偽善者の死
何度も何度も嫌な夢を見て、あたしはハッと目を覚ました。
時刻はまだ夜中の一時。窓を覗けば外は真っ暗で何も見えない。ただただ、風の唸るような音だけが響いていた。
不穏な空気と一緒に、あたしの胸を襲うのは恐怖だ。
「怖い」
恐ろしい。耐え切れないぐらいに、恐ろしい。
萌と佐和子の死に対しては、仲良く振る舞っていただけで友達とは思っていなかったから、ちっとも悲しみを抱かなかった。
――でも恐怖だけは、強く強く感じていた。
自分も殺されるのではないか。明日にでも、いや、今夜にでも。
「……こんな別荘、来なけりゃ良かったんですよ」
呪われている。この別荘は、確実に呪われている。
萌はともかく、佐和子はしっかりと鍵を掛けていたのに殺された。無論、今あたしの部屋は施錠されているが、もしかするとどこからともなく何者かが入って来て、殺されるかも知れないのだ。
「家に帰りたいです……」
家に帰れば母がいる。父がいる。自慢の恋人がいて、それだけで幸せだ。
家に帰りたい。家に帰れたら、どんなに良いだろうか。
「明日、吹雪が止めば――」
でも、きっとそんな事はない。
殺人鬼はきっと、この粉雪城の滞在者全員の命を刈り取ってしまうに違いないのだから。
犯人は誰なのだろうか、と、ふとあたしは思った。
頭が良いからってあたしを見下して、偽善者だと罵るクソったれ礼沙? 元気一杯の阿保菜歩? 馬鹿丸出しの下女? それともおっとりしたあの円佳? まさか、弘恵さん? よく分からないあのおばさんだったりして?
分からない。全員が容疑者だ。ただ言えるのは、あたしじゃないって事だけ。
溜息を漏らし、あたしは被りを振った。考えたって仕方ないのだ。一刻も早く寝て、この恐怖を忘れなければ。
布団に潜り、瞼を閉じて眠ろうとする。
しかしダメだ。昼間と比べれば少しはマシになったが、階段から落ちた時に怪我した腕がズキズキと痛んで眠れない。
「ああ、痛い……」
痛みに喘ぐあたしの頭に浮かぶのは、萌の死体、佐和子の無惨な死に様。
急に嘔吐感が込み上げて来て、あたしは口を押さえてそれを堪える。
考えるな考えるな考えるな――。
そんな時、何やら物音がした。
もしかして、何か――、否、誰かいるのだろうか?
目を開け、ちらと横目でドアの方を見た。
ベッドとドアは部屋の対角にあるので、はっきりとは見えない。しかし電気が突然カチッと点けられて、その者の姿が見えてしまった。
「――――!」
彼女だ。彼女が、部屋の真ん中に立っている。
心臓が止まりそうだ。あたしは目を見開き、彼女を見た。
不気味に微笑む彼女――、その手には、いつの間に盗んだのだろう、あたしがこの別荘へ持って来た、お気に入りのカッターナイフが握られていた。
それで刺殺する気なのだ。咄嗟にそう思い、あたしは叫ぼうとした。だが、何故だろう、声が出ない。
彼女はゆっくりと、ゆっくりとこちらへ近付いて来る。
やはり彼女は現れたのだ。鍵があたしの手の中にあるにも関わらず、あたしを殺す為にやって来たのである。
死神だ。彼女は死神だ。
やばいやばいやばいやばいやばい――。
立ち上がらなければ殺される。そう分かっているのに、体が小刻みに震えて起き上がれない。
腕がより一層、激しく痛み出す。
このままじゃあたし、殺されてしまう。そんな事あって堪るかと心は叫ぶのに、体は死を受け入れたかのように固まってしまっている。
あたしは萌や佐和子とは違う。死んではならない人間なのだ。だってあたしには父がいる。母がいる。あたしの帰りを待ってくれている彼氏がいる。
――だから、死んでなんかやれないのに。
彼女が、一歩、また一歩と来る。
ああ恐ろしい。本当に、これ以上に恐ろしい事などあるだろうか。
死にたくない。死にたくない。あたしはまだ十五歳なんです、まだまだ前途有望なんです。
なんであたしなのだろう。どうして、よりにもよってあたしが殺されなければならないのか。なんで、あたしだけひどい目に遭わなければならないのだろうか。
他の奴らなんかみんな死んでも良い。だからお願い、あたしだけは殺さないで。
他の誰でも生贄として捧げてやる。だからあたしだけは、見逃して。だってあたしはまだ、彼と交わっていないんですから。
あたしはベッドに横たわったまま、天へと祈った。
神様、どうか助けて下さい。あたしは何にも悪い事なんてしてません。だからあたしをたす……。
その時ふとあたしは、『彼』の事を思い出した。
彼は最期、こう言っていたという。
「神様、こんな僕を許して下さい。そして魂だけになった僕を、どうぞ助けて下さい」
その瞬間、あたしは自分がどうして殺されるのか、分かってしまった。
萌と佐和子が何故殺されたのか、理解してしまった。
彼女が何を動機に殺人を行っているのか、はっきり知ってしまった。
でももう何もかも遅いのだ。
彼女はもう手の届くぐらいの近さにいる。今更起き上がってもどうしようもない。後はもう、殺されるだけ。
銀色に煌めくカッターナイフが向けられる。あたしが誕生日に貰った大切な品なのに、こんな物を凶器に選ぶなんて、彼女はなんと悪趣味なのだろうか。
思うのは、両親の事。
せっかく育てて貰ったのに、ごめんなさい。あたし、こんな所で死んでしまうみたいです。
本当に、ごめんなさい。
涙が頬を、一筋流れる。
そして、最後にあたしが出なかった筈の声を震わせて、呟いた言葉は。
「仕返しなんて、そんな……」
次の瞬間、カッターナイフがあたしの喉へと突き立てられていた。
――これが、部坂輝実という少女の呆気ない終わりであった。




