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第三十八話 ふたたび魔女の森 危機のあとの早すぎる……





 魔女は去った。だけど、危機はまだ去っていない。


 奴の置き土産が辺りを支配している。僧侶であるダクマリーが展開する防壁だけが頼りだった。


 彼女の負担は小さくない。


 魔力切れで倒れることは決して楽しい体験ではないけれど、ダクマリーには甘んじて受け入れてもらうしかなかった。そうだ――ここで全員死ぬよりはマシだった。





 静かだった。


 ダクマリーはさきほどから目を閉じて集中している。


 ほかのみんなも彼女の邪魔にならないよう黙っていた。


 クハルナーが自分の貧乏ゆすりに気づいてからピタッとやめる。


 俺も剣の鞘を鳴らしたくなるときがあったが、それもいまは我慢していた。


 魔法が発動してから一時間近くが経過していた。


 いまだに銀色の煙は晴れない。


 それどころか減っていっている様子も見られない。


 木漏れ日を受けてキラキラと輝く煙は、見る分には美しくさえあった。


 とはいえ、もちろん外に出て吸い込んでみようとは思わない。


 危険なものほど得てして美しい――それは自然界の植物や生き物でもよく聞かれる話だった。


「……」


 防壁魔法の外でも物音一つしない。


 きっと、鳥や虫といったものもこの煙にやられて死に絶えているのかもしれなかった。


 ラウレオがゆっくりと一本ずつ指の骨を鳴らす。


 イーザシャは控えめに鼻をすすった。


 俺も似たような心境だった。じっと立っているのはそれだけで中々につらい。


 それも、防壁のすぐ外は死の世界ときてる。


 俺たちの命はダクマリー一人の肩にかかっていて、しかもいまは励ましの言葉をかけることさえはばかられるのだ。


 俺たちはじっと待ち続けた。


 魔女の言っていた言葉が嘘じゃないことを願いながら――。





 結論からいうと、魔女は嘘を言っていなかった。


 その可能性は高いと思ってはいたけれど、万が一ということも考えられるから多少心配ではあった。


――いくら魔女とはいえ、神ではないのだ。無尽蔵の魔力などあるわけがない。


 強力な魔法はその分、多くの魔力を使うのは当然なのだから、この煙もそう遠からず、いつかは晴れるはずだった。


 そして、ようやく――。


 まだ日は完全には暮れてなかったが、森の中はすでに暗くなっていた。


 魔女が魔法を放ってから五時間以上が経過していた。


「ダクマリー……もう大丈夫だと思う」


 クハルナーがやさしく彼女の肩に手を置いた。


「ありがとう。あとはゆっくり休んでくれ」


 ダクマリーは力なく微笑んだ。


「あ、明日の朝ごはんは……豪勢なのを、お、お願いね……」


 そう応えてダクマリーは崩れ落ちた。


 クハルナーがそれを支える。


 防壁魔法は解けた。


 俺たちは恐る恐る呼吸を再開した。


 互いに顔を見合わせてホッと息を吐く。


……よかった、なんともない。


 目で見るかぎり、銀色の煙は完全に晴れ、わずかにも漂ってはいなかった。


 代わりに、辺り一面の木々や茂みを銀色に染めていた。


 煙を構成していた金属が冷えて固まったかのようだ。


 ランタンを用意して火をつけると、明かりが周囲にことごとく反射して眩しいくらいになる。


 雪景色とも全然ちがう、初めて見る不気味な景観だった。


「気をつけた方がいい。雑草がナイフみたいになっている。転んだだけで大怪我するぞ」


 俺は言ってクハルナーの方をふりかえった。


「……大丈夫か? やっぱりダクマリーは俺が担ごうか?


