はじまりの大海原へ
おい、いい加減に起きろ!!
541お前のことだぞ!出る時間だ。
薄明かりの刺す独房の中に看守の声が嫌なほど響いた。今日のこの日をどれだけ待ちわびた事だろうか。長く失われた時は大きく思えたが、その分犯した罪も償う事が出来たのだった。冷たい鉄柵に触れるのも今日が最後と思うと何故か寂しくも思えた。
身支度も終わり看守に頭を下げ、もうここには来るなよ。
と決まり文句の言葉だが俺には重く責任感が付き纏った。
曇天の蒸し暑い中、久しぶり見た風景は驚く程に一変していた。街を歩く人々の服装や街並み何もかも。俺は途方も無く歩きこの先に何があるのかなどと考える余裕もなかった。
ふと、トタン屋根の蔦に絡まった赤提灯が見え思わず財布の中身を確認した。
喉の渇きを潤すオアシスが唐突に現れ俺の胸は踊った。
古ぼけた暖簾を潜るとそこには割烹着の年寄りの周りにコの字カウンターが囲む小さく小汚い小料理屋で俺の他にはコップ酒片手に寝落ちして目の前の丼の中に顔をぶち込んで寝ている奴がいた。
俺は小さく笑った。
あいつもこんな所であんなに酔っ払ちまうんだきっと普通の奴じゃねーんだな。
割烹着の年寄りがそいつに向かって怒鳴った。
おい!!いい加減に起きろこのバカタレ。今日こそツケ払って貰うかんな。いい度胸しやがってよ。おい聞いてんのか起きろ!
んー、んーんー。朦朧とした意識の中で電子心拍音の様に小さく声を出していた。
暫くしてそいつはムクっと顔を上げ米粒だらけの顔面をひけらかし、軽く咳払いしてこう言った。
わりぃなバァさん親方来るからそん時貰っておいてよ。
で、日本酒おかわりちょうだい?
お前は何回その嘘をつくんだえ?この店から出てけーーー!!!
鬼の様な形相で婆さんはそいつを怒鳴り散らした。
体を重そうにムクっとそいつは立ち上がり、軽く舌打ちを鳴らしてうーんと喉仏から音を出しながら、ズボンの左ポケットの中からクシャクシャになった千円札を数枚取り出し婆さん渡した。
お前はどうしてこうも酒にだらしねぇのかねぇ?
婆さんの説教をものともせずにそいつはヨタヨタと店を後にしていった。
で、あんたは何呑むんだい?
ようやく婆さんが俺の注文を取りに来た。
瓶ビールちょうだい!
あいよ、即座に冷えたガラスコップと瓶ビールと少しの里芋の煮っ転がしが出てきた。
暫し眺め琥珀液から溢れ出る気泡に嗅覚を集中し思わず目を閉じて深呼吸してしまった。
とてもいい香りだ。そして両手でコップを握りしめ一気に飲み干した。
山脈から流れ出た地下水のようにとても冷たい液体が喉を通り腹の中に入っていくのが分かる。心地良い時間の後に酔いが程良く襲ってくる。なんて幸せな時間なんだろうか。
きっとこの研ぎ澄まされた感覚と幸福は罪を償ったものしか味わえないとも思った。
里芋の煮っ転がしもいい塩梅の味付けで里芋の風味を活かしながら味が滲み出て美味いの一言だった。
俺は腹も心も満たされ店を後にした。
さっきまで気付かなかったのに潮風の香りが肌を撫でてくる。近くに海があるのかもしれないと思い、勘だけを頼りに歩みを進めていくと塀の間が急に開けた所に砂浜と海岸が眼中に現れ驚いた。誰一人といない静かな海岸。
酔いも醒めぬ中海風が心地良く感じた。
と波音に混じり気持ちよさそうな鼻歌と煙草の煙が鼻を突き、その方向に顔を向けるとなんと先程の男がこちらを覗いていた。
おまえさここの人間じゃないだろ?
あっはい。実は今日…と言いかけたと同時に遮るようそいつは言ってきた。
俺さぁこの海にはさ、何があるか知りたいんだよね。で今俺はお前の事が気になってしょうがない。
お前は名前なんていう?
急な質問に怯んだが俺の名前は541です。
え?541だって。本名忘れっちまったのかよ。541ってなんだか肉まんみてぇな名前だな。よし、お前の名前は今日から肉まんだ。
何故にその食べ物が出てきたのかその時は分からなかったがどうやら551蓬莱の肉まんと数字が近かったのでそう思ったそうだ。
で、俺の名前は崖。崖のスプーンって名前さ。よろしく頼むよ相棒の肉まんくん。
というわけで崖海賊団のはじまりのはじまりでした。
続く。




