告白
薬草園は、若い男女が愛を囁く雰囲気はない。
花は小さいし、雑草のような草が生い茂っている。
話さなければいけないとわかっているのに、何からはじめたらいいのかわからない。
「ルシールどのと初めて会ったのは、もう三年ほど前だったかな」
エドワルドがぽつりと呟いた。
「そうですね」
私は頷く。
もっともエドワルドは銀行の仕事で、父と融資の話をするために我が家を訪れたに過ぎない。
その後、エドワルドと兄が意気投合して、たまに屋敷に遊びに来るようになって、私も兄と一緒にお茶をしたりした。
エドワルドは博識で、しかも優しくて、話はいつも面白かった。
けれどエドワルドが銀行の頭取に就任すると、彼は忙しくなり、我が家を訪れることはなくなった。
憧れていなかったと言えば嘘になる。
でも、遠い人だとわかっていたから、思いを育てることはしなかったし、婚約者が出来てからは完全にそのことにふたをして胸の奥にしまっていた。
「あの頃の俺は、自分の気持ちを気づいてなかった。この屋敷に居心地の良さを感じていたけれど、その理由までは全く考えていなかったんだ」
エドワルドは目を伏せた。
風が頬を撫でる。薬草園の木々の葉がざわりとゆれた。
「仕事に追われているうちに、いつの間にか君に婚約者が出来たと聞いた。噂では、君が婚約者を買ったらしいと。つまり、君があの男を好きで婚約したのだと思った」
「それは」
「わかっている。だが、俺はそう思った。その時初めて気づいたんだ。俺は、君が好きだったのだということに」
エドワルドは息を継ぐ。
「気づいたときは既に遅かった。だからあまり社交界にも出ずにさらに仕事に没頭した」
「エドワルドさま……」
「君とあの男がうまくいっていないと聞いた時。あの男が君を虐げているとわかった時。なぜ、君が婚約を続けているのか、腹立ちすら感じていた。君はあの男をそんなに好いているのかと思ったからだ」
エドワルドは自嘲めいた笑みを浮かべる。
「実際に二人を見て、君があの男をなんとも思っていないことに気づいた。君には悪いけれど、俺は少しうれしかった。だが、だからこそ婚約を続けている理由がわからなかった」
「エドワルドさま」
「マローニどのの船のことがあって、なぜ婚約を破棄しなかったのか理解した。君の婚約は金でしばられていたものだった」
エドワルドは小さく息をついた。
「俺は公爵家の人間だが、自由に使える金はそれほど持っていない。今回のことも、兄に頼まなければ、到底足りなかった。君を助けるどころか、俺は君から奪う立場で、どうしたらいいのかずっと悩んでいた」
「エドワルドさまには、たくさん救っていただきました」
私は首を振る。
「フィリップさまの仕打ちだけでなく、私は社交界で優しくされたことはありませんでしたから。エドワルドさまは肉親以外で唯一私を守ってくださった方です」
聞こえてくる蔑みの声。侮蔑の色を帯びた視線。
あまりに日常的すぎて、慣れてしまっていた。
全てを嫌いになりそうな中、エドワルドの高潔さが眩しかった。
「ルシール、君が好きだ。もう一度言う。俺と結婚してくれ」
「でも、私よりも」
エドワルドなら、もっと素敵なひとがいると思う。借金を支払ってまで手に入れるのが私では、あまりにも彼にとって不利な結婚だ。
「君は断らないはずだ。君は言った。ロバートと商会が守れるなら、相手が誰でも結婚すると。それなら、俺が相手でも君は断らないはずだろう?」
「それは……」
もちろん。私としては断る理由は何もない。
「君は俺が嫌いか?」
エドワルドが自信なさそうな目で、私を見る。
そんなことはあり得ない。ずっと。ずっと、遠い人だと思って抑えてた。
その気持ちに名前を付けていいとは、思えなかった。
