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後悔

 伯爵家との話し合いに、エドワルドとブロフォンに同行してもらえることになった。

 そして伯爵家との日程に折り合いがつくまでは、父の話は外部に漏らさないと約束した。

 私はともかく兄も商売人である。その手の駆け引きは当然できる。

「なんにせよ、まだ三か月ある。銀行としてもラムル商会が破産するのは痛い。出来る限り協力はしたい」

「ありがとうございます」

 兄は頭を下げた。

 とはいえ。五千万のお金は簡単に捻出できない。

 何か一発逆転できるほどのものがない限り無理だろう。ただ博打をするにも資金がいる。

 その資金がないから困っているのだから、手も足も出ない。

 ただ、しばらくは父の話はふせられていて、銀行も資金凍結をしないというのだ。

 期限まで三か月。やれるだけはやるべきだろう。 

「ところで、ルシールどの、君から母に贈ってもらったお茶なのだが、あれをまた譲ってもらうことはできないだろうか。こういう時だ。まとめて買ってもいい」

 エドワルドが思い出したように、私に話しかけた。

「お茶?」

 兄が不思議そうな顔をした。

「ええと。父上がハプセント夫人が不眠に悩んでおられると伺って。鎮静効果のあるお茶を処方して差し上げたんです。たいしたものではありませんので、ひと瓶買っていただいても千ゴールドくらいにしかなりませんけれど」

 私は苦笑した。

「千ゴールド?」

 エドワルドが片眉をあげる。

「すみません。もう少し安く致しましょうか」

「そうではない。そんな値段でいいのか? 母はあのお茶を飲むようになって、穏やかに眠れるようになったと言っている。肌荒れもおさまって、美容効果もあると、絶賛していた」

「それはたまたまですよ。あれはあくまでもお茶であって、薬ではありません。実際に全く効果がない方もいらっしゃいます」

 私は苦笑する。

 香りやお茶が人の身体に作用するのは間違いないけれど、絶対効くものではない。

 ただ、害はぐんと少なくて体に優しいので、薬を服用する前に試してみる価値はある。

「そのお茶は、商会では扱っていないのですか?」

 ブロフォンは驚いたようだった。

 売れるものは何でも売ると思われているのかもしれない。

「お茶は私が趣味で作っているようなものなので」

 薬師の勉強をしながら作っているもので、それ自体を商売にしようとは思っていなかった。

「妹は、義母の後を継ぐつもりで、薬師の勉強をしているのです」

 兄が口をはさむ。

「薬師?」

「はい。でも、そのこともあって貴族子女らしくないと、フィリップさまは思っていたようですけれど」

 私は肩をすくめた。

「もっとも薬師でなくても、あの方は私を気に入らないとは思います。私の母は平民でしたし、それを補えるほど美人でもありませんから」

「ルシール」

「すみません」

 兄に咎められて、私は慌てて謝罪した。

 他人に愚痴ることではない。

「いや。ルシールどのは、聡明で美しい。その価値がわからないあの男の目が、節穴なのだ」

 エドワルドがわずかに首を振る。

「ありがとうございます」

 たとえ社交辞令でも、エドワルドの言葉は嬉しかった。

「失礼、お茶を用意してまいります」

 私は淑女の礼をして、部屋を退出する。

 フィリップがエドワルドの十分の一も優しかったらよかったのに。

 薬草の貯蔵庫に向かいながら、詮無きことを考える。

 最初に伯爵家からの婚約の打診があった時、ほんの少しときめきがなかったとは言えない。

 フィリップは社交界でも有名な美丈夫だ。

 もっとも、私と彼とはそれまで全く接点もなく、『一目惚れ』などと言われても、いつどこで彼が私を見たのかどうしても思い出せなかった。

 それはそうだ。『一目惚れ』などされていなかったのだから。

 初めての顔合わせの時の、フィリップの冷たい瞳を思い出す。

 真実はどうであれ、彼にとっては私は『金で自分を買った』女だと信じていたようだった。

 実際には、私は望んでもいないのに無理やり買わされたのだけれど。

 それでも最初のうちは、彼も歩み寄ろうとはしていたように思う。

 でも。

「私が可愛くないからしかたないわね」

 彼の思い描く可愛らしい趣味など持たず、薬草のにおいを身体にまとわせ、常に強気の私にうんざりとしていったようだった。嫉妬をし、泣いたり叫んだりした方が、彼にとっては好ましかったのかもしれない。

「私も悪かったのよね、きっと」

 彼の態度は目に余るほど悪かったけれど、私も従順で素直だったとは言い難い。

 嘘でも彼を立てるような態度をとっていれば、ここまで酷い関係にはなっていなかっただろう。

 とはいえ。

 あそこまで真っ向から自分の存在を否定して、罵詈雑言を投げてくる男を好きになれというのは、どう考えても無理だ。

 何よりも、そこまで嫌っておきながら、自分の父に嫌と言えないところは、馬鹿じゃないのかとどうしても思ってしまう。

 全ての不満のはけ口を、私に向けているのは明らかだった。

「まあ、それもやっと終われるかもしれないわ」

 思っていた形と全然違う形ではあるけれど。

 借金ができたラムル家には、うまみはない。伯爵は婚約を無効にするだろう。

「とはいえ、下手したら娼館かな」

 私も仕事をしないわけにはいかないが、薬師になるのは難しいだろう。

 この屋敷の薬草園があってこそなのだ。

 貴族の家の侍女になるか、それとも、家庭教師を務めるかというのが定番だけれども、雇ってもらえるとは限らない。

 優しい兄は、私が身を落とさないように努力はしてくれるだろうけれど、娼館なら貴族の肩書があるとかなり良い金額で雇ってくれると聞いている。

 社交界で貴族の子女扱いされない私が、貴族子女としての待遇で雇ってもらえるとしたら、かなり皮肉な話だなとは思う。

 私は薬草の貯蔵庫に入って、茶葉のブレンドをはじめた。

 こんな状態になっても、ダイナー家に嫁いだ方が幸せだったとは思えない自分がいる。

 兄や、父。身の回り全員が不幸になるよりは、私一人が不幸だったほうがはるかにましだったはずなのに、私はなんて勝手なのだろう。

 こんな私だから、フィリップは愛さなかったのだ。

 それはとても、当然のことのように思えた。

「お父さま」

 今さらながら、頬に涙が伝う。

 父が無謀な真似をしたのは、どう考えても私のせいだ。

 私がフィリップとうまくやっていれば、違約金を用意しなければと父は思わなかったはずだ。 

 私が父を殺したようなものだ。

「お父さま、ごめんなさい」

 すべて私のせいだ。

 私が不幸を招き寄せたのだ。

 気が付けば私は膝を床について、声をあげて泣きだす。

 客人が待っているとわかっていながら、私は噴き出す感情を止めることは出来なかった。


※ハプセント公爵五十歳 夫人四十歳後半に変更しております。本文修正済み。

(年齢計算間違えてました)

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