第五十二話 アルトガーたちの敗走 ジョジョゼの復活
不思議な感覚が襲った。
あの悪魔の真似をして顔以外を中に入れたのだけど、途端に身体の感覚が消失してしまったのだ。ドアにかけた手と、あとは頭だけがこちらの世界に残り、それらの感覚が余計に際立つ。結界の中だから風は吹いていない。それでもすべての空気が静止しているわけではなかった。
痛みはない。身体の大部分を失ったというのも違う。ただ、はるか遠くに離れてしまったというのがしっくりきた。
「なにをしている? 早くそこから出ろ!」
リアマンタが怒鳴る。
俺は首をふった。
「無理だ。もう身体が動かない」
「馬鹿か! なんのつもりで、そんなことを!」
「あの悪魔は、ルトヴィヒの死に際の願いをきいて俺を狙ってきたんだろ? だったら、俺が片を付ける」
「一介の冒険者になにができる! それも、たかがC級の!」
「ランクは関係ない。やらなきゃいけないときはやる、ってだけさ」
俺は扉を閉めた。
最後に、悲痛なように顔を歪めるリアマンタが見えた。それと、驚きに目を見開くゼッピアと。
俺は暗闇の中へ。
一切の感覚が途絶えた。
○
ポルダの町とザロフの村を結ぶ街道。
薄暗い。日が傾きはじめていた。それに、雲も出てきている。
「まだか? まだ見つからないのか?」
使い魔を放って近辺を探索する術師のモデストレ。その後ろでリーダーのアルトガーが苛立たしげに言った。
「……」
モデストレは沈黙で答える。
――正直にいえば、すでに発見していた。
ヨハン本人の姿は確認できていないが、べつも者たちの居場所は補足できている。
女冒険者が四人。彼女たちがヨハンの仲間だという確証はなかったが、一緒に連れて逃走した点からもまず間違いないと思われる。
彼女たちはまだ眠っていた。肝心のヨハンと赤いマントを着た二人の姿は見当たらない。
だが、眠った四人の近くに結界が展開されていた。薄緑色の正方形の囲いが森の中にあり、中の様子をうかがい知ることはできない。
……あそこでなにが起きている? あの結界は誰が張ったものだ?
赤いマントの女か、ヨハンを追っていたタキシードの男か。
どちらにせよ、詳しい状況も把握できていない今、馬鹿正直に現場に向かうつもりはなかった。
それに――。
別方向に飛ばした使い魔が、興味深いものを視界に収めていた。
「無理だね。見つからないよ」
モデストレは首をふってみせる。
アルトガーは眉を吊り上げた。
「簡単に諦めの言葉を吐くな! 俺の前では特にな!」
「ただ、べつのものなら見つけたよ」
「なんだ!」
「街道のずっと向こうから、冒険者パーティーが何組か向かってきている。それなりに腕は立ちそうな奴らだ。C級がほとんどだけど、B級も混ざってる。早駆けしながらも、よく警戒している様子だね。たぶん、町を壊滅させた犯人を探してるんだと思うよ」
「それがどうした! 放っておけ! 俺たちが犯人だとわかるわけもないんだ!」
「どうかな。連中の表情は確信を持っているように見えるけれど。誰を探せばいいか、わかってるってツラだ。……ああ、知った顔もいる。B級パーティーの『先触れの魔剣』だ。あそこのメンバーは僕たちの戦い方を知ってるしね。あ……」
モデストレは『先触れの魔剣』の一人と目が合った――正確には、モデストレの使い魔と、『先触れの魔剣』メンバーの魔法使いの目が――。
瞬時に魔法を放たれ、視界が途切れる。使い魔が撃墜されたのだ。
「一匹やられちゃった。あそこの魔法使いには僕の使い魔を見られたことがあったはず。これで完全にバレちゃったね」
モデストレは内心ほくそ笑む。
もちろん、不用意に使い魔の姿を晒したのはわざとだった。
「なにしてんだ、馬鹿野郎!」
アルトガーは剣の柄に手をかける。
