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生死不明

 眩しい日差しが照り付けている。

 私は小さな白い花を丁寧にかごに摘んでいく。貴族の庭園は観賞用の花を育てることが多いのだが、我がラムル家の庭園は薬草園になっている。

 これは、私の亡くなった母親が始めたものだ。簡単に手に入れることの難しい薬草もいくつか栽培していて、見る人が見ればかなり価値のある庭園である。

 母は魔術師で、優秀な薬師でもあった。父との出会いは、仕事をつうじてのことだったらしい。

 前妻の子爵夫人は、兄を産んですぐに亡くなったそうだ。

 我が母は、兄も私も分け隔てなく育ててくれたので、私と兄との関係も良好で、母が亡くなった時は二人して泣いた。

 薬草園は、現在私が引き継いで世話をしている。

 私も一応魔力は高いけれど、父や兄のように魔道具を開発したりすることには向いていなくて、薬師でもあった母の跡を継ぐような形になっている。

 婚約が決まるまで、将来、自分はなんとなく薬師になると思っていた。貴族であることを辞め、平民になって、自分の足で歩こうと思っていた。誰かのために、何かできる自分になりたかったのに。

 私の縁談は、誰にとっても好ましいものではなくて、誰も幸せにできないものだ。

 いや、少なくともそれぞれの家にとっては、多少の利益はあるのだろうけれど。

 いつのまにか、かごは花でいっぱいになっていた。

 私は大きく伸びをする。

 私が嫁に出たら、ここをどうするかは兄が決めるのだろう。

 貴重な薬草は、商売上役に立つけれど、貴族の庭園としては()()()ない。

 その辺について、兄の考えをまだ聞いてない。私が残して欲しいと言えば残してくれるだろうけれど、こればかりは家を出ていく私が口をはさむことではない。

「お嬢さま、ロバートさまがお呼びです」

「お兄さまが?」

 侍女のミリーナに呼ばれ、私は薬草を摘む手を止めた。

「そういえば、客人もいらっしゃっているみたいだけれど?」

「エドワルドさまがお見えになっております。どうやらお仕事のようで」

「あら。エドワルドさまが?」

 兄とエドワルドは親しいけれど、エドワルドが頭取になってからは我が家に来ることは少なくなった。

「何かしら」

 なんとなく嫌な予感がした。

 そして、その予感はとても正しかったのだった。




 応接室には、兄のロバートと二人の客人がいた。

 一人はエドワルド・ハプセント。もう一人は、ハプセント銀行の財務管財人のマクセル・ブロフォン。四十代のハプセント銀行に雇われている男だ。非常に細かいところに目の届く、有能な人物である。二人は、ソファに座り沈痛な顔をしている。

 どちらも見知った顔ではあったが、兄も含めて、楽しい話をしているわけではないことはすぐに分かった。

「ルシール。大変なことになった」

 兄は重い声で告げる。

 兄はどちらかと言えば、他人の前で感情を表すことは少ないのに、今日は明らかに険しい。

 それほどに、事態は深刻なのだろう。

 何も聞いていないのに、私の心に緊張が走った。

「落ち着いて聞くんだ。父上の船がどうも嵐に遭ったらしい」

 意味が分かるまでに、私は数秒かかった。

 父の船が嵐に。ゾクリと身体が冷える。

「お父さまの船が難破したの?」

 自分で思っている以上に言葉が震える。

「いや、まだ、確定したわけではない」

 兄自身もおそらく整理できていないのだろう。言葉に動揺を感じる。

 安全な船旅などないとわかっていたはずなのに、船が難破するなんて考えたこともなかった。

 父は海の向こうのバンディ帝国に商談に出かけてそろそろ帰国の日程になっていたのは事実だけれど、船旅なので、ひと月、ふた月、遅れることはある。

 しかし事態は深刻のようだ。

 銀行の人間が、こんな悪趣味な冗談を言うために我が家を訪れたりはしない。

「そうはいっても、銀行としては、無視できない話でね」

 エドワルドが苦い顔をした。

 ハプセント銀行と我が家は、長い付き合いである。父だけでなく、私も兄もお世話になっていて、とても良好な取引相手ではあったけれど、ビジネスだ。

 どうやら、父の船が出航してすぐ海上は大嵐となったらしい。時化が酷く、捜索もできていない。昨日、父の船の後から出航した船が港に到着してわかったとのことだ。

「今回の出航は投資で資金を募っている。三か月後の返済ではあるが、五千万ゴールド。配当は出せないにせよ、返せるだけ返していただかないことには、こちらとしても問題でね」

