夜会
眩しい魔道灯の光の下、紳士淑女がダンスをしている。
さすがハプセント公爵家の夜会だ。ホールにはたくさんの招待客がいて、料理も楽団も豪華である。
「今回はお招きありがとうございます」
兄のロバート・ラムルとともに、私、ルシール・ラムルはホストである公爵と、夫人に挨拶をする。
「これはこれは、ラムル子爵家のロバートどのと、ルシール嬢。よくぞおいでくださった」
ハプセント公爵は五十代。今なお社交界で人気の美丈夫で、鋭い鳶色の瞳をしている。
隣にいるエレナ夫人は、四十代後半だが、その肌はまだ抜けるように白く、艶やかな美女である。
「父が不在のため、代理で参りました。公爵さまも公爵夫人もお変わりなく、お慶び申し上げます」
「マローニどのは、海の向こうか。相変わらず精力的なことだな」
「恐れ入ります」
兄と私は頭を下げる。
我がラムル家は子爵家ではあるが、かなり裕福な方に入る。
それというのも、父がとても商売上手で、経営しているラムル商会は王国でも指折りの商会なのだ。
ラムル商会と蜜月関係にあるハプセント銀行は、ハプセント公爵家が経営していることもあって、ラムル子爵家とハプセント公爵家は親しくしていただいている。
そして、ハプセント公爵家はラムル商会のお得意さまでもあるのだ。
「いつも美味しいお魚をありがとう」
「もったいないお言葉にございます」
我がラムル家の領地は、王都からかなり離れた港町だ。
豊富に新鮮な魚介類が採れるのだが、運搬に時間がかかるため、王都には加工品を出荷するにとどまっていたのだけれど。
父が氷魔法を応用して、魔術が使えなくても冷やせる魔道具、『保冷箱』を開発したことにより、ラムル商会は爆発的に成長を遂げた。
海から遠い王都に新鮮な魚介を簡単に運べるようになり、また、保冷箱も特許商品となったのだ。
そのほかにも父と兄は、とてもアイデアマンで、数々の魔道具を開発している。
パッとしなかった子爵家が、大きくなったのは、父と兄のおかげなのだ。
「それでは」
公爵夫妻に挨拶を終えると、兄と私はそこで別れた。
兄は父の名代だから、しなければいけない社交がまだあるのだ。
私は、冷たい果実水を手に取って、ぼんやりとたたずむ。
兄と別れると私への視線が急に冷たく感じた。
私の母は、先代の子爵夫人が亡くなってから嫁いだ後妻で、貴族ではない。
そのせいで、父や兄と離れると蔑みの目を向けられることが多い。
なまじ子爵家なのにお金があるということもあって、やっかみもあるのだろう。
嬉しくはないけれど、もう慣れてしまった。
泣いても、怒っても、私の母が貴族ではないという事実は変わらないのだから。
そんなこともあって、私はいつだって壁の花だ。
兄や父は、いつも心配してくれるけれど。
ふとダンスの輪の方に目をやれば、私の婚約者である、フィリップ・ダイナーが、美しい女性と踊っていた。
フィリップは私より三つ上の二十三歳。
金の髪、通った鼻筋。青い瞳は優し気な光をたたえている。周囲の女性の秋波を柔らかく受け止めながら踊る彼を見て、私は憂鬱になってため息を吐いた。
婚約以来、彼が私を顧みたことはない。
正直、彼が誰と踊ろうが何をしようが私はもう何も思わないことにした。
ただ、私たちは婚約者である。せめてファーストダンスは一緒に踊るくらいの優しさは欲しいなと、少し思う。
もっとも、彼は私がここに来ていることも知らないだろう。
婚約してから一度も、彼は私をエスコートしたことなどないのだから。
そんな様子から、私は金で婚約者を買ったと噂をされている。
婚約者のフィリップ・ダイナーは、伯爵家の嫡男。ダイナー家は王国でも古い名家で、格式も高い。
子爵家の、しかも平民の血を引く私との婚姻は、社交界である事ない事、噂されても仕方ない。
加えて、私は薬草の調合ばかりしている変人と言われている。
それは事実だし、たいして美人でもないし、社交もそれほど得意ではない。
社交界で人気のあるフィリップとの婚約は、周囲にとっては驚きの組み合わせだろう。
金で婚約者を買ったと思われても仕方がないのかもしれない。
ただ、あえて言うならば結婚を申し込んできたのは、伯爵家の方だ。
婚約したのは、一年前。
伯爵家は、フィリップが私に一目ぼれしたなどと言って強引に話を持ち込んだ。
伯爵は縁談がありそうもない金を持っている令嬢を探していたのだろう。
伯爵が望む条件を私がたまたま満たしていたということだ。
顔合わせの段階で、この縁談はうちの財産が目当てだとはすぐにわかった。
しかも、伯爵の一存で決まったもので、フィリップは納得していないという厄介な縁談だ。
彼の様子を見れば一目ぼれなど大嘘なのは明らかで、私はかなり嫌悪されている。
貴族の結婚に愛はいらないとはいえ、蔑まれて忌まれるのは辛い。
それでも、王家を通じての伯爵家からの打診では断ることはできないのだ。
