兄妹~婚約発表前夜~ 電子書籍化記念SS
19話婚約発表の夜会の前日譚です。
婚約の発表を明日に控え、ベッドに入っても眠れなかった。
客観的に見て、私とエドワルドの婚約は、私に圧倒的に有利すぎるものだ。兄のロバートの才能、ラムル商会の可能性を加味しても、公爵家令息であるエドワルドと子爵家の私では全く釣り合わない。
エドワルドはそれでもいいと言ってくれていて、ハプセント公爵夫妻や、ライラ、アーサーも背中を押してくれてはいる。
借金を肩代わりしてもらった経緯なども含めれば、私の方から断るという選択肢はない。それでも私は怖いのだ。
エドワルドのことが好きだからこそ、自分のせいで彼が他人から何か言われてしまうのではないかと考えてしまう。
たとえ言われたとしてもエドワルドはきっと気にしないし、私を守ろうとしてくれると知っているのに。
暗い天井は重くのしかかってくるようだ。
「ふぅ。お茶でも飲んで、落ち着かないと」
私は寝ることを諦め、起き上がってランプに火を入れた。
ガウンを羽織り、食堂へ行くと明かりがついていた。
「お兄さま?」
背格好からみて、兄のロバートだ。
こんなに遅くに何をしているのだろう。何かの研究を始めてしまったのかもしれないと思ったが、兄の前には酒瓶とグラスが置かれていた。
「ルシール?」
兄はほんのりと赤く染まった顔で私を見る。
「お酒を飲まれていたのですか?」
意外だった。兄は、ほぼ家では酒を嗜まない。外で付き合いのために口にすることはあるけれど。
「ああ。ちょっと落ち着かなくてな」
兄は頭を掻く。
「明日はお前の親族として、たくさんの人に会わないといけないだろう? さすがに緊張してしまってな」
基本的には公爵家が取り仕切る夜会であり、兄が何かをすることはあまりないとはいえ、それでも挨拶はかかせない。商売で話をするのとはわけが違うってことなのだろう。
「私もです。いろんなことを考えてしまって」
「ルシールの場合は当事者だからな。緊張して当然だろう」
兄は詳しく聞こうとはせずに、ただ頷いた。
きっと兄には全部バレている。私の不安に気付いたうえで、そう思うことは当たり前だと肯定してくれているのだ。
「お茶を飲もうと思ったのですが、お兄さまも飲まれますか?」
「そうだな。いれてもらおう」
「魔道湯沸かし器を使いますね」
かまどに火を入れて湯を沸かすとなるとおっくうだが、魔道湯沸かし器なら水を注ぐだけでお湯を沸かすことができる。最初はその便利さをよくわかっていなかった私だけれど、こうして夜中にお茶を飲むとなると、今までの手間と全然違うことを実感する。
アーサーたちが借金を肩代わりしてくれたのは、兄の才能を惜しんでくれたことも大いにあるのだろう。
「そういえば、先日、エドワルドさまが、義兄上とか言い始めてな。さすがにやめてもらった」
兄は苦笑する。
「嫌なのですか?」
「嫌というより落ち着かないのさ。私はエドワルドさまを尊敬しているから」
若くして銀行の頭取になったというのは、単に血統がよかったという話ではない。エドワルドの才覚が抜きんでていたからだ。
「それにどちらかと言えば、私の方が年下だし。まあ、二か月ほどしか変わらないけれど」
兄の言いたいことはなんとなくわかる。
長年、ロバートと名前で呼ばれていた相手だ。義兄上呼びは、くすぐったいような、それでいて距離が変わってしまったような、そんな複雑な気持ちになるのかもしれない。
「なあ、ルシール。エドワルドさまは、ダイナー家のあの男とは違う。お前を大事にしてくれるだろうし、守ってくれるはずだ」
「はい」
私は頷く。
そのことを疑ったことはない。
「お兄さま」
エドワルドとの婚約はフィリップとの婚約の時とは違って、望み望まれての婚約で、両家に祝福されている。
「エドワルドさまはもちろん、ハプセント公爵家の方は私を守ってくださると思っていますけれど、お兄さまやお父さまが私を守ってくださったように私だって、みなさまを守りたいのです。私のことで誰も傷ついてほしくない」
「ルシールは欲張りだな」
兄に言われて、私はどきりとする。
以前、エドワルドにも自分の力が及ばないことにまで責任を感じる必要はないと言われたことがあった。確かにすべての人に好かれることはできないし、人のうわさを封じることも不可能だ。自分は欲ばりすぎだったのかもしれない。
「つまり、守られるだけでは嫌なのだろう?」
兄はにやりと口の端を上げ、グラスの中の液体を揺らす。
「大丈夫。ルシールは自分の目の届く範囲の人間を幸せにできている。だから心配しなくていい」
兄の言葉は優しくて、私の不安を和らげていく。私は私のできる範囲で頑張ればいいと言ってくれているのだ。
「お兄さまは本当にすごい」
ともすればうつむきがちな私の姿勢をいつも正してくれる。
兄がいなければ、今の私はきっといなかった。
「ルシールが真面目過ぎるんだ。あ、お湯、沸いたぞ」
兄に言われてふとそちらを見れば、魔道湯沸かし器が湯気を吹いている。
「お茶、いれますね」
「ああ」
私は茶器を並べ、魔道湯沸かし器に手を伸ばす。
もう、闇は重たくのしかかることはない。
兄妹で話す夜は、静かにふけていった。