アーサー
ライラの依頼により、次期公爵であるアーサー・ハプセントと話をすることになったのは、三日後の夕刻だった。
アーサーは、エドワルドより二つ上だ。来年には、公爵家を引き継いで公爵になるらしい。
エドワルドと同じ、ダークブラウンの髪にグレイの瞳。とても良く似ているが、アーサーの方がやや柔和な顔をしている。
身長は、エドワルドよりやや低い。
「それで、話とは何だね?」
アーサーが話をきりだした。
日は沈みかけているので、既に窓は閉められて、魔道灯がつけられている。
応接室に座っているのは、アーサーと、エドワルドと、私の三人。
アーサーと会談するにあたって、私が親類の男性の同席を求めたのだ。
私が未婚というのもあるし、ライラの夫と二人だけで会うのは外聞が悪い。
女性ではなく男性を指定したのは、女性はどうしたって、自分の価値感でライラのことを裁いてしまう可能性があるから。味方になれば、アーサーとしては責められた気分になるだろうし、敵になれば、ライラの気持ちは全く伝わらないだろう。
「ライラさまのお悩みについてです」
私は単刀直入に話し始める。
アーサーもエドワルドも忙しい人だ。余計な前置きは不要。
話の焦点がぼけても困る。
「ライラさまは子が授からないことにお悩みで、心を壊しつつあります」
「それは、医者にも診せている。彼女が思いつめすぎなんだ」
アーサーがムッとしたように答えた。
指摘されるまでもなく、知っていると言いたいのだろう。
「承知しております。ご理解がないと言っているわけではありません。失礼ながらライラさまと同じ質問をいたします。このままお子さまが授からなかった場合、アーサーさまはどうお考えになっておられますか?」
「な?」
「ルシールどの、それは」
隣で聞いていたエドワルドも眉間にしわを寄せた。
不躾な質問だと思われたのだろう。
「大切なことなのです。ライラさまは、その未来に怯えていらっしゃるのですから」
私はまっすぐにアーサーを見据える。
「方法はいくつかあるでしょう。離縁なさる、愛妾を置かれる、養子をもらうなど。ライラさまは離縁は嫌だとおっしゃっておられました」
私は大きく息を継ぐ。
「今の状態があと何年続くのか、いつ離縁となるのか。ライラさまは怯えておられます」
「離縁など考えておらん」
アーサーがムッとしたように答える。
内心、二人が本当に思いあっていることにホッとしつつ、私は続けた。
「期限を切ってあげてください」
「期限?」
「二人の子供を待つのは、あと何年間で、それ以降は、彼女に子をなすことを求めないと」
「ちょっと、待て、どういう」
アーサーは理解できないという顔をした。
「それ以降に子供が出来たらいけないという意味ではありませんよ」
私は慌てて首を振った。
「子をなす事が妻の役目と私たち貴族の女性は教育されております。それを果たすことが一番の義務だと」
「それはそうだが」
「義務を果たせていないライラさまは、いつ、そのことを突き付けられるのか怯えておられます」
「そんなことに怯える必要はない」
アーサーが怒ったように答える。
「それなら、きちんと伝えるべきです。アーサーさまから養子の話があったことはうかがいました。子がいなくても構わないという意味なのだろうと私にはわかりましたが、ライラさまは、ライラさま自身に協力する気がないのではないかと疑っておいででした」
「何だと!」
「兄上、落ち着いてください」
激高しかかったアーサーをエドワルドがいさめる。
「一度、お二人で想像するのが楽しくない未来についても話し合ってください。周囲に押し付けられるのではなく、お二人で選んでいけるように」
「楽しくない未来?」
「はい。今にすがるより、最悪の状態での希望を探そうと、私も先日、兄に言われました。不安に思っているばかりでは打開策はみつかりません」
「ロバートが……」
エドワルドが複雑な瞳で私を見る。
我が家の状況は、まだ秘密で、ひょっとしたらアーサーにも話していないのかもしれない。
「妊娠というのは、基本受け身で何か努力を重ねるというものとは違うと存じます。ただ待って祈るだけの日々は辛いもの。一年から三年。長くて、五年くらいまででしょうか。それを過ぎたらどうするかをお決めになれば、たぶん、ライラさまのお心は楽になりましょう」
「そんなことで、楽になるのか?」
「先の見えないことほど不安なことはありません」
