第五十九話 すべての決着 エピローグ
最終話です。すこしだけ長いです。
やつらが一斉に俺のほうに向かってくる。
その動きがゆっくりに見えた。
実際にはとんでもないスピードが出ているんだろう。俺の見ているこの世界で、ゆっくりとはいえ確実に進んでいるのだから。
俺はすでに身体能力強化のための毒を体内で生成、血管を巡らせていた。おかげで五感も研ぎ澄まされている。凄まじい速さの相手も目で追うことができた。反動であとからろくに動けなくなるだろうけど、いまはどうでもいい――優先すべきことがある。
俺もまっすぐに相手方へと向かった。いまの感覚では俺自身の動きもゆったりとした速さに感じられる。全身が水中にある状態に近い。もっといえば、水よりずっと重い液体、泥に使っているような感覚だ。
俺は着実にアルトガーたちと距離を詰めていたが、連中は俺の姿を捉えられていなかった。彼らの視線はずっと後方――最初に俺が立っていた場所を睨んでいる。
俺は剣を振りながら彼らの真ん中を突っ切っていく。もちろん刃には毒を乗せた。剣を振る勢いによって、毒は周囲にばら撒かれる。端の方にいるスライムの一体までにも届いた。
あとは、一人だけ離れた位置で使い魔を操っている術師の男。彼にも近づきたかったけれど、そのまえに心臓に痛みを感じた。相手方の速さに対応するために相当の毒を自分へ打った。そのせいで思ったよりも早く反動が訪れようとしていた。
……限界か。
俺は一旦術を解除した。
一気に周囲の音が戻ってくる。俺の背後で地面へ剣の当たる音がした。彼らの攻撃が一斉に空を切ったのだ。彼らは一瞬、俺の姿を完全に見失っていた。アルトガーたちはすばやくふりかえると、後ろに立つ俺を見つけた。とっさに追撃をしようとかまえたが、ついにその剣を振ることはかなわない。
「……っ!?」
三人と十体のスライムは倒れはしなかった。
だけど、誰もが力なく両肩を落とした。手放された武器が地面に転がる。
全員が呆然とした表情を浮かべていた。口からはヨダレが垂れ、見開いた目は虚空を見つめている。
彼らはまだ死んではいない――が、すでに死んでいた。
「な、なにをした……?」
術師の男が震える声できいてくる。
「……特別な術だよ。全身の感覚を研ぎ澄まされ、身体が死に侵されていくのを実際の時間より長く感じることになる。残念ながら、『永遠に』とはいかないけれど、痛みも相まってそれに近い体験にはなるはずだ。当人以外には立ち入れない、極限まで引き伸ばされた時間の中で、肉体より先に精神が壊れる――」
残酷な毒の使い方だ。こんな使い方、いままでにしたことない。
殺すための毒だけじゃなく、身体能力強化の毒も混ぜて使った。それらが合わされば、とんでもない地獄を味わうことになる。どうせ殺すんだ、用量の限度も気にする必要がなかった。
「これが俺にできる最大級の罰だ。そして、最大限の償い――」
もとを辿れば、この町のみんなが殺された原因は俺にあるといえなくもない。俺とルトヴィヒのいざこざにただ巻き込まれただけ……。
「……くっ!」
術師の男が術を展開する。術師の彼だけが一人離れたところにいた。
彼が腕をふりかぶると、正面、上、そして左右から黒い波が襲ってきた。よく見ると、波の一つ一つは小さな生き物で、コウモリのような姿をしていた。それが容赦のない布陣で勢いよく押し寄せてくる。避ける隙間など到底ない。
俺は下がることはせず、正面から相手に向かっていった。周囲に毒を展開する。コウモリもどきは俺に触れる前にバタバタと地面に落ちていく。海を割る預言者の気分だった。
「クソクソッ! なんて奴だ!」
術師の男は後ろへ地面を蹴った。その動作は魔法で強化されていた。大きく跳ね、さらに滑空していく。たった一歩で何十メートルという距離を空けられた。
俺も追おうとしたが、またすぐに身体能力強化の毒を打つのはためらわれた。副作用は無視できない。
だけど、あと数秒も許せば、もう見えないところまで逃げられてしまう。
「!!!!」
突如として俺の目の前に彼が現れた。
正面にいたコウモリもどきと居場所を替わるように――。
なにが起こったか当の本人にはわからなかっただろうけど、俺にはすぐにピンときた。
――ゼッピアの術だ。彼女が魔法で男の逃走を阻止してくれたのだ。
俺は手を伸ばす。手のひらから毒を放射した――。
○
奴の手が伸びてくる。
触れる前に全身が硬直した。
周りから音がなくなる。なにも聞こえない。
奴の手のひらが目の前にある。そのまま動かない。
俺も動けない。まるで世界が停まったかのような。
痛みがはしった。
まずは鋭く刺すような――。
針よりも細いものを。またはそれを束ねて丸太より太くしたものを。
皮膚にねじ込まれる。それからえぐり取られる。
皮膚を貫通して内蔵まで。それが全身。
気絶するかと思った。でも、しない。
気絶してしまいたいのに、なぜ――。
同時に焼けるような痛み。
表面をゆっくりと焼かれる。体の内側で炎が燃えさかる。
寒さを感じる。頬を冬の風がゆるりと撫でるような、それでいて氷海に落ちて芯まで凍えてしまうような。
あらゆる苦痛が順番にやってきた。そのすべてが同時に襲ってきた。
頭皮に、まぶたの裏に、鼻の頭に、足の裏に。
一つ一つ丁寧に。または荒々しく。
なににも増してつらいのが痒みだった。全身をくまなく襲われる。虫刺され。かさぶたができかけの傷口。湿疹。腫れ。
いっそなにもかもナイフで削ぎ落としてしまいたい。だが、そもそも指一本も動かせない。
くすぐったさもあった。無邪気な子供に脇を触られるような、膝下ふくらはぎを埋め尽くすほどのムカデが這っているような。
いつ終わる? これは、いつまで続くんだ?
