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ライラ

 公爵家につくと、私はまず、公爵夫人であるエレナのところへと案内された。

 どうやら依頼人は、ライラではなく、エレナのほうらしかった。

 公爵家の応接室のソファに腰かけると、その座り心地に私は驚いた。

 我が家のソファも決して安物ではなかったけれど、体の受け止め方が全然違うものだった。

「私にいただいたお茶は、ライラさんには効かなくて」

 エレナはため息をついた。

「元気なふりをしているのだけれど、ちょっと様子がここのところおかしいの。息子とも少しギクシャクしているように見えるように思えて」

 息子夫婦は離れに住んでいるそうで、顔を毎日合わせているわけではないらしい。

「それでは、何か眠れるものをということでしょうか?」

「ううん。そうじゃなくて。ほら、あなたなら、彼女と年も近いでしょ。少し話し相手になってくれたら、楽になるのではないかと思って。少し前までは、よくお茶会などをしていたのだけれど、親しくしていた方たちにお子さんが出来たりして、お茶会も開けていないの」

「……そうですか」

 私は頷いた。

 ライラは、確か二十五くらいで、兄やエドワルドと同世代だ。

 年が近いといっても、それはエレナよりは近いというだけの気もしなくもない。

 それでも、他愛もないおしゃべりで、気が楽になるというのはあるだろう。

「わかりました」

 私が了承すると、エレナは満足そうに笑って、部屋を出て行き、しばらくすると、少し不機嫌な顔のライラが入ってきた。

美しいブロンドの髪は軽く結い上げられ、柔らかなゆったりとしたドレスを着ている。日常着ということで、コルセットをしていないのだろう。身体のラインはとても自然だ。瞳は青で、まるで人形のように整った顔をしている。

 仕草はとても優雅だけれど、明らかに私と話したくはなさそうだった。

「お義母さまが何をおっしゃったか知らないけれど、私からあなたに話すことはないわ」

 ソファに座りはしたものの、開口一番に彼女はそう言った。

 彼女の眼差しの中に浮かぶ光は、私にとっては見慣れた光だ。

 公爵夫妻と、エドワルドにその光がなかったから、なんとなく自分の存在を肯定されているように思えていたけれど、ライラにとっては、私は平民の娘なのだろう。

 とはいえ。

 エドワルドに頼まれたことであるし、何より給金をいただける話になっている。

 私から打ち切るわけにはいかない。

 私はゆっくりと彼女を観察した。

 作り物めいた美しい顔だが、目の下にはややくまがみえる。肌は少し乾燥気味だろうか。少し頬がこけている。

 イライラしているのは、私に対しての感情もあるだろうけれど、睡眠不足の面もあるだろう。食欲もないのかもしれない。

「失礼ですが、眠れていないようですね。お肌も荒れ気味ですし」

「何を知ったふうに」

 ライラは眉をあげた。

「あなたなんかに、私の何がわかるというの!」

 ライラは吐き捨てるように言った。

 公爵夫人となるべく教育を受けたライラが、こんなふうに明らかに蔑むのは、たぶん、心に余裕がない現れなのだ。ここで傷ついてはダメだ。

「そうですね。わかるわけがありません」

 私は頷いた。

「ライラさまは、ファクセント侯爵家のお生まれで、望まれてハプセント家に嫁がれたと伺っております」

「な、何よ」

 ライラは戸惑ったようだった。

「下級貴族の生まれで、しかも半分平民の血を引くからと蔑まれ、しかも婚約者を金で買ったと言われるような私が、高貴なあなたを理解できるはずはないです」

 私はにこやかに笑む。

 もうじき貴族ではなくなり、婚約者もいなくなるだろうけれど。

 それは関係ない。

「わ、私はそんなことを言っていないわ」

「ええ。ライラさまは、良識のある方ですから、そのようなことはおっしゃることはないでしょう。私が勝手に卑屈にそう思っただけですから」

 私は小さく首を振った。

 影口を叩かれることはあっても、直接罵倒するのはフィリップくらいだ。

 たとえ母がどうであれ、貴族籍にしっかり入っている子爵子女であることは事実なのだから。

「ライラさま」

 私は大きく息をついた。

「私は、貴族の生まれですが、貴族でないと言われ、おそらく平民でもありません。どちらにも属していない私は石くれも同然です。幸い、石くれの私は、あなたのお悩みを『聞く』ことはできます。『理解』はできませんけれど」

 出来るだけ感情を込めないように話す。

 私は同情されたいわけではないのだ。

「な、何を」

 ライラは迷っているようだった。

 私に対する侮蔑を見透かされて、良識人であるライラは後ろめたさを感じたのかもしれない。

「眠れていないのなら、睡眠薬をお持ちしましたので、そちらをお使いください。公爵夫人に処方しましたお茶と違って、『薬』ですから、必ず眠れます。眠れれば、少し落ち着くこともあるでしょうから」

「薬なんて駄目よ、そんなの飲んだら、赤ちゃんが」

 ライラが大きく首を振った。

「失礼いたしました。この薬は妊婦が飲んでも支障はございません。ライラさまは、妊娠をしていらっしゃるのですか?」

「していないと、どうして言い切れるの!」

 ヒステリックにライラが叫んだ。

 ああ、そうか。そういうことかと、私は合点した。

 ライラは公爵家に嫁いで三年がたっている。公爵家の嫁であれば、子供を望まれているだろう

 周囲からのプレッシャーはもちろん、本人もそれをきっと望んでいる。

「ではまず、ゆっくりと眠ることです。眠っても、お悩みは解決はしませんが、今のあなたには、ここから先を考えるだけの余裕があるようには思えません」

 私は持ってきたカバンから、小さな小瓶をひとつ机の上にのせた。

「これを飲めば、わずかな時で、睡魔がおとずれます。必ずベッドに入ってお飲みくださいね。それから、出来れば、本日はお一人でお休みください」

「私が飲むと思うの?」

 ライラの声は震えている。

 たぶん。彼女は葛藤しているのだ。

 私を信じるか、否かを。

「妊娠しているならなおさら、いまの状態は望ましくありません。もちろん、詳しくお話しいただけるなら、他の薬剤の処方も致しますけれど、何一つお話していただけないのであれば、私からご提供できますのは、これだけです」

 私は医者ではないし、問診をさせてもらえないのであれば、打つ手はない。

 ただ、眠るということは人間にとって大事なことで、眠ることで解決することも実は数多い。

「あなた、お義母さまに、話を聞けと言われたのではなくって?」

「話相手になってほしいとはうかがいましたが、ライラさまに話す意思がないのですから、それは無理です。公爵夫人には、きちんと私の方から謝罪をしておきますので、ライラさまにご迷惑はお掛けいたしません」

 私は苦笑した。

「謝ることも、期待外れと言われるのも、諦めることにも慣れております。もう、私には失うものなど何もないのですから」

 エドワルドがせっかく回してくれた仕事なのに、これでは給金はいただけないな、と思う。

 睡眠薬代の分だけもらって、後は返金しないと申し訳ない。

「それでは私は失礼しますね」

 私は立ち上がって、頭を下げる。

 ライラの顔は泣いているようでも、怒っているようでもあって。

 彼女は私が退出するまで、何も言わなかった。

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