「……五千万」

 私は息をのんだ。

 バンディ帝国までの船旅は、ひと月余り。行って、帰ってくれば莫大な財を得ることができるはずだったからこそ、普段は慎重な父は借金をしてまでも、出航したのであろう。

 父にここまでの無理をさせたのは、私のせいだ。

 ずきりと胸が痛む。

「たとえ、ラムル子爵が生きていたとしても、船が難破していれば資金の返済は難しい。酷なようだが、覚悟して今から資金を準備してほしい。まだ難破が確定していない以上、期日までは資金凍結はしないから」

 父の生死不明はショックだが、突きつけられた問題は深刻だ。

 三か月で五千万はなかなかに厳しい金額である。うちの商会と領地経営の年間収入が四千万程度なのだ。収益はその半分もない。

 それに農産物収益は秋までお預け。三か月後は、夏だ。魔晶石の加工産業はそれなりに発達しているが、国内需要だけでは、大きな収入にはなっていない。

「わかりました」

 兄が沈痛な顔で頷いた。

「何とか用意いたしましょう。商売上の約束ですから」

 場合によっては、爵位を返上することになるかもしれない。だが、泣いてすがってどうにかなるものでもないのだ。

「お兄さま」

「手始めに倉庫にある在庫品、家にある美術品を売れば、千万ゴールドくらいにはなるだろう」

「ドレスも売りましょう。婚姻用に用意していたアクセサリーもいらないわ」

「ルシール」

 兄は戸惑った顔を見せた。

 父が帰ってきたら日取りを決めるとなっていた結婚は、きっとなくなるに違いない。

「フィリップさまは、私のことが嫌いです。うちにお金がないことがわかったら、私と婚姻などするはずがありません」

「そうかもしれないが」

 言っていて、私は気づく。そうなった場合、違約金などはどうなるのだろう。さらに違約金まで要求されることになってしまうのかと思うと、顔が青ざめてくる。

「お兄さま、違約金はどうなるのでしょう?」

「違約金?」

 エドワルドは眉間にしわを寄せた。

「婚約を解消するには違約金が必要だという取り決めがあるのです」

 兄が苦い顔をした。

「随分と金銭にうるさい縁談だな。書類はあるのか?」

「はい」

 兄が頷いた。

「見せてくれ。かなり私的な話に顔を突っ込んで申し訳ないが、金銭トラブルになるような事態は望ましくないだろう、ブロフォンに確認させてくれ」

 エドワルドが連れてきたブロフォンは法律に詳しい。

 三か月後までに五千万ゴールド用意しなくてはならない我が家としては、不要な金銭トラブルをこれ以上抱えている余裕はない。

 兄は書類を持ってこさせて、二人に見せた。

「ほほう。これは興味深いですね」

 ブロフォンは、口の端を少し上げた。

「随分と違約金が高いのだな」

 エドワルドは書面を覗き込んで、右眉を少し上げた。

「簡単に破棄できぬようにしたのだと思います。伯爵は私とフィリップさまが結婚して、継続的な支援を狙っていましたから」

「その割には、あの男は君をないがしろにしていた」

 エドワルドは義憤にかられたようにムッとした顔をする。

「伯爵の意志と、フィリップさまの意志は違うのでしょう。我が家としても伯爵家からの打診をお断りすることは出来なかっただけで、望んではいませんでした。お互い様ということなのだと思います」

 私は苦笑いを浮かべる。

「どうでしょうか、エドワルドさま。妹の婚約は破棄できるでしょうか?」

 兄が心配そうに口を開く。

「どうだ、マクセル」

「はい。私の言うとおりにしていただければ、おそらくは」

 ブロフォンは、口元を僅かに緩める。

 聞くべきものは専門家の意見だと、私は思った。

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