笑いがこみ上げてくる。心底愉快だった。
奥歯がきしむ。なんていう地獄なんだ――。
○
――術師モデストレも彼の仲間と同じく、発狂ののち、死んだ。
その苦痛は一瞬であり、また永遠であった。
○
数日後――。
俺も町の片付けを手伝っていた。
ただひたすらに遺体を運んでは、土に埋めていく。墓標を作る係もいた。
炊き出しの匂いが漂ってきて空腹を自覚する。悲しみの中でもお腹は減る。
みんな余計なおしゃべりはしない。静かだ。でも、居心地の悪さはなかった。各々が黙ってやるべきことをやる。
俺も自ら進んで作業を買って出た。身体を動かしていたほうが余計なことを考えずに済む。
「ちょっといい?」
休憩していると、声をかけられた。
調査員のジョジョゼだ。彼女が近づいてくる。
「ああ。……どうした?」
「会ってほしい人がいるの」
ジョジョゼはこちらの返事を待たずに歩き出す。有無をいさわぬ態度だった。
俺も慌ててついていく。「ごめんさない」途中で彼女がポツリといった。「でも、私にも報告の義務があるから。嘘はつけなかった」
「なんのことだ?」
「でも、悪いようにはならないと思う。もしそうなるなら、とっくにコトは起きているだろうから」
ジョジョゼは曖昧な言い方に終始した。俺の顔を見ようとはしない。
案内されたのは、とある民家だった。
いまは空き家になっているようだ。現状、この町のほとんどの家にいえることだけど。
扉にかんぬきはかかっていなかった。
ジョジョゼが俺を促す。彼女は入り口の前で足を止めた。
俺は一人で中に入る。
まだ昼だけど、中は薄暗かった。窓は閉められている。
テーブルの向こう――奥に誰かが座っていた。
俺が近づくと、「かけたまえ」と暗がりから声が。
俺は向かいの席に腰掛けた。相手の顔が見えてくる。
不思議な目の色をした女性だった。そのときそのときで色がちがって見えるような――虹のように多彩な色が同時に存在していた。
「はじめまして。ヨハンくんだね」
彼女はまだ若かった。俺と同年代くらいだろう。
虹色の瞳の女性はやわらかに微笑んだ。
「あなたは?」
「名前を明かせないのを許してほしい。申し訳ないが、軽々しく名乗れる立場ではなくてね。私のことは、そうだな……国を想って行動する一人だとおもってくれればいい。いまはそれだけで充分だ」
古ぼけたマントで隠してはいるが、その下からわずかにのぞく服は見るからにいい生地をしていた。裁縫や装飾にしても同じ。貴族の着る服は細部にまでこだわって作られているものだ。襟元や裾を見ただけでも違いはわかる――。
椅子を勧められたが、俺は断った。「お茶は?」それも断る。入り口のそばに立ったまま、壁に背を預けた。気配を探るも、家の中には誰も隠れていないようだ。外も同様――ジョジョゼが離れていったあと、近づいてくる人の気配はない。うなずいて話を促す。虹色の瞳の女性は口を開いた。
「単刀直入にいおう。私はきみの秘密を知っている」
「いきなりだな。俺の秘密とは?」
「ずばり、きみは禁じられた魔法を使える」
「……」
黙るしかなかった。
よくない沈黙だった。自ら認めているようなものだ。
「一体なんのことだか……」
「とぼけなくていい。時間の無駄だ。報告はジョジョゼから受けている――私は彼女の調査能力を信頼しているんだ。だから、その結果も信じる。それがどんなに突拍子もないことでもね」
「……」
いつかはこういう日が来るような予感もしていた。
ルトヴィヒのパーティーを追放されてからというもの、自らに課したはずの枷をときおり弛めるようになっていた。いや、ときおりどころか、頻繁に……。
己の強さを誇示したいという欲がなかったともいいきれない。いままで慎重さが嘘みたいに、俺は短期間で毒魔法を使い続けた。
誰かが疑問に思って当然だった。C級冒険者のくせに、ありえないほどの武力。そして、その術の異質さ……。
俺は溜息をついた。
「俺がここでどんな言い訳をしても、聞く耳もたないってツラをしてるな。頑固っていうか、迷いがないというか……」
「そうだ。ここ最近のきみの行動も全て調べた。隅から隅までな。それらがひとつの答えを指し示す。矛盾も疑問もない」
「で? 俺を処刑台に送るのか? その情報を密告するだけで、一生遊んでくらせるくらいの褒賞金も出るらしいからな」
「逆だ。きみの庇護を約束しよう」
虹色の瞳の女性はいった。
「ただ、代わりにやってもらいたいことがある。仕事を頼みたいんだ」
俺は彼女の目を見た。よくない予感がした。
彼女は張り詰めた空気をほぐすように息を吐いた。
「まあ、いますぐというわけじゃない。いずれ、という話だ」
「俺になにをさせたい?」
「それは機が来てから話そう」
「なにをするかも聞かずに俺が承諾するとでも? 断ったらどうする?」
「悪いようにはしないさ。きみの信念に反するようなこともさせない」
「初対面の人間が俺の信念を?」
「信念というほどでもないかもしれないが、きみはごくありふれた信条をもっていると私は考えている。むやみにひとを傷つけたくはない。が、己の能力を発揮できる場も欲している」
「……」
虹色の瞳の女性は居住まいを正した。
