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第五十話 悪魔アンドラスとの邂逅





「……何の音だ?」


 赤いマントを着た悪魔払い師――リアマンタが眉をひそめる。


「さあ?」


 俺にもきこえた。


 木々のざわめきとも違う音が、どこか上の方から――。


 次の言葉をつむぐまえに、上空からなにかが降ってきた。


 俺たちの二十メートルほど前方――謎の物体が地面に叩きつけられる。


「……なんだ?」


 その物体は地面に落ちた衝撃で潰れ、周囲に赤い液体をぶちまけていた。


「あれは血か?」


「らしいな」


 さらに続けて降ってくる。今度は俺たちの左側。その奥でも同じ音が連続する。


 俺たちの真上で枝の折れる音がした。それは俺たち三人の真ん中に落ちた。


 ブーツに血が跳ねる。木の枝に当たって衝撃が分散したおかげか、かろうじて原型をとどめていた。黒い羽と、尖ったクチバシ――それはカラスだった。


 丸い目は光を失っている。もちろん死んでいた。


「お師匠様」


「ああ」


「……これは?」


 死んだはずのカラスの目が動き、ギョロリと俺たちを睨んだ。


 それはカラスの真ん丸な目でなく、人間のような目に変わっていた。


「――」


 俺たちは瞬時に飛び退く。


 カラスの死体がはじけ、臓物と血液が飛び散った。


 音は周囲からもほぼ同時にきこえていた。


 一度散らばった臓物がふたたび集まり始める。周りの死体からも続々と集まってきていた。


 俺はモンスターのスライムを思い出していた。あいつらもこんなふうに地面を這って動く。ただ、スライムなんかよりずっと速い動きだった。


 あっという間に何十羽というカラスたちの臓物は集結し、大きな塊になる。


 臓物の塊は人になった。タキシードを着た男の姿に。


「お出ましだ」リアマンタがぼそりと。


 男は屈んだ姿勢から一気に立ち上がった。


「じゃじゃーん!」


 彼は両手を勢いよく高くかかげる。


「……」


 リアマンタたちのリアクションはなし。


 俺にしても呆気にとられていた。


 タキシードの男はため息をついて手をおろした。


「なぁんだ、あんまり驚いていないようだな。つまらないぜ」


「……あれはどういう術だ?」


 俺はリアマンタにきく。


「死体を媒体にする転移魔法だ。奴が好んで使う」


 彼女がより一層低い声で答えた。


「……とっくに受肉していたというわけか。思ったより早くて驚いたが、これでよかったのかもな。探す手間がはぶけたぞ、アンドラス」


 アンドラスと呼ばれたタキシードの男は目を瞬かせた。


「俺を知っているのか? ……まあ、俺様は有名人だからな。しかし、俺の名は有名でも、顔や魔法を知る者は少ない。えーと、そちらはどなただったかな? すまない、生まれ変わった直後はどうも記憶が曖昧でな。まだ完全には思い出せないんだ」


「思い出すには及ばない。おまえはここで私が殺すんだからな」


「は? 人間ごときが悪魔である俺様を?」


 タキシードを着た悪魔――アンドラスは、心底驚いたといったような顔をした。


「ああ……貴様の不遜は許してやろう。愚かであることは人間の特権だ。特権は存分に享受すべきだしな。なにせ人間の寿命は短い。これは俺の勝手な予想だが、たぶんおまえも数分後には死んでいる。そう思えば、おまえの生意気な態度も愛おしくなってくるから不思議だな」


「……」


 リアマンタの表情は変わらない。だけど、わずかに肩が上がったように見受けられた。


「そのまえにはっきりさせたい」俺は二人のあいだに割って入った。「おまえの狙いはなんだ? 本当に俺なのか?」


「ああ……きみがヨハンか。はじめまして。だが、俺はきみを知っているよ」タキシードの男は微笑みながらうなずいた。「そうだ、きみこそが俺の狙いだ。契約者の意向でね。……おっと、もうとっくに察しはついているかもしれないが、一応紹介しておこうか。契約者とは彼だ――」


