったのは佐和子。
しかしなかなか滑れず、「さ、寒い……」とクシャミを連発し始めた為、彼女だけ先に中へ戻る事になった。なんともひ弱な事である。
最後は私。
一連の事を教えて貰い、私の脳内には美しく滑降する自分の映像が思い浮かんでいた。
――これならいける。菜歩や輝実以上に、上手くやってやるんだから。
「行くわよ!」
スキー板が、雪の上を順調に滑り出す。
いける、いける、いける、いける――。
「上手だわぁ」
しかし、その時だった。
突然、何かにグローブが引っ掛かったのだ。
ぐらりとスキー板が傾き、手からグローブが離れて私の体は雪へと倒れ込む。
そのまま私は、なすすべなく落ちて行った。
雪だるまになりながら、スキー板に絡まれ、ゴロゴロゴロゴロ、落ち続ける。
岩に体が当たり、空中へと飛び出す。しかしすぐに地面へ落ちて、またゴロゴロゴロゴロ。
――やっと山の中腹で転落が止まったのは、私がすっかり目を回し、胃の中身を撒き散らし切った頃だった。
「大丈夫ぅ!?」
叫びながら、円佳が滑り降りて来る。
だが私は、返事ができない。……声の代わりに、再び口から胃液が漏れ出したからだ。
しばらく風に当たって体調は良くなったものの、その日のスキーはこれで終了となった。
せっかく楽しみにしていたスキーなのに、こんな大失態をしてしまい、私の気分は最悪である。
「そう落ち込む事はないわぁ。また明日もやりましょぉ?」
「そうだよ礼沙。ささ、戻ろ戻ろ」
「明日こそは絶対上手くやってやるぜ!」
「明日は競争にしましょう。あたし、負けませんから」
「………………はぁ。そうね」
私は溜息を吐いて項垂れ、他のみんなの後に続いて歩き始めたのだった。
**********
私達が粉雪城の中へ戻ると、時刻はもう夕方の五時を過ぎていた。
「ど、どうだった?」
先に帰って来ていた佐和子が、私を見るなりそう尋ねて来た。
この娘、空気という物を全く考えていないらしい。
「ダメだったわ。……着替えなきゃ。一旦部屋に戻るわね」
「そうだね。菜歩も着替えようっと」
「オレも!」
「そ、そうだね。あたしも、そうする」
皆が一様に、二階への階段に向かって歩き出す。
「夕食は六時半頃よぉ。できたら呼びに来るから、ごゆっくりぃ」
背後の円佳の言葉を聞きながら、私は談話室へ登り、自室に入った。
**********
「いるかい?」
充てがわれた部屋のベッドに寝そべり、持って来た文庫本を読んでいると、突然そんな声が掛かった。
特徴のある美声。――築城千博だ。
ノックぐらいしろよと思いつつも、私は返事をした。
「はい。います」
「夕飯ができたよ。円佳の特製手料理が冷めちまう前に、降りて来な」
丁度空腹になって来ていた所だ、特製手料理と聞いて私はピョンとベッドから飛び降りる。
「すぐ行きます」
さて、どんな夕食会になるのだろうか。
私は胸を踊らせながら、軽い足取りでドアを開け、回廊へと駆け出す。
その頃には私の心中は、先程の大失態など忘れたかのようにすっかり晴れ渡っていたのだった。