「きみの噂はすでに近隣の町に広まっている。指一本触れることなく相手を殺すことができると――。もちろん、魔法ならそんなことは容易だが、どんな術を発動したかもわからないとあっては当然ひとの興味を引く。もしかしたら、と考える人間が出てきてもおかしくない事態だ。きみはこれからも隠しとおせる気でいるのか?」
「……」
「きみには悪魔払い師になってほしい。形だけでもいいから。そうすれば私も守りやすくなる。教会に属する人間の素性をさぐることはそれだけで重罪に問われる。これで気安くきみに近づこうとする人間は減るはずだ」
「悪魔払い師ってそんな簡単になれるものなのか?」
「アンドラスを仕留めたのはきみだろう? もう充分な実績がある。リアマンタとゼッピアをきみの下につけよう。彼女たちが連絡係にもなる」
「監視の間違いじゃないのか?」
「これもきみを守るためだ。他意はない」
拒否する理由を探したけれど、見つからなかった。言葉も浮かんでこない。
俺は諦めるように息を吐いた。
「いずれこちらから連絡しよう。それまでは教会の任務に励んでくれ。C級冒険者よりは稼ぎも安定するはずだ」
「俺の魔法を知って仕事を頼みたいだなんて。ろくな仕事じゃなさそうだな」
俺は精一杯の皮肉をいってやった。
虹色の瞳の女性は気にすることなくニッコリと笑う。
「この国には害虫が多い。よその国にはもっとな。私は清潔な暮らしを望んでいる――それだけだ。正義という言葉は使わない。ただ、衛生のためだ」
○
後日。
俺はクハルナーたち四人と再会した。
この一ヶ月は話す機会がなかった。彼女たちが俺を避けているようだったから、俺も無理に話しかけるのはやめておいたのだ。しかし、今日は彼女たちのほうから誘われた。
街の一角で四人とは待ち合わせた。かつての賑わいには程遠いけれど、町の復興のために派遣された人間、そしてそれらを目当てに商売する人間。彼らが頻繁に路地を行き来していた。悲劇の記憶がなくなるわけじゃないが、多少は気が紛れる。
「で、話って?」
俺からクハルナーに話をふった。
いまはクハルナーが代表して僕のそばに立っていた。ほかの三人はすこし距離を置いて見守っている。
「とてもいいにくいことではあるんだが……ボクたちとパーティー関係を解消してもらえないだろうか」
「……」
予期していた内容だった。そういわれるんじゃないかと薄々感じてはいた。
クハルナーは申し訳無さそうな顔をした。
「本当にすまない。誘ったのはボクたちの方からだというのに……」
「べつにかまわないさ。あくまで仮のパーティーだったからね」
「ボクたちの勝手な都合でふりまわして……。責められても仕方ないと思ってる」
「そんなつもりはないよ。謝りたいのはこっちのほうだ。俺のせいで色々と面倒なことに巻き込んだんだ。どれだけ謝っても足りないくらいだ」
クハルナーは首をふった。
「キミのせいじゃない。キミがいなかったら、ボクたちはとっくに魔女の手下にやられていただろう。いまこうやって無事に過ごしていられるのもキミのおかげだ。これからまだ強くなるチャンスをもらえた。無駄にはしない」
彼女は目を細めて俺を見た。
「ボクたちはべつのパーティーに入れてもらうことになったんだ。そこで一からやり直そうと思ってる」
「そうか……」
「無理をいって一気に四人も仲間に加えてもらったんだ。しばらくは下働きばっかりで頭も上がらないだろうけど、精一杯頑張ってみる。一度は死んだようなものだ。なんだってできるよな。あ、いや――一度どころじゃないか。キミがいなかったら何度死んでいたかわからない」
クハルナーはそういって笑った。
俺もほほえみ返す。
「いつか、キミと肩を並べられるくらいになったら――」
クハルナーはいいかけて首をふった。
「いいや、やめておこう。あまりに遠い願望を口にするのは恥ずかしい。そのときがくるまで行動するのみだ」
○
クハルナーが離れていき、入れ替わるようにイーザシャがやってきた。
彼女は口を開くや否や、深々と溜息をついた。
「まさか、毒魔法の使い手がまだ存在していたとはね。それも、よりよってあなたが……」
「黙っていてすまない。それに、きみたちは秘密にしていてくれたんだろう?」
「もちろん。助けてもらったのだもの。恩を仇で返すつもりはないわ。でも、私たちが黙っていても、いずれは知られてしまうでしょうけど。だってあなた、活躍しすぎなんですもの。あんなに目立っていては、秘密もなにもあったものじゃないわ」
「そう、かな……? これからは気をつけるよ」
「そうして。じゃないと、二人の将来が危ういわ。私はもっと平穏な生活が……」
「二人の将来って?」
「え……?」
イーザシャの顔が真っ赤になった。
「なんでもないわ! 忘れて!」
○
ダクマリーが歩み寄ってきて、俺に頭を下げた。
「短いあいだだったけど……。感謝してる。何度も助けてもらったし」
「きみにも助けてもらった。仲間だったんだ。助け合うのは当然だよ」
「私、男の人が苦手だったの。がさつで、うるさくて、乱暴で……。見られるだけでも嫌。女の人に向ける目が嫌いなの。気持ち悪くて……。触られるなんてとんでもない。だから、ましてや信頼なんて考えれなかった――」