エドワルドは誰からも祝福される相手と結ばれるべきだから。
でも。
本当は、もう気持ちにふたが出来ないほどあふれてる。
「私はエドワルドさまが好きです。でも」
「でもはいらない。そもそも君は断れない。俺は君を金で買うのだから。卑怯と言われてもしかたがない。二度と君を他の誰かに奪われないためなら、俺はなんでもする」
エドワルドの眼差しが私を射る。
逃げられない、と思う。
もともと逃げたくなんかないのだから。
「随分不利益な買い物だと思います。エドワルドさまが後でいらないと思われても、私、もう絶対に離れませんけれどいいんですか?」
「もちろん。金庫に鍵をかけて君をしまっておきたいくらいだ」
エドワルドの手が私の顎にふれる。
目を閉じると、唇に柔らかな感触を感じた。
それから、しばらく時が過ぎて投資の資金の期限が来た。私たちはハプセント公爵家の援助のおかげで、資金の返済を終えることができた。
ラムル商会はハプセント公爵家のものにはなったが、兄は相変わらず経営者兼、開発者として働いている。魔道湯沸かし器は順調に売り上げを伸ばし、商会は順調だ。
父が生死不明のまま半年過ぎれば、領地は兄が自動的に引継ぎ、子爵となる。
そろそろ兄も落ち着いて、いい人を探すべきだと思うけど、仕事大好き人間だから、なかなか難しいだろうなとは思う。
私の方も、薬師として少しずつ仕事をしている。
エドワルドとの結婚でなんとなくごまかしてしまうのではなくて、兄と私とで、少しずつ公爵家にお金を返していきたいのだ。いくらエドワルドがいいと言っても、やはりお金は大事なことだから。
エドワルド名義になったうちの屋敷は、相変わらず私と兄が住み続けている。
エドワルドは兄を追い出すつもりはなくて、一緒に住むつもりらしいのだけれど、兄としては私が結婚したら、兄自身が出ていくか、エドワルドと私に新しい屋敷をと、思っているらしい。
それはそうだ。子爵と伯爵が同じ屋敷に住むなんて、かなり滑稽だ。
一時的には仕方ないにせよ、いずれ考えていかなければいけない。
兄が売り払った物の買戻しや、使用人の呼び戻しに慎重なのは、きっとそのせいだろう。
それに。
兄としても、父のことに『区切り』が付かないうちは、いろいろ踏ん切りがつかないのかもしれない。
私も兄も、まだ、父の葬式はしていない。
葬式をしてしまったら、二度と父は帰ってこないとどこかで恐れている。
葬式をしてもしなくても、父の生死に関係はないことはわかっているのに、踏み切れないのは、まだ、私も兄も父の死を受け入れられていないということなのだろう。
こればっかりは、ゆっくりと気持ちを切り替えていかないといけない。
今日はハプセント公爵家の夜会だ。
実は、エドワルドと私の婚約発表の場である。
ドレスはエドワルドに贈られたものだ。
私専属の侍女はまだいないので、公爵家の侍女のひとに髪結いと化粧までしてもらっている。
「今日の君は本当に綺麗だ」
エドワルドは私の腰を抱きながら囁く。
今日のエドワルドは白のスーツ姿。すらりとした長身が際立って、とても素敵だ。
「皆様のおかげです」
エドワルドの腕をとりながら、私は俯く。
私は、兄と父以外にエスコートをされたことがない。だから、エドワルドとの距離の近さにどうしても緊張してしまうのだ。
「何があっても、何を言われても、俺から離れないで、俺だけを見ていればいい」
私の緊張を別の意味に捉えたエドワルドが私の身体をさらに引き寄せる。
「ええ。大丈夫です」
自分が何かを言われることには慣れている。
でもこれからは。私自身の名誉は、エドワルドの、ハプセント公爵家の名誉にもつながってくる。
理不尽な言葉には、決して、下を向いたりはしない。
私はエドワルドと共に夜会の会場へ向かった。
明日最終話です