それは私も同じことだ。まだ、フィリップとの婚約破棄は成立していないし、資金のめどはたっていない。商会や、屋敷や領地がどうなるのか、先は見えていない。
そして、ひょっとしたら父は生きて帰ってくるのではないかというわずかな望みが、一番残酷に心をさいなむ。
「諦めることで、楽になることだってあるのです」
「諦めることで、楽になる、か」
アーサーは呟く。
「必要でしたら、媚薬とか強壮剤もご用意いたしますが」
「え」
アーサーとエドワルドが固まった。
二人ともほのかに顔が赤い。
「あの、一般的な不妊の治療で、提供するものなのですけれど」
私は俯いた。すごくはしたないことを提案したみたいな空気はやめて欲しい。
私は薬師見習だ。
あくまで、薬師見習としてできることを述べたにすぎないのに。
「いや、それは別に必要はない……」
もごもごと、アーサーが答える。
「失礼いたしました。寝室が別々だとライラさまがおっしゃったので」
「それは、生活リズムの違いと……あと、諸事情があって」
「諸事情?」
アーサーの顔は真っ赤だ。私としても、夫婦の赤裸々の事情を知りたいわけではないのだけれど。
「その、腰が痛くて」
「腰?」
私は首をかしげた。
「ぎっくり腰ですか?」
「いや、そこまでのことではない。ただ、最近どうにも腰が痛くて」
「お医者さまには?」
「ええと。そこまでの必要はないのだけれど」
「ご夫婦が寝室をともになさらないのに、そこまでの必要がないのですか?」
私は大きくため息をついた。
ライラは、アーサーが自分にいらついて寝室を別にしていると思っているのに。
医者はともかく、妻に説明はするべきだ。
「ライラさまとの温度差がひどすぎます。ライラさまの深刻さの半分も理解されていらっしゃらない。ライラさまがこれ以上病まれるようなことがあれば、それは間違いなくアーサーさまの無理解です」
「何?!」
「膏薬を後で処方いたします。それで治らないようなら、きちんとお医者さまに診てもらってください。それから、体調が思わしくないことはライラさまに説明なさらないと、心変わりを疑われますよ」
「君は、無礼だな」
ムッとしたようにアーサーが私を睨む。
「非礼は幾重にもお詫びを。ただ、ライラさまをお大事に思うなら、もっとその気持ちを伝えてあげて欲しいと願います。ライラさまは、今、ひどく孤独を感じていらっしゃいます」
ライラの必死で冷静であろうとしながらもわなないていた肩を思い出す。
「それを君は、媚薬で埋めろというのか。さすが婚約者を金で買う女だな」
ふんとアーサーは鼻を鳴らす。遠慮のない私に腹を立てたのだろう。
冷ややかな視線。
今のは明確な悪口だ。
胸がじくじくと痛み、息が苦しい。
慣れているはずだと、私は自分に言い聞かせる。
「兄上、謝罪してください。ルシールどのは、薬師として発言しているのですよ? まして、年下の未婚の女性ではないですか。しかも伯爵家との結婚は彼女の本意ではない。どう考えても失礼なのは兄上の方だ」
見かねたエドワルドが、アーサーに抗議する。
私は大きく息を吸う。
大丈夫。息は出来る。だから。
「エドワルドさま、いいのです。私は何を言われても平気です」
私は微笑む。これくらいのことはなんでもない。
今まで言われてきたことだし、それもじきになくなることだ。
「しかし」
「私には、貴族の子女としての評判など、もう関係ないのですから」
私は首を振る。
守ってもらうような名誉など何もないのだ。
何を言われても、どんなにひどい女に見えたとしても、私は間もなく貴族ではなくなるだろうから関係がない。婚約も、蔑みも、すべて消えてしまうのだから。
「ルシールどの」
エドワルドの顔色が変わる。
彼が、そんな顔をする必要はない。
私が全てを失うのは彼のせいではなく、もともとは私自身のせいだ。
「すまない。言い過ぎた。暴言を許してくれ」
アーサーが私に頭を下げた。
さすがに品格がないと思ったのだろう。
相手が私でも素直に謝罪するのは、やっぱり高潔なエドワルドの兄なのだなと思う。
「いえ。身の程もわきまえず失礼なことを申し上げたのは私の方ですから」
私は首を振った。
言わなくてもいいことを言ってしまった気はしている。
「膏薬はもらおう。妻とは、ゆっくり話をする」
「承知いたしました」
私は立ち上がると、丁寧に淑女の礼をする。
「ルシールどの、屋敷まで送ろう」
「ありがとうございます」
アーサーはどこか居心地が悪そうにしていたが、私はエドワルドにいざなわれて、退席することにした。