「……」
「でも、森の中で魔力切れになったとき……悔いはなかった。なにも心配してなかったの。――ヨハン、あなたがなんとかしてくれるだろうって。これから男の人におんぶされるって思っても、なにも嫌な気分にならなかった。男の人っていうか、あなただったから」
「……」
あのあと実際に彼女の身体をかついだのはクハルナーだ。でも、いま訂正するのはなにか違う気がして俺は黙っていた。
「私が自らの意志で男の人に触れられたのは初めてなの。……この意味、わかるわよね?」
「?」
彼女のいっていることの意味はわからなかったけれど、俺はあいまいにうなずいておいた。無理に問いただす場面でもない。そう判断した。
○
ラウレオが最後だった。
彼女はうつむいたまま動こうとしない。ほかの三人に背を押されて、ようやくこちらへ歩いてきた。
「ラウレオ、おかしくなったみたい……。ヨハンのこと、ずっと頭から離れない……。寝ても、起きても……。何度も思い出してる。ヨハンが剣を振ってるところ……。最初のときも、魔女と戦ったときも……」
「恥ずかしいな。俺の剣の腕なんて大したことないのに」
「そんなことない! かっこよかった、誰よりも……」
ラウレオと目が合った。彼女の目はうるんでいた。
「これでお別れってわけじゃない。またすぐに会えるさ」
「ほんと? 明日も?」
「明日はどうかな……。俺も出発しないといけないみたいだし」
「うう……」
ラウレオはいっそう悲しそうな顔をした。
「会いたい。一ヶ月以内には、絶対」
「……まあ、機会はあると思う。お互いそれまで頑張ろう。俺も土産話を用意しとくよ」
「楽しみ! うん、ラウレオも頑張る。また……」
ラウレオは言葉に詰まり、俺の胸に抱きついてきた。
俺の鎧に額をこすりつける。大きな子供のようだった。
○
イーザシャとダクマリーが彼女を引きはがす。
やれやれとクハルナーが首をふった。それからクハルナーは俺の方をふりかえる。
「じゃあな、ヨハンくん。機会があればまた一緒に仕事しよう」
「ああ」
「絶対に……」
そういってクハルナーは目を細める。
かわいい笑顔だった。彼女の顔がふいに近づく。
――唇にかるい感触があった。
つぎの瞬間には彼女は背を向けていた。
ほかの三人は見ていなかった。
「さあ、行くぞ!」
クハルナーが仲間の身体を押し、強引に路地の向こうへと離れていく。
俺はしばらく彼女たちの背中を見送った。
○
「なかなかにモテるようだな、きみは」
ふりかえると、リアマンタが歩いてくるところだった。弟子のゼッピアも一緒だ。
「まったく……。なぜ私がこいつの下につかねばならない? 新入りだろう、きみは」
「お師匠様。命令ですから」
いわれなくてもわかっている、というふうにリアマンタは鼻を鳴らす。
「明日、さっそくここを発つようにいわれている。まずは本部に顔見せだ。早めに挨拶をしておかなければ印象が悪いからな。せいぜい行儀よくふるまう練習をしておけ」
不愉快だ、まったく……と、ブツブツ文句をいいながらリアマンタが遠ざかっていく。
ゼッピアがこっそりと耳打ちしてきた。
「お師匠様はああいってますけど、内心はとても喜んでるんですよ? あなたが仲間になってくれて」
「そうなのか? とてもそうは見えないけど……」
「わたしにはわかるんです。そこそこ長い付き合いですから」
「きみは?」
「わたしも嬉しいですよ? 道端で会った犬が尻尾を振ってついてくるくらいには――それが意外にも使える犬だったら、なおさら――」
「……」
俺が微妙な顔をするのをよそにゼッピアは無邪気に微笑んでいた。
○
「さて、と……」
地獄の城に一人残った魔女。
毒魔法の使い手――ヨハンを町へ飛ばしたあと、ついでに彼の仲間も町へ移動させた。
それから、また悪魔――アンドラスの城へと戻ってきた。
戦いのあった広間。
魔女が左手首をぐるりと回すと、つぎの瞬間アンドラスが姿を現した。
「なっ……」
彼自身も驚いていた。弱々しくも辺りに視線を泳がせる。
彼の仕業ではない。彼にそんな余力は残っていなかった。魔法によって姿を隠し、ヨハンを欺くなど――。
むしろ、まだ生きているのが不思議なくらいだった。目からは血がとめどなく流れ続ける。残された時間はほとんどないことを理解していた。
「悪魔を殺すなんてもったいない。それも死にかけなんだ、力を奪うには絶好のチャンスじゃないか」
「魔女……俺様を食おうというのか?」
「ああ。ヨハンちゃんのおかげだ。本当にいい機会に恵まれたよ、本物の悪魔の力を得られるなんて。これで私はまた神に近づくというわけだ」
諦めたのか、アンドラスは力なく笑った。
「不遜だな、魔女よ……悪魔の俺様がかすむくらいに。……まあいい、好きにしろ。せいぜい気をつけることだ。ただで消化されてやるつもりはない。内側からおまえの身体を乗っ取ってやるぞ」
「心配してくれてどうも。でも大丈夫。胃腸は丈夫なんだ」
魔女はその手でアンドラスの頭部を鷲掴みにした。
ミシミシと音がなる。
「が、がぁあああ……」
アンドラスもたまらず苦悶の声をもらす。
魔女は異常な握力で一気にアンドラスの頭蓋骨を砕いた。
