処方箋
公爵家につくと、エドワルドと別れて、応接室に案内された。
昼の日差しが窓から差し込んでいて、とても明るい。
しばらくして現れたライラは、随分と肌つやがよくなった印象を受けた。
瞳に輝きが戻って、前より美しくなっている。
「こんにちは。ルシールさん」
薬と処方したお茶が彼女の身体にあっていたというよりは、たぶん、精神的に落ち着いたのだろう。
そこまで何かを変える薬ではない。
もっとも、本人が『効いている』と思っているのであれば、あえてそこを指摘する必要はない。
病は気から。副作用の強い薬を服用しているのではないのだから、それで気が休まるならその方が何倍も良いのだ。
「お身体の調子はいかがですか?」
「いいわ」
私の問いに、ライラはにこやかに答えた。
無理をしている様子は全くなくなっている。
「体の冷えがあまりなくなったのと、よく眠れるようになったわ」
「それはよかったです」
「あなたのおかげね」
ライラは微笑した。
「夫とかつてないくらいゆっくりと話し合ったの。私も彼も、わかっているようでお互いのことを何もわかっていなかったわ。あなたの言うとおり、子供が出来なかったときのことも話したの。そんなことを話したら、全てが駄目になってしまうように感じていたけれど、実際には違った」
ライラは息を継いだ。
「やっと、二人でいろんなことを始められる気がしたわ」
「それは、ようございました」
本当に良かったと思う。
思いあっている夫婦がすれ違うのは、やっぱり悲しい。
二人がもう一度手を取り合うことができたのは、もちろん二人が愛し合っていたからだけれど、私も手助けができたと思えば、これほど嬉しいことはない。
「これくらいわかってくれると思っていることって、お互いいっぱいあったのだけど、実際には半分もわかってなかったみたい。一番肝心なことですれ違っていたわ」
ライラは苦笑した。
「私だけが辛いとずっと思っていたけれど、彼も辛かったのね。それは、彼が私を愛してくれているからってことだわ。私、馬鹿だったなあと思ったの」
「お二人は本当に想い想われていて、素敵な夫婦だと思います」
ライラの苦しみも、もとはといえば、夫を愛しているゆえのものだ。
正直、羨ましいなと思う。
「あなたがいなければ、私たちはダメになっていたかもしれない」
「そんなことは」
「いいえ。今まで、私は医者にも診てもらったし、体にいいと言われれば食べ物を取り寄せてたべたりもしたり、授かったかたのお話を聞いたりもしたわ。でもね。みんな耳に心地よい言葉を繰り返すだけだった」
ライラは首を振った。
「どんな効能を謳われても、どんな方法を試しても、私は子供を授からなかった。『これならきっと大丈夫』は、全て呪いとなって返ってきたわ」
「それは……」
「もちろんそれを試して授かった人がいるのは事実。では、なぜ、私には効かないのか。私の何が悪いというのか。その気持ちが、私をどんどんむしばんでいった……」
ライラは大きく息を吐いた。
「もちろん、全てが解決したわけではないから、そのことを考えると、今でも辛いわ。でも、あなたの言うとおり、一番見たくない『未来』を夫と決めてしまったら、私はその未来より悪くなることがないって気が付いたの」
ライラは晴れやかに笑う。
「三年後。子供が出来なかったら、親類から養子をもらうことに決めたの。どこからもらうとかはまだだけど、そういう心配は、三年間はしないことにしたわ」
「それが良いと思います」
私は頷いた。
「気休めかもしれませんけれども、お二人は子供がいてもいなくても、王都で類をみないほどの仲の良いご夫婦だと思います。私はとても羨ましいです」
本当の夫婦はこうしていろいろなことを乗り越えていくのだなあと思う。
残念ながら、私は、その出発点にすら立てなかったけれど。
「そういえば、あなたはもうすぐ伯爵家に嫁ぐのでしたっけ?」
「いえ、私の婚約は先日破棄されました」
ライラは驚いた顔をしたが、私は微笑する。
「お気を使われなくても大丈夫ですよ。私も、フィリップさまも望んでいないいびつな婚約だったのですから」
「でも」
ライラも、私が『婚約者を金で買った』という噂を知っているのだろう。
「私が仮に『お金で買う』なら、もっと優しいひとを選びますよ」
私は冗談めかして、うわさを否定する。
「まあ。そうね。あの男は見栄えはいいけれど、あまり女癖もよくないというし、あなたにはふさわしくなかったかもしれないわ」
ライラは納得したようだった。
「あなたの価値は、あなた自身にあるわ。お金に目がくらむような人間ではなくて、きちんとあなたを評価してくれる人がいいと思うの」
「光栄です」
実際には、お金が無くなったから婚約破棄をされたのだ。少なくとも私は伯爵家の金づるでしかなく、お金がなければ価値がないと判断された。
今後。たとえ爵位がかろうじて残ったとしても、今までのような経済力は、我が家にはなくなる。もうお金は私の価値を高めはしないだろう。
もともと貴族の血を半分しかひいていない私自身の価値など、評価する人物がいるとはとても思えない。
それでも、ライラの言葉は私の心を温めてくれた。
「あの、ライラさま」
私は持ってきた薬の他に、薬の処方箋を書いたメモを机の上にのせた。
「近いうちに今の屋敷から引っ越すことになりそうなのです。そうなるとなかなかお薬を処方することが叶わなくなるので、いまお出ししているお薬の処方箋をお渡ししておきます」
「え? どういうこと?」
「それほど特殊なお薬ではないので、こちらを見せれば薬師なら誰でも作ることができるでしょう。ずっと服用しても害のないお薬ですので、続けていただく方が良いと思いますので」
「待って。婚約は破棄されたのよね? それとも、もう別の縁談が?」
ライラは戸惑いの顔をみせた。
「いえ、そのようなおめでたい話ではありません」
本当は、何も言わずにフェイドアウトするつもりだったけれど、よく考えたらやっと心を開いてもらえたのだ。無責任と思われるかもしれない。
悩み多きライラには、やはり誠心誠意対応すべきだ。
「恥ずかしいお話ですが、我が家に借金ができてしまって、屋敷を手放そうと考えているのです。もちろん屋敷にいる間は、お薬を作らさせていただきたいとは存じますけれど」
「借金?」
「はい。それもあって、婚約が破棄になったのです。金の切れ目が縁の切れ目とはよく言ったものですよね」
私は苦く笑う。
「ですから、ライラさまには、早いうちに信頼のおける薬師を別に探していただきたいのです」
体調が良くなっているのだから、私のことで空白の期間を作るのはよくない。彼女にとっては勝負の三年間なのだから。
「それなら薬のことは別にいいわ。あなたがこれなくなるわけではないのよね?」
「え?」
意外な言葉に私は驚いた。
ライラは少しだけ顔を赤らめている。
「わからない? これからも私はあなたと話がしたいの。あなたは決して、耳に心地よい言葉を言ってくれるわけではないわ。でも私にはあなたの治療が必要なの」
「ライラさま」
初めてだった。
肉親以外の人に、必要だと言われたのは。
「ありがとうございます」
胸が熱い。
「馬鹿ね。お礼を言うのは私の方よ」
ライラはにこりと微笑む。
その一言で、今までの自分が救われたように思えた。




