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予期せぬ訪問

 十日が過ぎた。

 屋敷はまだ売れない。

 父の船の噂がポツポツ囁かれ始め、兄が言うには商売上、なかなかシビアになってきたらしい。

 屋敷にしろ、領地にしろ、商会にしろ。足元を見られれば、買いたたかれるのは当たり前だ。

 父の帰国予定から、既にひと月以上が過ぎている。

 資金の締め切りまでひと月あるものの、『船が帰ってこない』のは投資者たちの不安を誘って当然で、そろそろ幕引きの時なのだろう。

 ぎりぎりまでは薬を作っていようと、薬草の貯蔵庫で、私は摘んだ葉をすり鉢ですりつぶす。

 地味に体力が必要な仕事だ。

 でも、今は、身体を動かしている方が余計なことを考えなくていい。

「ルシールさま」

 クォーツが慌てたように、扉の向こうから私を呼んだ。

「何? 開いているわよ?」

「ハプセント次期公爵夫妻とエドワルドさま、ブロフォンさまがお見えです」

「え?」

 エドワルドとブロフォンは銀行の用事ということだろう。でも、ライラとアーサーがなぜ?

 薬は十分に届けてある。どういうことだろうか。

「ロバートさまとルシールさまにお話があるそうです。食堂にご案内しておりますので、お早くお支度を」

「ええ、わかったわ」

 理由はよくわからないけれど、客人を待たせるわけにはいかない。

 私は慌てて身支度を整えることにした。



 次期公爵夫妻を待たせるには、どうしようもなく殺風景な食堂だと思う。

 壁に掛けてあった絵画も、花を活けていた花瓶も、もうない。

 もともと公爵家に比べたらたいしたことはなかったけれど、今の我が家は『清潔』というところしか誇るところはない。

 何もない食堂のテーブルで、四人は兄の入れたお茶を飲んでいた。

「あの、お待たせしてすみません」

 私は頭を下げ、兄の隣に腰かける。

「構わない。突然押し掛けたのはこちらの方だ。気にしないでくれ」

 アーサーが口を開く。

 ふとエドワルドと目が合って、胸がドキリと音を立てた。

 いけない。あれは事故だ。忘れなくてはいけないのに、つい、意識してしまう。

「ロバートどの。弟が持ち帰った『魔道湯沸かし器』だが、実に興味深いと思っている」

「ありがとうございます」

 兄は丁寧に頭を下げる。

「官庁はもちろん、いずれは軍部や野外作業などにも使える技術だ」

「野外ですか。確かにそうかもしれません」

 兄は大きく頷く。

 軍部が『使える』と思った『魔道具』は伸びる、とは、父の言葉だった。

 軍用の武器とは関係なくても、軍事行動に必要な『土木系』の魔道具は非常に重宝される。そうして開発された品のいくつかは、徐々に貴族や裕福な商人に受け入れられていくのだ。

「この技術が変な輩に抑えられるのは惜しい。よって、この屋敷と、ラムル商会、あわせてを全部で三千万ゴールドで買いたい」

「え?」

 兄と私はお互いに顔を見合わせ目を見開いた。

「ひょっとして、ハプセント公爵家が買ってくださるとおっしゃるのですか? しかもそのような高値で」

 兄が信じられないという顔をする。

「ただし、条件がある」

 アーサーはニヤリと口の端を上げた。

「私は商売については完全に素人だ。ゆえに、ロバートどの。君は商会にそのまま残ること。経営は君に一任する。もちろん、収益の一割はこちらに払ってもらう」

「それは……よろしいのですか?」

 好条件すぎて、兄は信じられないという顔をしている。

 それが許されるなら、商会で働く人は何も変わらずに働けるし、兄もほぼ今まで通りのことができるだろう。

「もうすぐ私が爵位を継ぐのは、知っているな?」

「はい」

 兄と私がそっと頷く。

「それにともない、弟にも財産分与と、伯爵位を父は与えることにした」

「それは、おめでとうございます」

「そうなるとだ。いつまでも公爵家の屋敷に住んでいるのもどうかということになる」

 アーサーはコホンと咳払いをした。

「えっと。つまり、この屋敷を、エドワルドさまのものにしたいというお話なのでしょうか?」

「まあ、簡単に言うとそうだな」

 アーサーが頷いて、エドワルドに目をやる。

 エドワルドの顔はいつになく緊張しているようで、なんだかこわばってみえた。

「あの。いつお移りになるのですか?」

 私は口を開く。

「お急ぎならば、すぐにでも私も兄も出ていく準備は出来ております」

「それはだめよ、ルシール」

 にこり、とライラが笑いかける。

「ルシールが出ていってしまったら、屋敷の価値はなくなってしまうもの。ねえ、エドワルド?」

「え?」

 意味が分からず、きょとんとすると、立ち上がったエドワルドが私の横まで歩いてきた。

 そしてそのまま、私の前で跪く。

「ルシールどの」

 エドワルドの瞳に、私の姿が映っている。

 真っすぐすぎる視線が怖いほどだ。

「俺と結婚してくれないか?」

 言われた意味が最初、頭に入ってこなかった。

「俺を思い出にしないでくれ。俺は君と思い出を作りたい」

 嘘、と思った。

 こんな自分に都合のいい話があるのだろうか?

「待ってください。同情で人生を踏み外さないでくださいませ。エドワルドさまには、もっと」

 うちの借金をハプセント公爵家が被るというだけでも、嘘みたいなのに。

「ルシール。言ったでしょう? 相手はいくらでもいる。私が見つけてあげるって」

 ライラがくすくすと笑う。

「エドワルドはね、()()()()いいのよ」

「本当は、この部屋がこんな殺風景になる前に、君を救いたかった。でも、俺一人の貯蓄ではさすがに足りなくて、どうしたらいいか迷っていた。それに、金で君を買うようなことはしたくなくて」

「それが間違いだと、私がエドワルドに言ったんだ。今、ラムル家を救わなかったら、ルシールどのは我々の前から姿を消すだろうって」

 アーサーが肩をすくめる。

「私が金を払うのは、弟のためだけじゃない。まして安っぽい同情でもない。ラムル商会には将来性があるし、ロバートどのは逸材だ。そこに投資をすることは、無駄ではないと思うからだ。それに私たち夫婦は、ルシールどの、君には返せないほどの恩がある」

「アーサーさま」

 兄に期待してくれているのは本当だと思う。兄にはそれだけの価値がある──でも。

「エドワルドはね。私が本気であなたの相手を探し始めて焦ったの。だって、そうでしょ? やっと婚約破棄をして、自分のそばに戻ってきたあなたが、また他の男のものになるなんてね」

「義姉上!」

「エドワルド、こういう時に隠し事をしてはいけないわ」

 ライラはエドワルドを窘める。

「あの、ライラさま」

 兄が遠慮がちに口を開いた。

「だいたい事情は察しました。エドワルドさまも、ルシールもここで全部赤裸々に話すのはさすがにためらわれるのではないでしょうか。私も、妹の恋愛事情を全て知りたいとは思いませんし」

「お、お兄さま?」

「ルシール、エドワルドさまを薬草園に案内してきなさい」

「ええっと?」

「私はブロフォンさまを交えて、アーサーさまと契約の話をする。お前たちの話は、お前たちでするがいい」

「ロバート、恩に着る」

「いや、こちらこそ、妹をよろしくお願いいたします」

 兄は丁寧に頭を下げ、私を促す。

 どんな顔をしたらいいのかわからないまま、私はエドワルドを薬草園のほうへと連れ出すべく、彼の手を取って歩き始めた。

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