第三十一話 魔女新生 刃の煙
生身のくせに、魔女の腕は驚くほど頑丈だった。骨どころか、分厚い肉に阻まれて、刃は皮膚をわずかに裂いたのみ。――正確には、皮膚というか、移植された陰核の一つを。
だけど、俺の魔法のまえには関係ない。これで充分だ。
――傷すらつけられない状態での毒魔法は若干効き目が遅くなる。それは数秒程度の差かもしれないけれど、その数秒が強敵相手のときでは明暗を分けることもありうる。
でも、ほんのわずかにでも切り傷をつけることができれば、毒魔法というものは最大の効果を発揮するのだ。体内を瞬時にまわった毒は、どんな相手だろうと即座に卒倒させる――。
俺は魔法を発動し、刀身をつたって毒を流し込んだ。
「ぐぅああああああああああああっ!」
魔女は絶叫し、すぐに崩れ落ちた。
まるで大きな岩が崩れたかのように大きく地面が揺れる。
そのあとも俺はしばらく注意深く見守ったが、もはや魔女は指一本動かすこともなかった。
「……」
やけに静かだった。
首筋をなにかがつたう感触。指でぬぐって確かめると、それは血だった。
自分の耳から垂れたものらしい。魔女の絶叫によって鼓膜が破けたのだ。
俺はクハルナーたちの方をふりかえる。魔女を倒したことによって暗幕はなくなっていた。
四人はまだ召喚されたモンスターと戦闘中だった。
よかった、ひとまず無事だったか……。
しかし、防戦一方といった様子だ。彼女たちには荷が重い相手のようだった。
ガーゴイルが三体、空を飛んでいる。一体だけは仕留めたらしく、その屍が地面に転がっていた。
俺はすぐさまそちらへ駆ける。
狙いを俺に変えた一体にカウンターの一振り。
刃先がかすめた。
それだけでそいつは地面に落ちる。
間髪入れずに俺は飛んだ。
――劇薬によって一時的に強化された身体能力。空にいる相手にも剣は届いた。
残り一体。逃げるかとも思ったが、勇敢にもそいつは向かってきた。
こちらの身体はまだ空中にある。着地までの隙を狙ってきていた。
念のためだ。そちら側にはすでに毒を漂わせてあった。
毒の範囲に入ったガーゴイルは途端に失速し、俺の方へ届く前に地面に落ちた。
俺は剣を鞘に収める。
「みんな大丈夫か?」
「ああ……なんとかな。ダクマリー、頼む」
「こっちが終わったらすぐ行く」
クハルナーの声にダクマリーが応える。彼女は先にラウレオの治療に取り掛かっていた。
鼓膜が破れているせいで声自体は聞こえなかったが、短いやりとりなら唇の動きでなんとか理解できる。
ごく短時間の戦闘だったのにもかかわらず、四人は少なからず負傷していた。イーザシャにしても肩を落として地面に座り込んでいた。
ガーゴイルはそこまでの強敵ではなかったが、さすがに四体を相手にしては辛かったのだろう。しかし、この程度で済んで運がよかったともいえる。
彼女たちのあとに俺もダクマリーに回復魔法をかけてもらった。傷を受けたのは鼓膜だけだ。魔法によってそれはすぐに完治した。
「ところで、魔女は?」
「ああ、倒したよ」
「本当に……? 魔女を……? しかも、こんなに早く?」
イザーシャが信じられないといったふうに首を振った。
だけど、暗幕が晴れたのは事実だし、魔女の巨体が倒れているさまは彼女たちにも見えていた。
「ヨハンなら当然。でも、さすが」
ラウレオは素直に褒めてくれた。物静かな口調ながら、内心は興奮していることが伝わってくる。
「じゃあ、首を持って帰らないとな。……重そうだし気は進まないが、役人に報告するためには必要だし」
俺がそう言うと、
「少し待っててくれ。首の下に置く台を用意しよう」
クハルナーが応えた。
そのときだ――。
ピクリ、と視界の隅でなにかが動いた。
――まさか。
うつ伏せに倒れた魔女の背中が一気に裂け、中からなにかが飛び出した。
俺たちは身構える。