爆発のような音が広間に反響。
それから音が変わる。
バキ、バキ……。
それは咀嚼音だった。
魔女の手のひらへ徐々にアンドラスが埋もれていく。すぐに頭部は見えなくなった。
首、肩口へ至る。絶命したはずのアンドラスの膝が浮いている。彼の力で立ち上がろうとしているわけではなく、魔女の手のひらに吸引されているのだ。彼の四肢はぶらんぶらんと揺れていた。
一分とかからずアンドラスの身体は消えてなくなった。この世から、完全に。
満足そうにうなずく魔女だったが、ふいに「うぷ……」嗚咽をもらした。眉間にシワがよる。吐き気を我慢している表情だった。
「……さすが本物の悪魔。簡単にはいかないねぇ。ちょっとずつ溶かしていくしかないようだ。なぁに、時間はある。急がずのんびりとやるさ」
○
森の中。
雨はこの数週間降っておらず、地面は乾いている。
のはずが――。
一部だけが突如液状化し、地面の下からひとの頭部が現れた。
「……」
彼女は目元だけを出し、慎重に辺りを探る。ぐるりと頭を一周、誰もいないと確認がとれると、やわらくなっていないふちに手をかけ、一気に身体を地表へと持ち上げた。
防具付きの黒い祭服を着た女――異端審問官のコージータだった。
彼女は地面に屈み、馬の蹄のあとに目を凝らした。狩人でなくとも、できたばかりの馬の足跡くらいは読める。期待したとおりにその足跡は町の方角へ遠ざかっていた。
あの男がバカでよかった、と溜息をつく。よくわからないモンスターに寄生されている戦士――おかげで仕留めることはできず、とっさに術で地面の下に隠れるハメになった。奴もすこし考えればわかっただろうに。本気で逃げるつもりだったのなら、馬を置いて徒歩で逃げるはずがない。馬を一緒に地下へ沈めれば、より真実味は増しただろうが、あいにくそれができるほどの時間も魔力もなかった。どこか近くに潜んだのではないだろうかと疑われるのが怖かった。
しかし、奴はそこまで思い至らなかったらしい。結果的に馬に乗ってより遠くへ行ってくれた。思い直してまた戻ってくるだろうか――もしくは仲間と合流したあとに諭されるか。どちらにせよ、そのまえにトンヅラすればいい。
「あら、あんた」
「……!」
声をかけられてコージータは慌ててふりかえった。
いつの間にか背後をとられていた。気配は感じなかったのに――。
「こんな森の中を散歩かい? 若い女が一人で? めずらしいねぇ」
自分も若い女のくせに、とコージータは反射的に思った。一拍遅れて首を傾げる。やけに年寄りじみた口調の女だった。可愛らしい声でそんな喋り方をするものだから、違和感が半端じゃない
「あ、はい……。ちょっと事情がありまして――」
適当にあしらおうとコージータは応えたが、
「ぐぅおおおおっ! ここから出せぇえええ!」
突如響き渡った第三者の声に彼女は飛び上がった。
「え、え……?」
周りには誰もいない。コージータは気づいた。その野太い声は女の右手から聞こえてきたようだった――。
女はとっさに左手で押さえる。すると鮮血が飛び散った。
左の手のひらの真ん中――肉がごっそりとえぐられていた。コージータは目を疑った。女の右手には口があった。血色の悪い紫色の唇と、隙間なく並んだ頑強そうな白い歯列。右手にある口は、たったいま食いちぎった肉を吐き捨て、なお声を発しようとした。
しかし、女はすぐに左手の五指で右の手首をつかんだ。手のひらの肉が丸々失われているのだ、普通ならとても力など入らない。それでも女は花びらを一枚摘むかのような仕草で――軽々と右の手首を引きちぎった。
断面から勢いよく血が噴き出す。女はかまわず、ちぎった手首を地面に放り捨てた。女の唇が動く――それはなにかしらの呪文――土の上の手首は瞬く間に炎に包まれた。
コージータが視線を戻すと、女の腕からの出血はすでに止まろうとしてた。肉がひとりでにうごめいて傷をふさぐ。
「腐っても悪魔だねぇ。餌になったあとでも、なお抵抗してくる。そこらの犬っころを飼い慣らすようにはいかないわなぁ」
「……」
コージータは言葉を失っていた。
目の前の女が只者じゃないことは明白だった。それは疑いようもない。
女は『悪魔』といった。はっきりとその単語を口にしたのだ。コージータはたしかに耳にした。できれば聞き間違いということにしたかった。でも、耳だけでなく目でも得た情報がそれを事実だと訴えていた。
『悪魔』を『飼い慣らす』――そんなことが可能なのか。そして、そんなことをできる人間がいるのか。いるとしたら、それはもう人間じゃない。魔法使いの枠からはみ出た者を呼ぶ名がある――それが魔女。
まさしく、異端審問官であるコージータが追っている存在だ。職務として追っているだけじゃない。個人的な理由で探し求めていた存在。その並外れた力をなんとか自分のものにできないかと。討伐なんてしたくない。捕らえて、実験材料にしたい――。
コージータが異端審問官になって五年が経っていた。そのあいだに魔女らしき者と遭遇できたのは一回のみ。痕跡を辿って追跡していたが、ぎりぎりのところで逃げられた。それからは一目見ることもかなわない。
その対象がいま目の前にいる――。
……なんてツイてるの、私は!