彼は噴火寸前だった。
モデストレは目を閉じて術に集中しているふりをしながら、アルトガーの挙動に意識を割いていた。アルトガーがもし剣を抜くなら、応じるしかない。黙ってやられるつもりはなかった。
「……」
だが、アルトガーもさすがに思い留まった。いまは仲違いをしている状況ではないことに気づき、剣から手を離す。
「で、どうするんだ?」
仲間の戦士――ディクラスがきいた。
アルトガーは気持ちを鎮めるように大きく息を吐いた。
「……さっさとこの場を離れるぞ。モデストレ――あんなに数を飛ばしたんだ。まだ補足はできているんだろう?」
「もちろん。目は離してないよ」
「警戒を続けろ。万が一にも出くわさないようにな。さっきの町――ポルダとかいったか――に一旦戻るぞ」
「正気かよ? 追っ手はそっちからやってきてるんだぜ? それに時間が経って、なにが起きたかを知ろうと調べている連中が増えてるかも」
ディクラスがすぐさま異を唱えた。
わかっている、というふうにアルトガーは彼をじろりと睨みつける。
「危険は承知だ。だが、弟の身体を放ってはおけん。国境を渡って逃げるにしても、あいつは連れていく。絶対にな」
「……」
ディクラスはこれ以上反論をするのはやめた。
長年の付き合いだ。こうなったリーダーが意見を曲げないことは身に沁みて理解している。
「もったいないから、こういう使い方はしたくはねぇが……」
そう言ってアルトガーは、ふところから細いガラス容器を取り出した。
四本まとめて蓋を開けて中身を出す。ブラックスライムが四体、地面にどろりと落ちた。
それらはすぐに形を変える。
「おお……!」
今回はアルトガーだけじゃなく、仲間のモデストレ、ディクラス、イェルマーの姿にそれぞれ変化した。
黒光りした身体はひと目で区別できるが、顔のシワや服飾などのディティールは完璧に再現されている。
「そんなこともできたんだ? いままで見せたことなかったよね。自分以外の姿を真似させるなんて」
モデストレはしげしげと自分の分身を眺める。
「自分より弱い奴の真似をさせるなんざ意味あるか?」
「……」
「四体同時、しかも俺から遠く離れて行動させるんだ。そう長くは保たねぇだろうな。いずれ命令は解けて野生に還っちまう。四体も手持ちを失うのは痛いが、背に腹は代えられねぇしな」
「こいつらを囮に?」
「ああ。このまま徒歩で俺たちとは逆方向に向かわせる。国境方面に向かっていると思わせるんだ。その間に俺たちはポルダの町へ。弟を連れ戻す」
アルトガーはブラックスライムたちのほうへ視線をやった。それだけで指示は伝わる。彼らは四体そろって街道を北へ駆けていった。その姿はすぐに見えなくなる。
「モデストレ――馬に強化魔法をかけろ。ここからは森の中を行かなくちゃならん」
「わかった」
「ディクラス――その女は道中おまえが面倒を見ろ」
アルトガーは異端審問官の女――コージータの方を見やった。
言われたディクラスはパッと目を輝かせる。
「俺? いいの? やった!」
「簡単には殺すなよ。自害もさせるな。ヨハンの情報を持ってるかはわからねぇが、始末するのは確認したあとだ。それまでは丁重に扱え。剣は抜くなよ。またぐらの剣はべつとしてな」
「……なんで、こいつが。……いいなぁ」
もう一人の戦士であるイェルマーが物欲しそうに言った。
彼をふりむいてディクラスはにやりと笑う。
「俺が飽きたら、おまえにやるよ。そのときにまだ使い物になるかはわからねぇけどな」
○
ポルダの町。
アルトガーたちによって壊滅させられた町。
生きている人間は皆無。
夜明け前より静かだった。
犬も猫も、ニワトリもネズミさえも生きていない。
