昼食
応接室での話が終わると、アーサーが現れ、先日の謝罪と共に昼食に誘われた。
そこまでは厚かましいと思ったのだけれど、ライラに「是非に」とすすめられ、私は公爵家の離れにある食堂に案内してもらった。
普段の食事は、公爵夫妻と、アーサー、ライラたちは別の食堂で取るらしい。
そのほうがお互いに気が休まるのと年齢で食の好みが違うという理由で、別段仲が悪いというわけではないとのことだ。
エドワルドは、公爵夫妻とともに食べるか、一人で自室で食べることが多いらしい。そもそも彼は普段とても忙しいので、食事の時間を合わせるのが難しいからなのだろう。
食堂にいたのは、ライラとアーサー、そしてエドワルドと、もう一人。ジェイムズ・ザウサント侯爵だった。ザウサント侯爵は、三十三歳。この国の宰相でもある。
二枚目で、男性的な顔つきだ。
意思の強そうな、太い眉。頑固そうに結ばれた口元。
非常に頭が切れるひとだが、愛妻家のアーサーと違って、女性関係が激しい。
何年か前に離縁してからは、特定の妻を持たず、とっかえひっかえしているという噂である。
人間的にはどうかと思うけれど実に有能で、一時期は紛争の可能性もあった国境線が落ち着いたのは、彼の外交の力だ。
父がよく褒めていたので、有能な人なのだろう。
もちろん公爵家の人間はみな重要人物であるし、交流があってもふしぎはないだろう。彼がここにいることに疑問はないのだが、なぜ私が同席することになったのか、よくわからない。
ラムル商会は国でも指おりの商会であったけれど、私は商会の経営に携わっていないし、そもそも商会の存続が危ういことはエドワルドが一番よく知っている。
たまたま同じ時間に居合わせただけなのかもしれない。
昼食なので、夜の晩餐会のような豪華なコースメニューではないが、焼き立てでサクサクのパイや、温かなシチューのならぶテーブルは、さすが公爵家だ。過度に豪華な食事というわけではないが、とても手の込んだ料理で、立派な料理人が作っているのだな、と思う。
「ところで、ラムル嬢。実は、ジェイムズがここのところ頭痛に悩んでいてな。何か良い方法はないだろうか?」
簡単な自己紹介をしたところで、アーサーに話しを持ち掛けられた。
なるほど。病気の相談だったというわけだ。
エドワルドが紹介してくれたのだろうかと、エドワルドの方を見たけれどあまり機嫌が良さそうではない。どうやら、アーサーの発案なのだろう。
エドワルドの機嫌が悪そうなのは、ひょっとしたら、ザウサントと仲がよくないのかもしれない。
どちらかといえばエドワルドもザウサントも仕事人間だけれど、女性関係については真逆だ。
「ちなみに、お医者さまはなんとおっしゃっておられるので?」
私は慎重に口を開く。薬師は、あくまでもただ薬を出す仕事なので、体調不良の場合は医師の診察の方が最優先なのだ。
「特に大きな異常はないとは言われている」
ザウサントは苦い顔で答えた。
異常はないが、時折、激しい頭痛に襲われるのだと、ザウサントは説明する。
「肩こり、不眠などの症状はありますでしょうか?」
「眠れないというほどではない。肩こりはよくわからない」
眠れないというほどではないといういい方は、微妙だ。
宰相と言う職業的に、ストレスを抱えていても不思議はない。
頭痛というのは、さまざまな原因から起こるものだが、彼の場合、一番最初に疑うべきはストレス的なものだろう。
医者が異常がないと言っている以上、薬師として出せるのは、頭痛を緩和する薬くらいだ。
肩こりがよくわからないというのは、本当にこっていない場合と、慢性的にこっていて気づいていない場合の二通りが考えられる。
「食事中に不作法ですけれど、立ち上がっても構いませんか?」
「ええ、いいわ」
私はライラに確認をとって、ザウサントの後ろへと回る。
「ザウサントさま、肩に触れてもよろしゅうございますか?」
「肩? ああ、かまわんが」
私はザウサントの肩に手を置いた。広い肩幅だ。
指に力をゆっくりと入れていく。
ジャケットを着ているせいもあるけれど、固くて全く指が入っていかない。
「失礼ですが、ジャケットを脱いでいただけますか?」