そう思ったすぐあとに絶望する。なんてツイてないんだ……。
全然準備ができていなかった。魔女を捕らえようとする場合、普通、入念な罠を張り巡らせる。当然だ。でも、いまはなんの用意もなかった。それに魔力も尽きかけている。こちらから戦いを仕掛けられるような状況ではなかった。
「ええと……」
コージータは目を閉じて首をふった。自分はなにも見てない、というふうに。
「ああ、そうだ! 早く町に戻らないと! 夕飯の支度をしなくちゃ。パパとママが待ってるし……」
一人つぶやいてコージータは背を向けようとした。
「ちょっとお待ち」
「……」
呼び止められたコージータの背中に冷たいものが流れる。
……さすがに見逃してはくれないか? この服装からコージータが異端審問官だというのはとっくにバレているだろう。はっきりいってバレバレだ。
なのに、さっきの出来すぎた独り言……。よほどこっちを舐めているのか、それともハナから眼中にないのか。なんにせよ、見逃すつもりはないようだった。
「そんなに緊張しなくていいよ。あんたに危害を加えるつもりはないから」
「え……?」
「見てのとおり、私はいま体調がすぐれない。本調子に戻るのにもうしばらくかかりそうなんだ。そのあいだの世話をしてくれる人がいると助かるんだけどねぇ?」
女――もとい魔女はコージータを見た。
世話――それがどのような意味を持つかはわからない。ただ、護衛のようなものだろうとコージータは察した。
いくら調子が悪かろうと、魔女は魔女だ。そこらへんの冒険者なんぞ問題にはならない。だが、人間の強みは数だ。もしいまが討伐のチャンスだと知れば、教会も本気を出すだろう。通常の異端審問官に加え、腕利きの冒険者を雇ってくることも考えられる。そうなった場合、一人ではキツイかもしれない――魔女はこう考えている。
ある意味、コージータのことを買ってくれている。異端審問官という職についているのだ、最低限の戦闘力は持っているのだろうと。それでいて、もしスキを見て本来の職務をこなそうとしても、問題なく返り討ちにできるという自信がある……。
「ハァ……」
コージータに選択肢はなかった。断れば、この場で殺されるだけだ。
「精一杯お世話させていただきます。フツツカモノですが、どうぞよろしくお願いします」
「うんうん。そういってくれると思ってたよ。よろしくねぇ」
魔女は笑顔になった。
魔女はさっそくはずんだ足どりで歩き出す。コージータもそのあとに続いた。
前で揺れる背中にそっと目をやる。想いが溢れ出しそうだったが、なんとか口の端だけでとどめておいた。
いまは大人しく従ってやる……準備が整うまでの数週間だけだ。こっちの魔力が回復してから、ひそか
に罠を準備する。向こうは悪魔を取り込んだ影響で弱っている。チャンスはあるだろう。私の術に強さは関係ない。どんな相手だって仕留められる可能性があるのだから……。
○
魔女は後ろを見ていない。しかし、人智を超えた勘のよさでコージータの押し隠した感情にも気づいていた。彼女がほくそ笑んでいるのがわかる。それを可愛いとすら思った。彼女の無知というか無謀さを責める気にはならない。予想もできなくて当然だ。もともと圧倒的な強さを誇っていた魔女が、悪魔の力さえ取り込んだのだ。いまはまだ完全に手中に収めていないとはいえ、取り込んだのは事実だ。いつでも取り出せる。野心に目がくらんだこの異端審問官は知らない。目の前の魔女にどれほどのことができうるのか――いや、自分でもわからなかった。私はいまなにができるのか。私はいまどれほどのものになったのか。
寝首をかこうと企む同伴者を連れての旅もわるくない。退屈はしないだろう。悪魔の力を完全に扱えるようになったら、またあの坊やにちょっかいを出しにいこうか。さすがの毒魔法だった。あの坊や、まだまだ底が見えない。今度もまた楽しめそうだ。ずっと世捨て人同然の暮らしをしていたのに、期せずして叩き起こされた。久々に自らの身体で大地を駆け回った。まあ、たまにはいいか、という気分。
「さあ、まずはどこに行こうかねぇ」
魔女は一人つぶやく。
自分に質問されたと勘違いした異端審問官が「えーと……」必死に答えを探していた。
○
日暮れ時。今日もまた一日が終わろうとしている。
国境近くの町。
冒険者のユーリートは宿の一室でワインをあおっていた。
元冒険者、といえるかもしれない。この半年間、仕事はまったくしていなかった。
彼の得物である大剣もベッドの脇に立てかけられたまま、ずっと触っていない。
ユーリートはC級冒険者だった。
元々所属していたパーティーはトラブルがあって抜けた。原因な些細なこと。ムカつく奴を半殺しにした。それだけ。
さて、これからどうしようか。そう思っていたところで声をかけられた。乱暴者とすでに悪評が立っている自分を誘ってくるなんてめずらしい。なんてことはない、声をかけてきたその男もユーリートと同類だったのだ。すこし言葉を交わしただけでわかる。
相手の男はこちらの悪評を気にするどころか、評判通りの働きを求めてきた。なら遠慮することもない。ユーリートは新しいパーティーに加わった。
新しいパーティーの名は『宵闇の牙』、リーダーはルトヴィヒという男だった。
加入して最初の仕事からすでに非公式の類いだった。新発見のダンジョンに誰かが入らないようにとの見張り――そのダンジョンはユーリートが自ら発見したものだった。町からそう離れていない森をうろついているときにたまたま見つけたのだ。昨晩酔って殺してしまった娼婦を麻袋に入れて捨てに行くところだった。どこか路地裏に放っておくこともできたが、たまには森の新鮮な空気でも吸おうかという気分になったのだ。そこがただの洞窟でないことは中に少し入ってみればわかった。内部の壁には点々と蝋燭が灯っていたのだ。なら、人の手が入っているだけ、という線もありうるが、こんなところにこんな施設があるとは聞いていない。誰かの隠れ家にしても目立ちすぎている。あきらかにダンジョンだった。