音を立てるものはすべて、目のないコウモリもどきに食われてしまった。
「……」
ギルド調査官のジョジョゼも裏路地に息絶えていた。
うつ伏せに倒れた身体からは大量の血液がぶち撒けられている。複数のコウモリもどきに全身を食い破られていた。胴体も脚も半分以上が失われ、かろうじて繋がっているという状態。
「――」
ふところに入れたスクロールが光を放つ。
定められた時間になり、巻物に込められた魔法が発動したのだ。
ジョジョゼの指がピクリと動く――。
○
数刻まえ。
――彼女は避難部屋でボルファノがやられるのを見た。
この町を中心に活動する冒険者の中で一番の戦士ボルファノ――彼の首が切り裂かれて、高々と宙を舞うさまを。
ボルファノは善戦した。しかし、相手の戦士はもっと強かったのだ。
即座にジョジョゼは逃げ出した。路地を走りながら、すぐにスクロールを起動させた。
この巻物に込められた術は回復魔法だった。僧侶である彼女は自分で使えるので、普段使うようなことはない。このスクロールは緊急用だった。それに独自の設定も加えてある――。
起動から、実際に発動するまでに時間差が設けられているのだ。だから、もし自分で魔法を使えないくらいに傷ついても、時間がくれば魔法が発動し、身体の傷を治してくれるようになっている。
だけど、当然ながら万能とはいかない。首を切り落とされたりなどすれば、いくら回復魔法でも復活はできない。それに、魔法が発動したところを見られても駄目だ。そうなったら、もう一度殺されてしまうだけ。
ジョジョゼはできるだけ距離をとろうとしていた。あの男の手にかかって殺されれば、どんな死に様となるかわからない。首をはねられる可能性だってある。そうなると、せっかくのスクロールも役には立たない。
だから、殺されるならあのモンスター――目のないコウモリもどきがよかった。あれが魔法使いの使役する使い魔なら、野に生息している本来のモンスターとは行動原理が違う。普通のモンスターは食事のために人間を襲うが、使い魔はエネルギーを術師の魔力が得ている。そのために食事の必要はない。だから、人間の肉を噛みちぎるのも食欲のためではなく、ただそう命令されたからにすぎないのだ。
であれば、あのモンスターのサイズからいって、全身がなくなることはないだろう。あとは、内蔵などの重要な器官ができるだけ残ってくれることを祈るのみ。
足音を気にせずに駆け抜けていたため、すぐにコウモリもどきはやってきた。狙い通り――。
それでも、数秒後に襲ってくるであろう痛みを想像して萎えそうになった。
くそっ! このまま死んでたまるか! 絶対に生き残ってやる!
ジョジョゼは歯を食いしばった。
○
そして現在――。
「う……うう……」
一度心臓が止まったとはいえ、死後そう経っていない肉体に回復魔法は効いてくれた。
間に合ってくれてよかった――そう幸運に感謝するまえに、生き返ったことを後悔するほどの激痛が全身を襲った。ジョジョゼは思わず悪態をつきそうになる。しかし、その短い単語すら口にすることはできなかった。
しばらくはじっと痛みに耐える。スクロールの回復魔法が確実に効いてはいたが、極寒の地で足湯をしているような心細さではある。わずかなぬくもりに必死に浸った。
「ああ……くそっ」
仰向けになって息を吐く。ようやく言葉が出せるくらいには回復した。ジョジョゼは自らの口で呪文を唱え、回復魔法を発動させた。
全身が温かさに包まれる。冷え切った身体に血が巡りだす。場違いにも笑い出しそうになった。
ジョジョゼは立ち上がり、ふらつきながらも歩き出した。
裏路地から出て、通りに出る。むせ返るような血の臭い。
通りの向こうに動く影が見えた。
目を凝らす。
影は彼女の方へ近づいてきていた。




