日記帳
昼食に呼ばれたので一旦ダイニングへ行き、食事を取った後の事。
私と菜歩、みずきの三人は、菜歩の部屋で千博のノートを広げていた。
「これがきっと役に立つって言ってたけど……、一体、何が書いてあるのかしら」
一冊、手に取って読んでみる。
『十月十日。
運動会の日。これで小学生最後の運動会か……。円佳と一緒のリレー、楽しそうだったねえ』
すると、その内容は、日記のようだった。どうやら三年前の日記らしい。
ノートの表紙を見れば、年月日が記されている。それによれば、三年分は溜まっていた。
築城千博の日記。これが何か手掛かりになるのだろうか。
「分かんないけど、とりあえず読んでみようよ」
悩む私へ、菜歩がそう明るく笑い掛ける。
最悪、収穫なしでは時間を潰す事になる。しかし菜歩の意見にも頷けた。
怪しいものは、片っ端から確かめなければ。
私は、先程の日記帳の続きを読んだ。
――三年前。
『十二月二十五日。
今日はクリスマス。息子も円佳もプレゼントをあげたら大喜びだった。
息子ったら、「僕、来年から中学生になるから今年で最後だね」って言ってた。そっか、息子も円佳ももうすぐ中学生、早いもんだねえ』
「円佳様のお名前が出て来ましたけど、どうしてですかー?」
突然、みずきが首を傾げて尋ねて来た。
「まあ、千博さんと円佳は仲が良さそうだったから、きっとクリスマス会でも開いたんじゃない? 亡くなった息子さんと学校も一緒みたいだから、近所だったのかも知れないわ」
「うーん。確かにですねー」
次の日記帳を開く。
――二年前。
『一月一日。
あけましておめでとうございます。今日からめでたく新年の始まりだね。
作ったおせち料理を円佳に食べさせたら、「数の子が美味しい!」って凄く喜んでた。
息子はどうやら黒豆派みたい。
羽付にこま回し、みんなでワイワイ遊んで良い正月になったよ』
『二月十八日。
今日は息子のバースデー。姉さんと円佳と一緒に、みんなでパーティーを開いた。
こうやって四人で祝えるのも、最後だろうねえ。
十二歳、おめでとう!』
『三月二十六日。
春休みに突入し、仕事の都合上遠くの街へ引っ越しする事になった。
それを言ったら息子も円佳も「離れ離れになるのは嫌だ、ずっと一緒にいたい」って泣きじゃくってたけど、素直に聞いてくれて良かった。
どうか都会の街でも楽しく元気で暮らせますように――』
「……そうか」
私はある事に気が付き、日記帳から目を上げた。
弘恵未亡人、円佳、千博、そしてその息子は、近所などではなく一緒の家で暮らしていたのだ。
だから円佳と彼はそんなに仲良しだったに違いない。
私は内心で大きく頷きながら、読み進めた。
『四月七日。
今日は入学式。きちんと学ランを着こなし、すっかりお兄さんだねえ。
新しい街で新しい学校、一人で緊張はあるだろうけど、頑張って欲しいね。
中学入学、おめでとう』
『五月三日。
ゴールデンウィークだからどこかへ行こうと言って、とある遊園地に行ったら息子の同級生達と遭遇した。
みんな優しそうでねえ。でも息子は、なんだかモジモジしていた。恥ずかしいんだろうか?
同級生の女の子グループは、散々お世辞を言った後、帰って行った。
それから息子はなんだか元気がなくて、早く帰っちまったね。
どうしたんだろう、あの中に惚れた女の子でもいたのかね?』
『七月二十八日。
夏休みへ突入!
なのに息子は、なんか引き篭もり気味で心配。
「海へ行くかい」って言っても、「家でゲームしてるから良い」ってさ。
円佳がいないからかねえ。
今度、久々に円佳と会わせてやろう』
『八月十五日。
お盆で元の家に戻って来た!
なんと円佳、無茶苦茶成長してるよ。成長期だねえ。
近頃元気がない息子も、円佳と遊んで楽しんだみたい。良かった。
明日には帰る事になる。頑張らなきゃね』
『九月十日。
二学期も始まってすぐだっていうのに、息子の元気がない。
ご飯が少ないし、口数も減っちまって。
でも「どうしたんだい?」って訊いても、何も答えてくれないよ。
もしかして、恋の病かねえ』
そして、水濡れし、殴り書きの字が滲んでいるページがあった。
『九月三十日。
隆司が死んだ。
今朝、部屋で首を吊ってるのを見つけた。
夢だ。これは夢、夢、夢。覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ覚めろよお!」
このノートは、そこで終わっていた。
「きっとこの日、息子さんが自殺したんだね」
静かにそう呟く菜歩に、私も同意見だ。
彼は何かの悩みを抱えて自殺した。――ではその悩みとは、一体何なのだろうか?
また次のノートに目を通す。
――一年前。
『二月十八日。
今日は息子の誕生日。
お仏壇にケーキを並べてあげた。
きっと天国で、あの子は喜んでくれてるだろうねえ。
円佳と姉さんも家へ来て、お線香を上げた。
ねえ隆司、一つ母さんから報告があるんだよ。聞いてくれるかい?