婚姻にあたって、ダイナー家から提案されたのは、うちが伯爵家に融資をする代わりに、ダイナー家の鉱山からとれる魔晶石を優先的に買い上げることができるという権利だった。
とはいえ、伯爵家の鉱山は年々産出量が低下していて質も落ちている。
婚姻のメリットとしては、ダイナー家の『名家』としての名前の『箔』だけ。
しかも当のフィリップは、こうした公式の場でも私を婚約者として扱う気はゼロだ。
縁談に当たって、持参金まで支払わされている。
我が家から破棄するとすれば、多額の違約金をさらに支払わなければならない。どうにも解せぬが、父としても良縁と思って結んだことなので、今さら覆すのは難しいのだ。
もちろん。私とフィリップの間に、少しでもせめてもの友愛があればよかったのだ。
貴族の血が半分だとしても、私がせめて目の覚めるような美女であったなら、話は違ったのだろう。
「ルシールどの」
名を呼ばれて振り返ると、ダークブラウンの髪にグレイの瞳の男性が立っていた。すらりとした長身。整いすぎた顔は、眼光の鋭さのせいでちょっと酷薄な印象を受ける。
「エドワルドさま」
私は丁寧に淑女の礼をする。
彼の名は、エドワルド・ハプセント。公爵家の次男坊で、二十五歳の若さで銀行の頭取になったやり手だ。
エドワルドは兄と同じ年のこともあって、気が合うらしい。我が家にもたまに訪れることがあるので、私もよく知っている。
見た目は冷たく見えるけれど、とても高潔なひとで私にも優しい。
「踊らないのか?」
「ええ、まあ。ダンスは得意ではありませんので」
私は曖昧に微笑む。
「なるほど、そういうことか」
エドワルドは、私の視線の先を追って、眉間にしわを寄せた。
通常、最初のダンスは婚約者と踊るものだ。
「たぶん、あの方は私が来ていることをご存知ないのですよ」
フォローにならないフォローを口にする。
知っていたとしても、考慮してくれるとは思わない。
たぶん私が他の男性と踊れば、私が不実だと言われるだろう。
でも、彼はその暗黙の了解を破っても何も言われない。
私は貴族の血を半分引いていないから、周囲は彼に同情的だ。
「いいのか?」
「不思議なことに、何度ダイナー家に申し上げても、婚約を取り消すつもりはないそうなので」
私は肩をすくめる。
「王家を通じての縁談です。望む望まないは関係ございません」
「しかし」
「仕方ないですよ。どうせ私はただの金づるですから」
自分のことなのだが、どこか他人事のように思える。
伯爵家は、我が家のお金が欲しい。だから、伯爵は一応フィリップの行動を咎めてはいるとは聞いている。
でも当のフィリップは、私のことが大嫌いだから、伯爵の言うことを聞くつもりはないみたいだ。
形だけの結婚をして、愛妾でも囲うつもりなのだろう。格下の貴族の娘、しかも半分は平民の血を引く私だから、その扱いでも非難する者は少ないに違いない。
現に、今だって、フィリップの評判は全くと言っていいほど落ちていないのだから。
「俺から見れば、君という人間の価値を見誤っているようにしか見えないが」
エドワルドは眉間にしわを寄せる。
私に同情してくれているのだろう。
「光栄です。でも、私との縁談を決めたのはダイナー伯爵です。彼の意志ではありませんから」
私は苦く笑う。
「君はもっと怒っていいと思うんだがな」
エドワルドは呆れたようだった。
言いたいことはわかるけれど、私が怒ったところで何も変わらない。私が怒ろうが泣こうが、婚約は取り消せない。多額の違約金を払わない限りは。
それならば、全てを諦めて受け入れるしかないのだ。
「そういえば、マローニ殿の船はそろそろ帰ってくるころかな?」
「ええ。今月中には戻ってくるはずです」
父は、海の向こうのバンディ帝国に出かけている。
バンディ帝国は船旅で一月近くかかる。航路ははっきり見出されてはいるものの、長旅で危険も大きい分、収益も大きい。
おそらく父の頭には、私の婚約を破棄できるだけの金を用意しなくてはということがあったように思う。
父も腹違いの兄も伯爵家の私への仕打ちに怒りを感じていた。
たとえ私の母が誰であれ、私は子爵家の娘として教育を受け育っている。ここまで蔑まれるような失態を犯したわけでもない。
「君が本当に嫌なら、俺も手を貸して構わないのだが」
「……ありがとうございます。でも、もう決まったことですから」
一度成立してしまった婚約だ。そう簡単に解消できるものではない。
私が我慢すれば、子爵家にとってはそこまで悪くない縁談ではあるのだ。
それに。私の縁談ごときで、ハプセント公爵家を巻き込むわけにはいかない。
「そういえば、君が母に贈ってくれたお茶のことだが」
「フィリップさま、あそこにいらっしゃるのは、薬の香りのするお嬢さんではありませんの?」
嘲るような女性の声に振り返ると、フィリップと美しい女性が立っていた。
女性は確か、メアリー・スーダント。伯爵家の次女だ。
「おや、これはこれは、我が婚約者殿ではないか」
フィリップはメアリーの腰を抱いたまま、冷ややかに私を見た。