第三十六話 二つの衝突
少年はそれでも立ち上がろうとした。
一撃で内蔵をやられていた。
武器を使ったような様子はなかった。素手でなんていう威力……。
それに、一瞬でベッドから少年の背後に回り込んでいたスピード……。底が知れなかった。
とても勝ち目のない相手だ……。手を出さなければよかった、といまさらながら少年は後悔した。町全体を結界で覆われているにしても、ひたすら逃げ回っていた方がまだ生き残れる可能性はあった。
「……」
少年を追って戦士イェルマーが――少年は相手の名前すら知らないが――外に出てくる。
ゆっくりとした足取りだった。
余裕どころの話ではない。イェルマーの身体からは、殺意も怒りもまったく感じられなかった。
少年は驚愕する。
――確かに自分の攻撃は成功した。そのはずなのに。
少年はニオイ付きのボールと見せかけて、強い酒入りのボールを相手にぶつけることができた。そしてすぐさま火をつけた――。
少しでもダメージを与えることができていれば、多少の満足感は得られたかもしれない。しかし、イェルマーの顔には軽い火傷の跡すらなく、まったくきれいなままだった。
イェルマーは涼しげな表情で少年を見下ろしてくる。少年がもう動けないであろうことは見抜かれていた。少年はたった一撃で致命傷を受けたのだ。この傷は僧侶の魔法でなければ治せない。が、この状況でどこぞの僧侶が運よく駆けつけてくれる可能性などあるわけがなかった。
「やるじゃないか、少年。でも、ここまでだ。あんまりのんびりしてると、あとでリーダーになに言われるかわからないからな」
「……」
少年の方へ一歩を踏み出すイェルマー。
そこへ別の足音が聞こえた。
イェルマーは足を止め、そちらに顔を向ける。
「ははっ……」少年もそちらを見て、吐血と一緒に笑みをこぼした。「やっとかよ。遅いっつーの」
「すまん。寝てた」
応えた青年は、少年の知り合いのようだった。
言葉どおり、彼は寝起きらしく髪の毛はボサボサで、目もまだ開ききっていない。
青年は、この状況を目にしてもまったく物怖じしていないようだった。知り合いである少年が血を吐いて倒れていて、近くにはあきらかに加害者と思われる男が立っているというのに。
「……こいつは? ――ああ、里の標的の一人だっていうのだけはわかるよ。くっせーニオイがするもんな。俺と同類だ」
「……」
青年が目をこすりながら言う。
イェルマーもその青年が只者ではないことを嗅ぎ取った。
――蛇の一族は、みんな身体のどこかに蛇のタトゥーを彫る。それは出自を証明するものであり、同士としての絆を強固にするためのものだった。
かつて迫害を恐れた一族の里は一ヶ所で発展するのをやめ、複数に分かれた。各地に散った面識のない同士、それらを結びつけるものが必要だったのだ。
普段は、初対面の同士に衣服をめくってタトゥーを見せ合う。決しておおっぴらにはしない。
――だが、突如現れたこの青年はどうだ。両腕を肩まで出した軽装をしており、その腕には大きな蛇の模様が描かれていた。
刺客であることを自ら明かしている。堂々と――そうする必要もないのに。
よっぽどの馬鹿なのか。いや、それでは里の外には出してもらえない。こうやって外界に下りてきているということは、立派に仕事をこなせているということ。
正体を明かしたうえで――こそこそする必要はない――姿を晒した状態からでも、刺客として役割をまっとうできると。
「聞いてた特徴と違うな……。俺が呼ばれたのは、こいつのためじゃないだろ?」
青年はあくびをしながら寝癖だらけの髪の毛をかいた。
「でも、やんないと……この状況は……」
少年は倒れたまま、喋るのも苦しい状態でなんとか応える。
青年はため息をついた。「仕事でもないのに殺んなきゃいけないのか。……めんどくせーな。あんた、金は持ってるか?」
「……」
イェルマーは青年の言葉に微笑む。