実はね、あんたをいじめた犯人達が、無罪になったらしいよ。
どうやら事実を否定したみたいでね。よくは知らないんだけども、証拠が何もなかったらしくて、結局あんたが望んだ裁きは下されなかったんだよ。
あたしゃあいつらと会って話して、謝らせてやりたかった。でも警察が会わせてくれなくて、あいつらの顔すら拝めなかったよ。
……あいつらが野放しにされたまま、のうのうと生きてるとしたら、一体あんたは何の為に死んだんだい?
ねえ隆司。どうしてあんたは、何も言わずに死んだんだい?
言ってくれれば、あたしゃあんたの為に何でもしてやったのに。
死んだら終わりだよ。
ねえ隆司、あたしゃ、悲しいよ』
「……そういう事ね」
分かったのは、千博の息子――隆司が自殺したのが、いじめによるものである事。
そして加害者側は、何の罰も受けなかった事。
「坊ちゃんが自殺したってのは聞いてましたけど、まさかこんな背景があったなんてあたくしめ、知りませんでしたよー」
築城家の関係者でありながら、何も知らされていなかったらしいみずき。
彼女はひとまず置いておいて、菜歩が思案顔で言った。
「なんだか、事件の匂いがして来ない?」
「そうね、菜歩。これは怪しいわ。……きっとこの事件と粉雪城事件、何か繋がりがある筈……」
それからしばらく、千博は無気力状態にあったらしく、ほとんど毎日付けられていた日記もまばらに。
しかし今年に入ったぐらいから元気を取り戻して来たようで、こんな事が書かれていた。
『三月十五日。
新しい仕事が見つかったよ。
仕事辞めてからもう一年ぐらい働いてなかったからね、脱ニートは嬉しいもんだよ。
姉さんも仕事が軌道に乗ってるらしいし、今年は良い年だよ。
――円佳ももうすぐ中三。ああ、時が流れるのは早いもんだね』
そしてこの後、円佳が中学三年生になった事や、姉の弘恵さんの仕事が大当たりしただとか、自分の仕事が楽しいだとか彼氏ができただとか友達ができただとか、そんな明るい話題が続いていた。
月日が流れ、最後の日記帳へ突入。
粉雪城事件の足音が、近付いて来る。
――四日前。
『十二月二十六日。
電車に揺られ、雪山を登って、今日は別荘へ。
そこで久し振りに円佳と姉さんと会った。
二人とも元気そう。粉雪城とか呼ばれてるらしいこの新しい別荘は、とっても綺麗だった。
――息子にも、見せてあげたかったねえ。
明日には円佳の同級生達が来る予定。
それに自分は、耐えられるのかね』
――三日前。
『十二月二十七日。
今日は沢山の子供らが来た。
生きていれば、息子と同い歳。あの子らは何も悪くないのに、腹が立っちまう。あたしゃまだまだだね。
あの子らは円佳達とスキーに行ったから、後は部屋でゆっくりしてた。
明日はせっかくだし、あの子らと遊んでやるかね』
――二日前。最初の事件の日だ。
『十二月二十八日。
とんでもない事になっちまった。
どうしてこの別荘に、死体なんかあるんだい?
原因は他殺。怖いね。テレビドラマみたいでゾクゾクしちまうね。
外は吹雪だし、買ったばっかりのスマホは壊されちまったから助けすら呼べない。腹が立つ犯人だよ。
今日は犯人は分かんなかったけど、きっと明日には分かる筈さ』
――昨日。
『十二月二十九日。
まただ、まただよ! また娘っ子が殺された……。次はきっと円佳の番だ、そうに違いないよ。
あの子を失ったらあたしゃ気が触れちまう。運命よ、息子だけでは飽き足らず、愛する娘までも殺そうというのか。ならあたしゃ、力づくで円佳を守るよ。
それにしても犯人は誰なんだろうね……? あのクソ下女が怪しいんだけど。明日、問い詰めてやろうか』
「クソ下女ってなんですか、クソ下女って! ひどいですよー!」
みずきが口を尖らせて文句を垂れるが、私と菜歩は完全無視。
そして、とうとう今日。
どうやら朝の分しか書かれていないらしい。
『十二月三十日。
また、一人死んだ。
あたしゃもう、気が狂っちまいそうだよ。
容疑者はあの娘っ子二人、下女、姉さんと円佳。姉さんと円佳は違うと、思いたい。
思いたい。思いたいけど……、あたしゃ、分かっちまったんだよ。
あの子達の殺された理由がね』
ここで、日記は終わっていた。
「犯人が、分かったわ」
読み終えた私は、静かにそう言った。
そう。とうとう分かってしまったのだ。――この連続殺人事件の、真犯人を。
「分かったって、本当?」
「誰ですかー?」
小首を傾げる二人に、私はまるで名探偵のように、胸を張って語り始めた。
「……それはね」
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夜の八時。
私達は相変わらず美味しい晩ご飯を食べ終えて眠る事にした。
「明日は大晦日ね。早くこの事件が収束すると良いのだけれど」
「そうねぇ。そうじゃなくちゃぁ、安心して新年を迎えられないわぁ」
心配そうにそう言う築城親娘。
だが、もう心配はいらない。私は彼女達へにっこりと笑い掛けた。
「大丈夫です、弘恵さん。……犯人、明日には分かりますよ」
――弘恵未亡人の驚き顔を横目に、私はダイニングを出て、自室へと向かったのだった。