「いいや。彼女もそれを望むだろうけど、ここはボクが背負うよ。ヨハンにはいつでも動ける状態でいてもらわないと」


 クハルナーはそう応えてダクマリーの足に手を回した。


「で、どこに向かう?」


「予定どおり、ザロフの村に向かおう。まずは馬のところに戻ってから。――ラウレオ、案内を頼んでもいいか?」


「うん、任せて」


 狩人のラウレオが先頭に出る。


 本職の人間でないと、広い森の中で針路を見失わずにいるのは難しいからだ。


 ダクマリーを背負ったクハルナーと魔法使いのイーザシャをあいだに挟み、俺がしんがりについた。


 歩きながらも周囲を警戒する。


 ただ静かなだけでなく、辺りからはニオイすらも消えてしまっていた。


 草も花もすべて、金属の膜が覆い、封じ込めてしまったのだ。


 途中、身体の内側から刃に貫かれたオオカミや鳥が地面に横たわっていた。


 内臓から血を撒き散らしながら絶命していたけれど、その上からも煙が覆ってから固まり、ある種の彫刻のようになっていた。


 おかげで生々しさは半減していたが、悪趣味には違いない。


 もともと魔女の針に支配されていた個体も多かっただろうとはいえ、やはり同情の念を感じずにはいられなかった。





 馬に餌と水をやってから移動を開始する。


 俺たちは馬を急がせた。


 さいわいにも今夜は丸い月が出ており、街道は明るく照らされていた。


 一時間半後にはザロフの村に到着した。


 すぐに宿屋で部屋をとり、ダクマリーをベッドに寝かせる。


 俺も含めて四人だけで食事をとり、二十分後には静かに解散した。


 誰もが楽しくお喋りするような気分じゃなかったのだ。


 今日は予想外にハードな一日となってしまった。


 それでも、イーザシャはさっそくギルドへの報告書作りに取り掛かるようだった。


 記憶の新鮮なうちに草稿を作ってしまいたいらしい。


 なにより、文字に起こすことで頭の整理ができると言っていた。


「魔法使いは夜ふかしに慣れてるものだから」


 そう肩をすくめて彼女はロビーの机の上に用紙を広げた。


 ラウレオもまだ起きていたいようだったが、意に反して睡魔に屈する寸前だった。結局、ロビーの椅子から転げ落ちる前に彼女をクハルナーが部屋に引きずっていった。


 俺は一人、宿屋の入り口に座っていた。


 やがて、戻ってきたクハルナーが俺のとなりに座る。


「中々大変な一日だったな。まさか魔女に出くわすなんて……。いまだに信じられない」


 彼女は苦笑いしながら首をふった。


「クハルナーはまだ寝ないのか?」


「やけに目が冴えてしまってね。べつにめずらしいことではないだろう? 命の危険を感じた日には、しばらく血が熱くなったままだ。キミは違うのかい?」


「俺はまあ、慣れてるからな。もうちょっとしたら寝ようと思ってる」


「さすがだな。C級は伊達じゃないということか」


「いや、パーティーはなくなったんだ。いまの俺は何級でもないよ」


「ちょうどいい。そのことで相談があるんだが……」


「……」


 俺はなんとなく察しがついた。


「このままボクたちのパーティーに入る気はないか? いいや、むしろリーダーとしてボクたちを率いてほしい」


「ほかのメンバーの意見は?」


「まだ聞いてはいないけれど、ラウレオは無条件で賛成だろうな。イーザシャとダクマリーも反対はしないと思う」


「……」


 俺はかるく首をふった。


「考えさせてくれ。気が進まないとかじゃないけれど……。わかるだろ? そう簡単に答えを出せるものじゃないってことは」


「ああ、もちろん。ゆっくり考えてみてくれ」


 クハルナーはそう締めくくってから立ち上がった。


「なにか飲み物をもらってこようか。……なにを飲む?」


「ありがとう。なんでもいいよ。できれば強い酒が飲みたいところだけど」


「ああ、訊いてこよう」


 クハルナーは宿屋の中に戻っていく。





 入れ替わるようなタイミングで建物へ近づいてくる人影があった。


 フードを目深にかぶった女性――。


 こんな時間に宿泊客なんてめずらしいな、と思った。


 俺は通り道をあけるために階段の隅にずれる。


 彼女は宿屋への階段を上がるわけではなく、俺のとなりに腰を下ろした。


 挨拶もなく、いきなり……。


 俺は彼女の方に顔を向ける。


 女性はフードをとって素顔をさらした。


「……っ!」


 俺は言葉を失う。


 忘れようもない――。


 つい何時間か前に見た顔――それは脱皮後の魔女の顔だった。


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