イェルマーはふところからマジックボックスを取り出した。その袋を目の高さで振ってみせる。「こいつにたんまり入ってる。これでも一応はB級冒険者なもんでな。……どうだ? 少しはやる気になったか?」
青年もニヤリと不敵に笑った。
「いいね。依頼された仕事じゃないから、里にピンハネもされないし。丸ごと俺がいただきだ」
青年は指の骨を鳴らす。
イェルマーも腰を落とした。
二人の姿が消え、互いの中間地点でぶつかった――。
○
ジョジョゼがふり返ると、アルトガーが通路を下りてくるところだった。
破壊音はなかった。しかし、アルトガーはどうやってかあの扉を破ってきたらしい。
もはや驚きはなかった。いや、当然あったのだが、どこか心が麻痺してもいた。とにかく、ジョジョゼは内面が顔に出ないようにした。憎っくき敵の前で驚愕してみせるほど、癪なものはない。
ただ、この避難部屋が作られるまでの年月や費用について先輩から苦労話を聞いていた身としては、少々場違いな怒りだけがあった。なにこんなに簡単に壊してくれっちゃってんのよ、という――。
「どうやって、ここが? つけられてはなかったはずなのに。……それに、いとも簡単に壊してくれるわね。何人もの腕利きの術士が作り上げた壁を」
「つけられてなかったはず? ……あれで? そうだな、ノロマすぎててっきり案内してくれてるんだと思ったぜ。こんな壁も意味ねーよ。俺を誰だと思ってる? って、おまえは知らねーか」
アルトガーは大げさな身振りをしながらヘラヘラと笑った。
ジョジョゼも対抗するように微笑む。
「でも、もう遅いわ。通信は済んだから」
「……?」
「周辺の町ぜんぶにあなたたちの所業を伝えたわ。私には通信魔法が使えるの。一人で集中できる時間が少しあれば可能だった。あなたも早い方だけど、あと一歩遅かったわね」
「……通信魔法か。聞いたことはあるな」
アルトガーは神妙な面持ちでうなずいた。
「だが、聞いていた話と違う部分もある。アレはけっこうな時間を必要するはずだ。だから、思ったより使いにくくて、覚えようとする術士はほとんどいないってな」
「……」
「俺もそう急いでおまえのあとを追ったわけじゃない。おまえには余韻が必要だと思ってな。助かった……と安心してからの、ジャジャ~ン。俺様登場、おまえは地獄行きってな。だから、ちょっとばかし時間調整しようとも思ったが、俺も気が長い方じゃなくてな……。結局すぐに飛び込んできちまった。大した時間は経ってないだろ? だから、おまえの言っていることは嘘ということになる」
「……」
ジョジョゼは不機嫌な顔でため息をついた。
「確かに、あなたの言う通り。ただ、半分ではあるけれど」
「……?」
「きちんと受け手を見つけてからの通信は無理だった。あなたの言う通り、そんな時間はなかったから。だから、一方的にメッセージを送りつけた。このメッセージはしばらくの期間、範囲内を反響する。すぐには気づかなかった術士にも、いずれは伝わるわ。この町で起きたことも、それを誰がしたかっていうことも」
「……」
――そう。この扉も破られるかもしれない、とジョジョゼは覚悟していた。だから、魔法の種類を切り替えたのだ。
受け手となる術士を特定はせず、ただメッセージをばら撒いた。これによって、範囲内にいる魔法使いや僧侶はいつかはジョジョゼの声を耳にする。
このメッセージをばら撒く手法の魔法は、とても短時間で使用することが可能だった。
これが本当なら、アルトガーも破滅ということになる。しかし、彼にうろたえた様子はなかった。
「なあ、ふと思ったんだがよ……伝えたって、なにを伝えたんだ? おまえは、俺たちが誰かも知らないんじゃないか? もし俺の顔を知っていたとしても、こうやってツラを晒したのはいまが初めてだ。さっきまでのあいだで、俺の仲間の一人でも見つけたか? 誰か一人の顔でもはっきりと見れる距離まで近づけたなら、今頃おまえは生きていないはずなんだけどな」
「私はね、感覚がとても鋭いの」
ジョジョゼも負けじと言ってやった。
「……?」