ダンジョンとは不思議な力により自然発生し、内部は精巧に取り繕われる。そうやって人間を奥へ奥へと誘うのだ。これが既存のダンジョンという可能性もなかった。もしダンジョンが発見されれば、ただちに近隣の冒険者たちに周知されることとなる。しかしユーリートは初耳だった。彼はとてもツイていた。
まだ誰にも攻略されていないダンジョン――奥には手つかずの宝が眠っている。
千載一遇のチャンスだ。誰にも譲る気はなかった。
だが、ソロで挑むには危険すぎた。安全策としてこの場所の情報を売るという案も浮かんだが、すぐに思い直した。そんなもの、小銭程度にしかならない。
ユーリートは町に戻らず、すぐに鳥を飛ばした。至急連絡をとりたい場合に、と準備していたものが功を奏した。鳥に手紙を託し、ルトヴィヒのもとへと放った。返事はすぐに来た。『すぐに戻る。誰も中に入れるな』
やはり同類だと思った。ダンジョンに関する取り決めの中で『冒険者同士、場所の共有を図るように』というものがある。手柄欲しさに誰もが好き勝手に挑戦などすれば、ギルドの知らぬうちに行方不明者が続出する恐れがある。それは誰の得にもならない。だから、ダンジョンへの挑戦は異なるパーティー同士でもある程度協力し合うよう促されていた。
それをルトヴィヒは破るよう指示してきた。平然と。
もちろん、そいれくらいは誰でも考えることではあろう。普段は善良な若いパーティーが野心を抑えきれずに単独でダンジョンに潜る――いちいち咎めるほどでもない。
だが、ルトヴィヒは一歩踏み越えていた。報告はせず、なおかつ誰も入れるなと。
ユーリートも同じ気持ちではあった。だから素直に従った。
運が悪かった。本当に。ユーリートたちにとっても、また彼女たちにとっても――。
まもなくダンジョンが見つかってしまった。見つけたのは女だけで構成された大所帯のパーティーだった。サポーターも含めて十人もいた。
ユーリート一人で相手するのはさすがに分が悪かった。狩人職に察知される恐れもあるため、近づくのも危険だった。彼女たちは一旦町に戻っていった。打つ手もないまま、ユーリートも距離を空けてあとをつけた。
彼女たちはギルドへは立ち寄らなかった。ダンジョンのことは報告しなかったわけだ。ということは、彼女たちもまた宝を独占しようと目論んでいるようだった。
ユーリートは先に森へと引き返した。翌朝にはルトヴィヒたちと合流する予定だった。夜が明ける前に彼女たちはダンジョンへと入っていった。外に残ったサポーターの二人だけは先に始末し、ルトヴィヒが到着するのを待った。
――予想外のところからケチがついた。
ルトヴィヒのパーティーにいる戦士――奴を追い出すことは決まっていた。代わりにユーリートが加入する流れだった。ヨハンとかいう男――とくに取り柄のない戦士のはずだった。
予想を超えて強大なモンスターが産まれてしまったダンジョン――邪魔者を残していけば、あとはおのずとモンスター共が片付けてくれるはずだった。
ダンジョンの内部が大きく変貌していく中で、ユーリートの大剣によって橋は落とされた。女共のパーティーもろともヨハンは地下の奥深くへ落ちていった。
ユーリートはルトヴィヒらと町に戻った。ダンジョンの宝は残念だったが、命あっての物種だ。実力的にあのダンジョンは諦めざるを得なかったが、ルトヴィヒはべつの稼ぎ方もあると話していた。誰でもいい、どこかのパーティーに情報を売り、そいつらに挑戦させるのだ。当然、C級やD級では話にならないだろう。予定どおり全滅してくれれば、所持品を回収できるというわけだ。モンスターは人の肉は食うが、装備には興味を示さない。全滅しなくとも、そのときは消耗したところを襲えばいい。冒険者たちは大抵いいものを持っている。あくどいことを考える奴だとユーリートは思った。
それなりのリスクはある。だが、それ以上にルトヴィヒという男はこのなりわいについてうんざりしているようだった。バカ正直に冒険者をやっていても、危険に見合った報酬が得られるとは限らない。むしろ大体においてそうじゃない。だったら、もっと楽に稼げる手段を探すべきだと。
畑を耕すより村を襲った方が早い――もはや野盗同然の思考におちいっていた。
そうやって宿屋で今後のことを話しているときだった。あいつ――ヨハンが戻ってきたその場では全員が比較的冷静な対応をした。しかし、内心はそうではなかった。ルトヴィヒはすぐに動いた。すでに夜中だったが、すぐに汚れ仕事を請け負う人間に声をかけた。生き残った連中を含めて、ギルド調査員の抹殺を依頼したのだ。この時点では、国を捨てて逃げるという選択肢よりはマシだと判断したのだ。まさか、あの悪名高い蛇の一族が失敗するとは思わなかった。彼らがしくじったのを知り、ユーリートたちは捕らわれていたギルドの一室から逃亡した。ルトヴィヒは万が一のことを考え、国外逃亡の段取りも済ませていたのだ。予想していなかったことといえば、あの男――戦士ヨハンの強さだけだった。
道中の山小屋で、さっそく自分たちに懸賞金がかけられたことを知った。ユーリートはそこで腹を決めた。加入したばかりのパーティーと心中するつもりはさらさらなかった。――入ったばかりの人間が人間が元々いたメンバーと同じように指名手配されるなんておかしいんじゃないか?
