ライラ 2
翌日の午後。
意外なことに、公爵家から馬車が来た。
ライラが私に話があるという。
応接室に現れたライラは、昨日よりスッキリした顔になっていた。
どうやらよく眠れたようだった。
「昨日は、本当にごめんなさい」
ライラは私に向かって頭を下げた。
「あなたには随分酷いことを言ったと思う。私ね。ずっと、世界が私だけをのけ者にしていると感じていたの」
「そうですか」
私はただ、頷いた。
「あなたと比べるのも間違っているけれど、確かに私はあなたより多くのことで恵まれている」
ライラは口元を僅かにゆるめた。
「でもね、私は、私の欲しいものは、どうして手に入らないんだろうって」
ライラは両手で顔を覆った。
肩が震えている。
「他人より恵まれているから幸せとも限りません」
私は静かに口を開く。
「ライラさまから見れば、私は不幸の塊に見えるかもしれませんが、ライラさまの悩みが軽いものだとは思っていません」
「ありがとう」
ライラはそっと涙を拭いた。
「もうわかっているかと思うけれど、私、子供が出来なくて」
出来るだけ冷静に話そうとしているのだろう。ライラは、目を閉じて、大きく息を吸った。
「公爵家に嫁いだのだから、子を産むのは一番の役目なのに。ううん。そうじゃないの。それももちろんあるのだけれど、私が産みたいのだわ。だから他家で子供が生まれたと聞くたびに、嫌な気持ちになるの。祝福、出来なくて。それがどうしようもなく、嫌で、悲しいの」
「ライラさまはお優しい方ですね」
私は微笑する。
「だから私は、優しくなんか」
「自分が欲しいものを他人が手にすれば嫉妬するのは当たり前の感情です。でも、お優しいから、『祝福』すべきだと思っていらっしゃる。ライラさまは、その二つの心に引き裂かれてしまっているのです」
昨日のことを一番最初に謝ってくれたことからみても、ライラは良識のある人だ。
本来は他人の幸せを一緒に喜べるタイプの人だと思う。
「大丈夫です。祝福したいという気持ちも、祝福できないという気持ちも、全部あってしかるべきなのですから」
ライラは少し楽になったような顔をした。
ずっと、ずっと自分の中の相反する気持ちに苦しんできたのだろう。
「お医者さまはお身体について、なんとおっしゃっているのですか?」
「医者は、何の問題もないと。ずっとそればかり言っているわ」
「そうですか」
異常がなければ、治療することも、諦めることもない。
それは希望のようだけれど、たぶん、彼女にとっては辛いのだろう。
父が帰ってくるかもしれないという、届きそうで届かない光を求めている私の気持ちとたぶん同じ。
中途半端な希望は、諦めることよりある意味、残酷だ。
「それに、夫もあまり協力的ではなくて。私は必死なのに、養子をもらえばいいなんて言い出すし」
「さようでございますか」
未婚の私にはよくわからないけれど、子供がいないことで、夫婦仲がぎくしゃくし始めているのかもしれない。
「ひとつ、失礼かもしれませんが、お尋ねいたします」
私はライラを真っすぐに見つめた。
「ライラさまは、このままお子さまが授からなかった場合、どうなさるか考えたことはございますか?」
「なっ」
ライラの顔がみるみるうちに青ざめていく。
「残酷な質問なのは承知しております。ただ、ライラさまはその時がくるかもしれないと、どこかで考えておられるはず」
哀れみなどを込めずに、私は淡々と話す。この場合に必要なのは、同情より、必要な事実を伝えることだ。
「離縁を望まれる、愛妾を置くことを承知なさる、もしくは養子をもらうなど、さまざまな方法があると思います。ライラさまは、どうなさりたいとお考えですか?」
「あなたは、何を」
ぶるぶるとライラは震えはじめているが、私はやめない。
「決めておくのです。その結論に至る『期限』も含めてすべて。そうすれば、あなたの未来は周囲ではなくあなたがコントロールすることができます」
私は大きく息を吸った。
降りかかってくるかもしれない不幸に、怯えてその時を待つのは辛い。
不幸に立ち向かう方法は、幸運を祈ることではなく、不幸に備えることだ。
「子を授かるのは神のきまぐれ。神は望んだ人に与えず、望まない人におしつけたりもします。とてつもなく不条理だと思いますが、こればかりはどうしようもないことなのです」
だから、あなたが悪いわけでは絶対にありません、と私は念を押す。
「私も、ライラさまの体調を整えることくらいはお手伝いできますが、それ以上のことはできません。医者もまたしかりでしょう。私は未婚なのでよくわかりませんが、夫婦の営みも子を得るためと思えば義務になり、ご負担になるのではありませんか?」
「でも、私は!」
「我が子を抱きたいと思われる気持ちは大事です。周囲のプレッシャーもありましょう。でも、その気持ちのせいで、あなたの心は悲鳴をあげて壊れかけている……違いますか?」
「ああっ」
ライラはその場で崩れるように泣き始めた。
かなり酷いことを言った自覚はある。
たぶん。公爵家のひとはみんな思慮分別のある『大人』だから、面と向かって彼女に『跡継ぎ』を要求したりするような無神経なことはしていないと思う。ただ、期待はしているだろう。
「今日は、体を温める作用のあるお茶を持って参りました。あと、女性の体調を整えると言われているお薬も」
私は机に瓶を並べた。
「お一人で悩まれる必要はありません。できれば、ご主人と『子供が授からない』時はどうするかお話し合いをなさってください」
「離縁するといわれたら、どうするの?」
「ライラさまは、離縁されたくないのですね。そうおっしゃればいいのではないのですか?」
私は出来るだけ優しく微笑んだ。
「これは私の推測ですが、ご主人は『養子』のことを口にされたとおっしゃいました。おそらく、子供がいなくても、ライラさまと御夫婦でいたいという現れなのだと思いますよ」
「本当に?」
一筋の希望を見つけたかのようにライラの目が見開く。
「ライラさまには、ご不快に思われたかもしれませんが、おそらくはライラさまのことをおもんぱかってのお言葉のように私には思えます」
「でも……どうやって、話せばいいの?」
「もし、ご希望であれば私からもお話いたしますけれど」
「お願い。私、ここのところイライラばかりしていたから、その。最近、寝室も別々で」
ライラの声が小さくなる。
妻が疲れれば、当然夫も疲れているだろう。
それは当然のことだと思う。お互いを支えられれば乗り越えられるけれど、そこから冷えていく関係もあるのかもしれない。
どちらにせよ、私にとっては想像でしかないけれど。
「承知いたしました」
頷きながら、ふと思う。
仲睦まじいと言われる夫妻ですら、悩みがあってすれ違う。
男女の仲というのは、私が思うよりずっと複雑で難しいものなのかもしれないと思った。