「え?」
ザウサントは驚いたようだったが、アーサーが頷くとゆっくりとジャケットを脱いだ。
シャレものらしく、中に着ているシャツもかなりオシャレだ。
「では、もう一度失礼します」
私は、再びザウサントの肩を指で押す。
固い。随分とこわばっている。
これは慢性的にこっていて、本人が全く気付いていないというケースだ。
「かなりの肩こりですね。少しほぐしますよ」
私は、指を入れるのを諦めて、肘でグリグリと肩の筋肉をほぐし始めた。
アーサーもエドワルドも、そしてライラも私が何を始めたのかと呆然と見ている。
「ぐ、うぅ」
「痛いですか?」
「いや、その、なんか痛いけれど、気持ちいいというか」
「そうですか」
どうやらそれほど強すぎるわけではなかったようなので、力を入れて強引にほぐしていく。
「少しだけ魔力を流します。よろしいですか」
「あ、ああ」
指先から『火』の魔力を流す。
他人の魔力を流すことで治癒を促す療法だ。私は専門ではないから、それほどうまくないけれど、薬を作るのに適した魔力は、そうしたことには向いているらしい。
「おぉ」
ザウサントから声が漏れる。
「はい。これで終わりです」
魔力を流し終えると、自分の席に戻った。
血行が良くなったのだろう、ザウサントの顔色はやや赤い。
「今のは、治癒魔術か?」
「厳密には違いますが、治癒を促す効果はあると思います」
ケガや病気を直接『治す』という魔術は今のところない。
あるのは、『魔力』を流すことによって『身体が本来持っている』治癒効果を高めることだ。
「なんにせよ、ザウサントさまは慢性的に肩が凝っておられます。まだほぐし切れておりませんが、いっぺんにやりますとかえってあとがつらいことになりますので、定期的にマッサージを受けたほうが良いでしょう」
「マッサージとは、今のやつか?」
「はい。魔力を流せる人間はそうはいないかもしれませんが、もみほぐすだけなら簡単です。使用人の方にお願いされてはどうでしょうか。それから、肩を回すなどの動作を日常的に意識をしてなさいますように。肩こりは、頭痛の一因でありますので」
「肩こりが?」
ザウサントは信じられないという顔をする。
「もちろんそれだけではないと思います。慢性的な睡眠不足、運動不足、不規則な生活などもあると思われます。あと、飲酒もお控えになられたほうがいいでしょう」
「女房みたいなことを言うね」
にやりとザウサントが笑う。
「膏薬をお出ししますので、まず肩や首に貼ってください。それから鎮静作用のあるお茶をお出ししますから、夜に飲むように。それから、痛み止めのお薬も出しますので、痛い時はそれを服用して早めにお休みしてください」
「細かいね」
「たいしたことではございません」
「さっきの気持ちよかったから、君がうちに来てマッサージをしてよ。ついでに二人で運動をすれば」
「宰相閣下」
コホン、とエドワルドが咳払いをする。
「薬は、後でうちから届けましょう。ルシールどのは未婚の女性。恋多きあなたと交流があると噂されれば、彼女に傷がつく」
「薬師と患者の間に、なぜ公爵家が挟まるので?」
たぶん、エドワルドは、ザウサントがとても女癖が悪いことを心配してくれているのだろう。
でも、ザウサントは噂はどうであれ、この国の宰相閣下だ。本当に女なら誰でもいいってわけではないと思う。
さすがに本気で私とどうにかなるつもりはないだろう。
「マッサージに関しては、それを専門にしている治療師もおりますので、治療師をお探しになるとよろしいかと思います。私は近いうちに薬師をやめることになりそうですので、今回、お薬を試していただいたら、処方箋をお出ししますので、もっと良い薬師をお選びいただく方が良いかと。」
「ルシールどの」
エドワルドが驚いたように私を見る。
「みんなもういいかしら? とりあえず食べましょう。シチューがさめてしまいますわよ」
ライラが湿っぽくならないように、話をそらしてくれた。
婚約破棄をしたことで、父の話はきっとあっという間に広まっていくに違いない。
もう、それほど『その時』が来るまで、猶予はないのだ。
覚悟をしなくては、と。私はそっと心の中で呟いた。