魔女の背中から出てきた影は、人の形をしていた。
髪が長く、身体のシルエットは艶めかしい曲線を描いている。
――成人の女性の姿だ。
もとの身体よりずっと細く、健康的だった。
その女はゆっくりと顔を上げる。前髪からどろりと体液が垂れた。
「……魔女の出産ってのはずいぶんと独特なんだな」
俺は精一杯の皮肉を言ってやった。
「……ふん」
女は前髪の奥で微笑んだ。
「ああ……危なかったよ。毒が回りきる数秒の間に新しい肉体を構築しなければならなかった。久々に心臓が早鐘を打ったよ。こんなこと久しくなかったからねぇ。もしかして恋かも、なんて勘違いしてしまいそうだよ」
「……」
声も若返っているが、その口調は確かにさっきまでの魔女と同じものだった。
「……」
後ろでクハルナーたち四人も言葉を失っている。
そうだ――恐るべき魔法だった。
確実に死んだはずなのに、ただちに復活してみせるなんて……。まるで神のごとき所業じゃないか。
「まったく……なんて魔法を使うんだい。まさか毒魔法だなんて。そいつの使い手はとっくに滅ぼされたと思ってたんだけどねぇ」
「……!」
魔女の言葉に俺は黙った。
背中にイーザシャたちの視線を感じる。
その単語を口に出されてしまうとは。まさか、こんなところで……。
あとでごまかすことは可能だろうか。
いや、いまはともかく――。
「なんのことを言ってるかわからないが……足りなかったのなら、また殺してやる。何度でもな」
俺が言うと、細身になった魔女は白い歯を見せた。
「それはごめんだね。私はここらで退散させてもらうよ」
「逃げられると思うか?」
「逃げられるさ。あんたたちはここから動けなくなるんだから」
「――っ! ダクマリー!」
俺は叫んで後ろへ下がった。
クハルナーら三人も同時にダクマリーの近くに集まる。
新生した魔女と相対したときから彼女は魔法の準備に移っていた。ダクマリーが展開した防壁魔法の範囲内にみんなが収まる――。
魔女のもともとの太った身体が一瞬さらに膨らみ、そこから一気にはじけた。
全方位に勢いよく煙のようなものが吐き出される。
普段目にすることのない銀色の煙は瞬く間に広がっていき、俺たちの足元どころかすぐに目の高さにまで――。
やがて視界すべてを覆い隠した。
「毒ならあんたの得意分野だろうが、こいつ相手にはやめておいたほうがいい。これは毒に見えて実はそうじゃないからねぇ」
煙の奥から若い魔女の声が響いてくる。
「この銀色の煙は、一度吸い込むと肺の中で結晶化し、小さな刃となる……。そうなったら痛いよぉ? 身体の内側から激しく切り刻まれることになるんだ。たとえ僧侶でも回復が追いつかずに苦しみながら死ぬ。……まあ、襲ってくる痛みのせいでろくに魔法も発動できないだろうけどね」
「……っ!」
「安心しな。この術は強力ゆえに、効果時間はそう長くない。日暮れまでには自由になれるだろうさ」
魔女の声が遠ざかっていく。
「じゃあね、若い冒険者さんたち。――ああ、寂しがらなくていいよ。どうせまた近いうちに会えるだろうから」
そうして魔女の気配は完全に消えた。
ダクマリーの張ってくれた防壁の中、各々の息遣いだけが聞こえてくる。
「ダクマリー、このままの状態で魔力はどれくらい持つ?」
クハルナーが訊いた。
ダクマリーは杖を地面に立てたまま肩をすくめる。
「この煙は直接攻撃してくるタイプのものじゃないから、その点では魔力はまったく削られないよ。だから、単純に私の持久力の問題」
「いけそうなのか?」
「……さあ? でも、魔女が言ったとおり日暮れまでは持ち堪えてみせるよ。っていうか、そうしなきゃいけないんでしょ?」
「ああ、頼む」
「魔力切れで倒れたら、あとはよろしく」
そう言ってダクマリーはちらりと俺の方を見た。
俺はうなずいて返す。
ここは彼女に頑張ってもらうほかなかった。