「音と気配だけで、目で見ていない人物の姿をほぼ正確にイメージすることができる。あのとき近づいてきたあなたにしてもそう。だから、このイメージを通信魔法に乗せた。受け取った術士は感覚で理解する――。あなたに会ったことのある人ならすぐにわかるだろうし、もし知らなかったとしても、次すれ違ったときにはわかるはず。残念だったわね。あなたはもう終わり。この町の人間を皆殺しにても、もう無駄なの。情報は外に広く広まった」
「……」
アルトガーは「うーん」と唇を曲げる。それでも動揺はしていない。
「……そうは言ってもなぁ、この結界はモデストレが張ったんだ。俺のパーティーのモデストレがな」
「……?」
「あいつの魔法は一級品だ。あいつの結界がなにかを通すはずがない。通信魔法だかなんだかにしてもな。だから、俺は会ったばかりのおまえより、あいつの方を信じるよ」
「……」
「まあ、俺が犯人だと外にバレてたら、そのときはそのときだ。なにか手を考えるさ。とにかく、おまえはここで殺す。おまえの運命だけは変わらないわけだ」
「――くっ!」
ジョジョゼは杖をかまえた。もはや使える魔法はほぼないにしても――。
アルトガーが剣の柄に手をかけて近づいてくる。
そのときだ――部屋のどこからか布のこすれる音がした。
ジョジョゼとアルトガーは動きを止める。
――この広い空間にはいくつかのベッドがあった。正確には八台。奥の壁際に。
仕切り板があるせいで、こちらからの視線はさえぎられている。どうやら、そこに誰かが寝ているらしい。
「誰だ?」
ジョジョゼもアルトガーも、いまのいままで気づいてはいなかった。
普通ならありえない。いくつもの死線をくぐり抜けてきた冒険者なのだ、眠っていたからとはいえ、誰かの気配を見逃すことはない。
「……」
仕切り板の向こうで誰かが立ち上がる。
気配は一つ。その人物は二人の前に姿を現した。
「おまえは? なんで、こんなとこで寝てたんだ?」
アルトガーの質問に、男は「フッ……」と小さく笑う。
サラサラとした前髪がその吐息に揺れた。
「なんでって、その質問の意味がわからないな……。僕は普段からここをよく利用してるんだ。ここはいつだって空いてるし、ベッドも気持ちいいからね。なにより静かだ。ここより静かな宿はどこを探したってそうはないよ。今日はなぜだか二人もお客さんが来たせいで目が覚めちゃったけど」
「ボニファノ……」
「やあ、ジョジョゼ。久しぶりだね」
ボニファノと呼ばれた若い男。
――彼のことをジョジョゼは知っていた。いや、この町で知らぬ者はいないといっていい。
ボニファノは、この町のギルドを利用している冒険者の中で最強の戦士だ。ジョジョゼが実際に会ったことのある唯一のB級冒険者。
「ボルファノ! あなたの仲間はいま、どこに?」
「あいにく、いま町にいるのは僕一人だよ。僕たち、昨日までちょっと遠出しててさ。先に僕だけで帰ってきたんだ。どうしても、このベッドで寝たくなってさ。本当はみんなと一緒がよかったんだけど、どうやったってみんなが遅れるじゃん? 早馬に乗っても、飛行魔法を使っても。ほら、僕ってちょっと足が速いから」
「……」
アルトガーはボルファノのことを知らない。
それでも、この若い戦士が自分と同格であることは感じ取った。
……いつもどおりの殺戮で終わるかと思っていたが、意外と楽しめそうだ。アルトガーは武者震いをした。
「事情はあとで聞くよ。まずは、このニヤけてる気持ち悪い男をなんとかしないと。――ねぇ、そんなに殺気を向けられるとチクチクしてむず痒いんだけど?」
「さっさと剣を抜けよ、小僧。生娘の股みたいなきれいな傷をつけてやる。で、百人の破瓜にも勝る血を俺に浴びさせてくれ」
「やれやれ、仕方ないな。――ジョジョゼ、きみは隅で防壁でも張って待っていて。まあ、控えめに言ってもそう長くはかからないと思うからさ」
ジョジョゼが慌てて離れていく。
それとほぼ同時、部屋の中央で火花が散った――。