国境近くの町にいる知り合いに連絡をとった。とくに信頼がおける奴でもなかったが、かといって裏切るほどのタマでもない。奴は協力を約束してくれた。
ルトヴィヒらにかけられた懸賞金は高額だった。桁外れといってもいいくらいに。だから、一人だけでも十分な金になる。欲は出さないことにした。ルトヴィヒと女魔法使いが留守の間に、残った僧侶の女に近づいた。傷を負ったふりをして彼女に歩み寄り、不意をついて殺した。証拠となる首を切り落とし、冒険者タグと共に持ち帰る。それを知り合いに換金させ、分け前を二等分にした。
人相は変えたが、念のためにしばらくの間、身を潜めることにした。ほとぼりが冷めるまで、この町でじっとしているのだ。宿で酒をあおり続ける日々。そのさなかで他のメンバーの顛末も耳に入ってきていた。魔法使いの女も賞金稼ぎの手にかかって命を落としたらしい。ルトヴィヒもそのしばらくあとに処刑台へ送られた。悲しみはなかった。知り合って間もない仲間たちだった。他人といって差し支えない。一方でヨハンはどうなったのだろう。いまさらどうでもいいことではあるが……。
○
ユーリートの手からグラスがこぼれ落ちる。中身が少なくて幸いだった。床に転がったグラスを黙ってそのまま見つめる。拾うのも億劫だ。
宿にこもって半年。だいぶ身体がなまっているのを自覚していた。とはいっても、どうしようもない。部屋の中でできることといったら、せいぜい剣の素振りくらいのものだ。
窓は閉め切っていたが、いまが夕方だというのはわかった。外の様子が少し前から変わっていたからだ。一日の仕事を終え、浮かれた町の住人たち。喧騒の質ががらっと変わる。
ユーリートは仲間に買い物を頼んでいた。いつもと同じ、ワインと適当な食い物を。店はそう離れていない。いつも似たような時間に帰ってくる。しかし、今日は遅れているようだった。
「――」
部屋のドアがノックされる。
ユーリートは持ち上げかけていた酒瓶を一旦置き、ゆっくり立ち上がった。
ドアに向かって大剣を突き立てる。
板が割れ、刃は深々と刺さった。
しかし、手応えはなかった。扉の前に人がいたなら、余裕で胴体を貫いたはずなのに。
ユーリートは剣を引き、後ろへ下がる。
一瞬遅かった。
鋭い風が室内に吹き、ユーリートのシャツの胸元を切り裂いた。
間一髪だった。あとわずかに下がるのが遅かったら、シャツだけでは済まなかった。
斬撃はドアを素通りしてきた。そういう魔法なのだろう。
ユーリートは部屋の中央まで下がった。とはいえ、狭い空間であることには違いない。この大剣では戦いにくいが、他に武器はない。鎧を着る時間もなかった。
遅れて傷が開く。鋭い切り傷ゆえだ。シャツの胸元がじんわりと赤く染まる。
ユーリート自身が空けたドアの穴――そこに外から腕が差し込まれた。手探りでかんぬきをはずす。ドアを開けて現れたのは一人の青年だった。
そばかすの浮いた顔。彼は両手にそれぞれ短剣を握っていた。
「ガキ、おまえ――賞金稼ぎか?」
「半年前からね。っていっても、仕事はそのときにした一件だけ。だから、今日が二回目。――で、これを最後にやめるつもり。あとはずっと遊んで暮らすんだ」
そばかす顔の青年は喋りながらも隙を見せない。まだ幼いともいえる年頃だが、こういった現場には慣れているようだった。
ユーリートは胸元の傷が熱くなってくるのを感じる。
……現役のときなら、こんなガキ、問題にはならないだろう。だが、いまは半年間もろくに剣を振っていない。それに酒に酔った状態だった。分が悪い。認めたくはないが――。
「……半年前に一回? 気になる言い方だな。誰を捕らえた?」
「おじさんにしては勘がいいね。捕まえたのはあんたの仲間だよ。魔法使いの女だった」
「……」
――モニカ、だったか。おぼろげに顔を思い出す。
「本当は生きたまま引き渡したかったんだけどね。ぶざまに命乞いするもんだから、気持ち悪くて殺しちゃった。――見逃してくれるなら、私のカラダ、好きにしていいわよ、だってさ。気持ち悪いよね? 自分のこと、どう思ってんだよ。鏡見たことないのかな」
「……」
「その点、あんたはなかなかイケてるね――ちょっとお尻の穴貸してくれるなら、このあとの処遇も考えてあげるけど?」
「いい加減口を閉じろ、クソホモ野郎。悪酔いしてくるぜ」
○
ユーリートは一人、宿屋の建物から出てくる。
全身が切り傷におおわれていた。
ふらつきながらも、壁に手をついてなんとか路地を進んでいく。
……なんてぶざまな戦い方だ。
倒しはしたが、ユーリート自身も深い傷を負ってしまった。
大振りな剣はろくに当たらず、最後は素手で奴の頭をかち割ってやった。
奴は終始いたぶるように短剣を浅く振ってきていた。即、命に関わるような傷はない。だが、血を失いすぎている。早急な治療が必要だった。
医者では無理だ。僧侶の回復魔法でなければ。
ギルドには頼れない。顔は変えていても、万が一がある。
町はずれにもぐりの僧侶がいたはず。冒険者ギルドには属しておらず、ワケありの患者でも迎えてくれるという。高額な治療費を請求されるらしいが、それは仕方ない。金ならある。
ユーリートは足がもつれ、路面に前のめりに倒れた。
起き上がろうとするが、身体がいうことをきかない。
寒気と眠気が同時に襲ってくる。
駄目だ……あらがえ……。こんなところで死んでたまるか……。
酔っ払いのゲロと、野良犬のクソのニオイ。
仰向けになる。
月が見えた。ゆっくりと薄い雲が流れていく。
……ああ、ルトヴィヒの野郎。あんな奴の誘いに乗るんじゃなかったぜ。
ユーリートは息を吐く。
そしてゆっくり目を閉じた。
(おわり)
終わりです。もし最後まで読んでくださった方がいるなら、ありがとうと言わせてください。至らぬ点は多々あったかとは思いますが、よければ感想をお聞かせください。では、また。




