縁談?
昼食が終わると、エドワルドが兄の作った魔道湯沸かし器を使ってお湯を沸かし始めた。
公爵家の使用人も含めて、湯気を上げ始めたそれを、驚きの顔で見つめている。
商品として売れるかどうかは別として、斬新なアイデアではあったのだろう。
「ほほう。これはなかなか面白い」
アーサーが顎に手を当てている。
「ロバートが言うには、官庁で客人に茶を出すのに便利ではないかと」
「確かに。これなら、飲みたいと思ってすぐに飲める」
ザウサントも頷いている。
「しかし普通の『お湯』なのか?」
「では、私がお茶を淹れますね」
茶道具を借りて、お茶を淹れる。
本当は茶器を温めるところからやるべきだけれど、公爵家の使用人は、当然、既に温めた茶器を持ってきてくれた。さすが、使用人の気配りも超一流である。
「ルシールは手際がいいのね」
ライラがびっくりしたように私の手元を見る。
「薬師はお茶も淹れますし。それに私は下級貴族ですから、この程度のことはできますよ」
高貴な人の侍女は、貴族の子女が務めることが多い。
だから私がお茶を淹れたところで何の不思議もないのだ。
「どうぞ」
私は淹れたお茶を皆の前に並べた。
とても良い香りがする。公爵家だけあって、使っている茶葉はとてもいいものだ。
「まあ、美味しいわ」
ライラがそっと口にする。
「……普通だな」
アーサーがふむ、と頷く。
「普通に飲める」
恐る恐る口につけたザウサントも、納得したようだった。
エドワルドは無言だ。もともと、彼は既に我が家で飲んでいるので驚きはしないのだろう。
「軍の移動にも使えそうだな」
ぽつりとアーサーが呟く。
なるほど。火をおこさなくてすむっていうことは、軍の行軍のような野外活動にも向いているってことだろう。魔道具は割とデリケートなので、野外使用に耐えるにはそれなりに強度を改造する必要はありそうだけれど。
「これはどうしたら買える?」
「ありがとうございます。商会にお話をいただければ良いかと。詳しくは兄の方からご連絡させていただきます」
「できれば、君と連絡をとりたいものだが?」
ザウサントがウインクをしながら私を見る。
「ご冗談を」
モテ男と名高いザウサントは、私にさえ礼儀として声をかけるらしい。
「冗談ではないのだがなあ」
「ジェイムズ、やめておけ。彼女はダメだ」
アーサーが小さく首を振る。
「彼女は、私と妻の恩人だ。君に食い物にされるのを黙って見ているわけにはいかん」
「食い物ってアーサーさまは、人聞きが悪いな」
ザウサントが肩をすくめ抗議した。
「侯爵である君が誘えば、それは誘いではなく強制だ」
「なるほど」
アーサーがピシャリと決めつけると、ザウサントは苦笑する。
「仕事に関しては君のことを信じているが、君の私生活は正直、目に余るものがある。彼女のような聡明な女性がそばにいたほうがいいのは事実ではあるが」
「兄上」
エドワルドが低い声で、アーサーを制する。
アーサーは、咳払いをひとつした。
「まあ、それはともかく、そろそろ仕事の打ち合わせに戻ろう。ルシールどの、ゆっくりしていってくれ」
アーサーはそれだけ言うと、ザウサントとともに食堂を出ていった。
食堂には、ライラと私。そしてエドワルドの三人だ。
「ねえ、ルシール。さっきやっていた『魔力を流す』ってどんな感じなの?」
ライラは興味津々という顔。どうやら、ずっと気になっていたらしい。
「やってみましょうか?」
「え、ええ」
私は立ち上がりライラの肩に手をのせる。
「リラックスしてくださいね」
指で少しだけもみほぐし、軽く魔力を流す。
「わぁ」
気持ちよかったらしく、ライラが声を上げた。
「どうでしたか?」
「ふわっと、温かいものが流れてきたわ。肩が楽になったような気がする」
「一時的なものですよ。実際には膏薬の方が何倍も効きます」
私は苦笑する。
ただ、『効く』という実感は、魔力を流す方が即効性のある分高いのだ。
「ザウサントさまのように『自覚症状』のない方に、治療の必要性を感じていただくにはちょうどいいのです」
「どういうこと?」
ライラは首をかしげた。
「ただ膏薬をだしたところで、ああいうかたは、きちんと使われないことが多いのです。ご自身の身体に無関心で、不調以外のところに原因があるとあまり思われない方だと思うので」
「それはそうね」
くすりとライラが笑う。
「ねえ、エドワルド。ルシールが婚約を破棄したと、聞いたのだけど」
「はい。それが何か?」
エドワルドは突然、話を振られて、首を傾ける。
「私が新しい縁談を探してもいいかしら?」
「え?」
私とエドワルドが同時に声をあげる。
「あの、ライラさま。お話したように、うちには借金があります。近いうちに私は貴族でなくなるかもしれませんので」
「借金を肩代わりできるお金持ちに嫁ぐって発想はないの? あなたならまだ若いし、とても綺麗で聡明だもの。相手はいくらでもいるわ。例えばかなり問題児だけれど、ザウサントさんなら、それができると思うわ。銀行としても、ベストじゃないかしら」
ライラはなんだか楽しそうに話すけれど。
「それは難しいと思います。私はご存知のように貴族の血を半分ひいておりませんし、婚約を破棄された傷物です。借金を抱えてまで嫁にしたいと思う酔狂な方はいらっしゃいませんよ」
ザウサントも、リップサービスをしてくれただけで、本気で私をどうこうしたいわけではない。
せいぜい使用人にしたいと思ったくらいはあるだろうけれど。
「そうかしら。では、私が見つけたら、お話、聞いてくれる?」
「義姉上!」
「いいでしょ。何か問題が?」
ライラはにこにこと笑う。
エドワルドが困った顔をしている。
存在しない相手を探そうとする義姉を案じているのかもしれない。
「ライラさま」
きっとそんな相手は見つからない。私にもわかっている。
だけど、その気持ちはとても嬉しい。
「わかりました。もしそんな奇特な方がいらっしゃったら、謹んでお受けいたしますので、よろしくお願いいたします」
「ルシールどの、相手がどんな人間かわかる前に、そんな返事をしてはいけない」
エドワルドが眉を吊り上げる。
それはそうだと思う。契約書の内容を見ないまま、サインをするのと同じことだ。
でも。
「私を望んで下さるかたが、兄と商会も守ってくださるのだとしたら、お断りする理由などどこにもありません。そんなかたが現実にいるとは思えませんけれど」
そんな夢みたいな希望にすがっていては辛くなる。
だから、それはあくまでも『夢』のお話で、本気にはしていない。
とはいえ。今、ここでそのことを正直に話せば、気にかけてくれているライラに失礼だ。
「大丈夫よ。安心しなさい」
ライラはポンと胸を叩く。
「あなたは魅力的だわ。きっと望む男性がいるはずよ、ねえ? エドワルド」
「は、はい」
明らかに困惑しているエドワルドに、なんだか申し訳ない気分になる。
私の縁談は銀行としては望ましいだろう。
ただ、現実問題として、それはあり得ない。
あり得ない仮定を並べられても、銀行としてそれを支持は出来ないのは当然だ。
それに。
そんな男性はどこにもいないのだ。
「ライラさま。やはり無理なので、お手を煩わせるのは、やめておきます」
真面目で責任感の強いライラに、そんな手間をかけさせるのは気が引ける。
「あなたは聡明だけれど、諦めが良すぎね」
ライラは私の顔を見て、小さくため息をついた。