 アンドラスはジャッケットとシャツのボタンをはずし、自らの胸元をあらわにした。


 胸元にはもう一つ、顔がついていた。人間の――ルトヴィヒのだ。


「ヨハンヨハンヨハンヨハン――っ!」


 彼は呪詛の言葉を吐くように俺の名を呼んだ。血の涙を流し、歯を剥いて……。


 なおも俺の名前を呼び続けようとするルトヴィヒの口に、アンドラスがハンカチをつっこむ。「失礼。うるさかったね」


「……」


 アンドラスはボタンをつけ直した。彼の服の下でしばらくルトヴィヒの顔が暴れていたが、やがておとなしくなった。


……死人の頭部を結合したうえで連れ歩くなんて。


 悪魔の力をもってすれば可能なのだろう。だけど、とても趣味がいいとはいえなかった。


「ああ……彼の黒い感情の高ぶりが実に心地いい。これこそが俺の心を至福で満たしてくれるのだ。もっと浸っていたい……」


「……」


「ヨハン、きみもすぐには殺さない。この彼が見ている前で存分に痴態を晒すのだ。それを目にすることで、彼の汚れた魂はさらに熟成が進む。一息に消費してしまう贅沢もあるのだが、ここまでの一品にはそうそう巡り会えない。だから、何度も咀嚼を楽しむのだ。噛めば噛むほど旨い汁が溢れてくる。人間の肉以上に、人間の魂とはそういうものだ」


 アンドラスは恍惚とした表情で言った。


 一方で、冷えた目――瞳の奥が凍っているかのような目――を俺に向けてくる。


「きみをこれから辱め、それからゆっくりと殺す。殺したあと、今度は魂を辱める。――これは決定事項だ。きみに拒否権はないし、もはや逃れられない運命といえる」


 アンドラスは微笑んだ。


「そのあとで友人になろう。一緒に話し合って、こうなってしまった原因を探すんだ。それはきっとある。問題はきみとルトヴィヒ、二人の間だけにあるのではなかったはずだ。それがわかったら、俺が力になってやる。そのときは――」


「気が早いぞ、アンドラス。もう次の契約のことを考えているのか?」


 リアマンタが割って入る。


「あいにく、そのときはこない。おまえもそろそろ故郷が恋しいだろう。さあ、地獄に送り返してやる――ゼッピア」


「はい」


 ゼッピアのマントの下から大量の札が舞った。


――ただの紙切れじゃない。あらかじめ術式を刻んである札だ。


 俺たちの周囲を魔力が走った。結界が張られる。


 薄い緑色の壁が四方――さらには上空までをも取り囲む。


 味方を守るために張られた結界ではなかった。その結界は敵であるアンドラスをも内側に収めていた。


「……これは?」


 アンドラスが首をかしげる。


「まさか、あの人間どもが好む見世物――コロッセウム――だったか。それのつもりじゃないだろうな?」


「よく知っているな。だが、コロッセウムとは違う。競技場ではなく、ここはただの刑場だ。もちろん、処刑されるのはおまえだが」


 リアマンタの言葉に、アンドラスの表情が一瞬固まる。


「やれやれ……俺様に向かって何度そんな態度をとれば気が済むんだか。仕置きが必要だな――」


 無理やりに笑ってみせるアンドラス。


 彼とリアマンタが地を蹴ったのはほぼ同時だった。


 アンドラスのふるった拳をリアマンタがかわす。


 アンドラスの腕には魔力が込められていた。彼の腕から黒い軌道が伸びる――それは幾羽ものカラスの連なりでもあったし、同時に刃でもあった――。


「……っ!」


 彼の攻撃は、リアマンタだけじゃなく、後ろにいた俺をも狙ったものだった。


 俺は避けようとしたけれど、その必要はなかったようだ。またも俺の立っている位置が勝手に変わっていた。ゼッピアも一緒に。彼女が術で守ってくれたのだろう。


 近くにいたはずのクハルナーたちの姿も消えていた。戦いに巻き込まれないよう、ゼッピアが結界の外に避難させてくれたのだと思われる。


 俺たちは位置が変わり、リアマンタとアンドラスの攻防を真横から目にした。


 アンドラスの攻撃は速いけれど、ただ速いだけだ。リアマンタの洗練された動きには遠く及ばない。すでに彼女の使う札がアンドラスの身体のあちこちではためいていた。この素早い攻防のさなかで、あっという間に複数枚の札を貼り付けることに成功していた。


 まだ発動はしていない。貼り付けられたアンドラスの方も気づいていないようだった。


「ははははは! 避けるのは中々うまいじゃないか! 避けるのだけはな!」


 上機嫌に腕をふりまわすアンドラス。


 その間にも貼り付けられた札の数は増え続け――。


「『強打の札』、五十枚だ――」


「……?」


 リアマンタの言葉にアンドラスは目を丸くする。


 かわしてばかりだった――相手はそう思っていた――リアマンタがカウンターで掌底をアンドラスの顔面にぶち込む。


「ふっとべ」


 それが合図だった――。


 一斉に札が起動し、爆発にも似た衝撃が結界内を駆け抜けた。


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