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第二十六話 始まりの終わり 次の戦いへ

 十日後――。


 ルトヴィヒは国に連れ戻され、そのまま処刑台へと送られた。


 昼前。強い風が吹いていた。雨雲が近づきつつあり、午後から仕事は休みだとみんな浮足立っている。もうすぐ執りおこなわれる処刑が昼食まえのちょっとしたイベントだった。


 処刑を待つ市民たちは誰しもが笑顔を浮かべている。彼らはそのときを今か今かと待ち望んでいた。


 街の中央。


 広場に組み立てられた首吊り台。


 近くの建物の屋根にはたくさんのカラスがとまり、様子をうかがっていた。鳥にしては頭のいい彼らも、これからなにがおこなわれるかは理解していた。そのあとに頂ける屍肉を狙っているのだ。


 大罪人の場合、吊るされたあとは一週間に渡って放置される。見せしめのためだ。その時間がカラスたちにとっては食事の時間だった。


 カラスの群れ。その中の、とある一羽――。


 首吊り台の組み木のうえにそいつは降り立った。


「よう。調子はどうだ?」


「……」


 ルトヴィヒは疲れていて、気づくのに少し遅れた。普通に考えれば不思議なことだった。この状況で自分の真上から話しかけられるなんていうのは……。


 彼は顔を頭上へ向ける力は残っていなかったが、もしできていれば、そのカラスが見た目からして普通とは違うことに気づいただろう。そのカラスは赤い目をしていたのだ。綺麗とは程遠い、禍々しい赤い目を。


 赤い目のカラスは続ける――。


「ここへはたまに来るんだ。タイミングがよければ汚れた魂を頂けるからな。それで一仕事終えて寄ってみたらどうだ――中々の上玉がいるじゃないか」


「……てめぇはなんだ? 誰なんだ?」


 一人ボソボソとつぶやいたルトヴィヒを、そばに控える兵士がちらりと見やる。しかし、とくに気に留めることはしない。死の間際に心がおかしくなることはめずらしくないからだ。


 赤い目のカラスはおかしそうに笑った――いや、鳴いたのかもしれない。


「おまえが見ている幻覚かもな。もしくは、ただのお喋りなカラスか。はたまた、とんでもない力を持っている悪魔かも……」


「……」


 幻覚じゃない、とルトヴィヒは最初から思っていた。そう簡単に気が狂うほど俺はヤワじゃない、と。……なら? なら、なんだ? すぐ近くにいる役人どもも気づいていない。鳴き声をあげるカラスをうっとおしそうに睨むだけ。この声はルトヴィヒにしか聞こえていないようだった。


――どうだ? と赤い目のカラスは提案してきた。


「おまえの望みを一つ言え。親切な俺様が特別に叶えてやろう」


「望み、だと? ――決まってる。俺をここから助けろ……」


「それは駄目だ。おまえの魂こそが報酬だからな」


 カラスは今度こそ楽しそうに笑った。


 クソッタレなことだが、なんとなくわかってはいた。俺はもう助からないんだと。だったら、つぎに願うことは決まっていた。


「ヨハンを殺してくれ。ぜんぶあの野郎のせいだ……」


「よし、引き受けよう」


 ルトヴィヒと悪魔が話しているあいだにも処刑の段取りは進んでいた。ルトヴィヒの耳には、民衆の罵倒も、役人の軽執行の合図も届いてはいなかった。


 突然の浮遊感で、ルトヴィヒはそのときが来たことを知る。足場の床が抜け、縄が首に食い込む。首の骨が勢いよくはずれた。視界は黒く染まり、思考も止まる。『宵闇の牙』のリーダー、ルトヴィヒはこのとき確かに死んだ。


 刑が執行された直後、ルトヴィヒの口から吐き出された黒い霧が上へ昇っていく。それを吸い込む赤い目のカラス。「ギャ、ギャ、ギャ、ギャ!」そいつは心底嬉しそうに鳴いた。


「うまうまうま! なんてうめぇんだ! 最高級に汚れた魂だ! うまうまうま!」


 赤い目のカラスは一羽だけで飛び立っていく。


 ほかの個体とは違う。屍肉が目的じゃない。目的のものはすでに頂いたとばかりに――。


 空の西側には暗雲が立ち込めている。カラスの影は黒い雲の中に溶けて消えた。





 赤い目のカラスには誰も気づいていなかった。


 誰もその目の色などに注目していないから。


 まさか、その声が人語を話しているとも思わなかった。


 悪魔の言葉はルトヴィヒにだけ向けて発せられたものだから。


 当然、ルトヴィヒの口から吐き出された黒い霧も、見物人たちには見えていなかった。


 その、すす汚れた彼の真っ黒な魂のゆくえは。


 しかし、二人だけ――。


 広場に集まった群衆の中で二人だけ。


 ルトヴィヒではなく、その真上のカラスに視線を向ける人物がいた。


「また一つ、契約がなされたか……」


 赤いフードをかぶった女は低い声でつぶやく。


 忌々しげにカラスを睨む彼女。その目の前でカラスは空へ飛び立ち、西の空へ消えていく。


「お師匠様。奴をこのまま行かせるのですか?」


「悪魔は契約を結んだあと、契約執行のための肉体を新たに得る。そうやって受肉したあとでなければ、滅することはできない。あのカラスの状態でいくら殺しても無駄だ」


 弟子らしき少女は小さな顎でこくりとうなずく。


「そうなのですか。それで、つぎに狙われる人物を特定するためにはどうすれば?」


「ウワサによれば、『宵闇の牙』のメンバーの一人がまだ生きているらしい。その男だけが悪事に手を染めておらず、刑を免れたとか」


「その人に会って話を聞いてみるのですね」


「そうだ。もしかしたら、そいつ本人が標的になっているかもしれない――」


 赤いフードの女はいま一度、カラスの消えていった空の方向を睨んだ。


「つぎこそは必ず仕留めてやる。――待っていろ、アンドラス」





 晴れた日の朝。


 太陽が眩しい。


 俺は仕事着――っていっても、普段どおりか――鎧を着込み、剣を携えて街道を歩いていた。


 パーティーの仲間はいなくなった。でも、この日は一人じゃなかった。


「ヨハン、ラウレオ退屈。早く敵に会いたい」


「……そ、そうか? 俺はできれば会いたくないけど……」


「こら、ラウレオ! ヨハンくんにあまりベタベタくっつくな! 彼が歩きにくいだろう!」


 俺に寄り添うようにして歩くのは、狩人職のラウレオ。身軽さを重視した格好のため、比較的薄い生地の衣服を着ている。おかげで彼女の引き締まった筋肉の感触が生々しく伝わってくる……。


 それを注意するのは、戦士職のクハルナーだ。髪を短くしていて、少年っぽい見た目をしている。外見だけでなく、彼女は口調も男っぽかった。


「歩きにくいから、なに? それが、どうかした?」


「急にモンスターが出てきたらどうする! そうしたら危ないぞ!」


「ラウレオ、そのまえに気づく。それに、ヨハンは強い。絶対にやられたりしない」


「ぐぬぬ……」


 クハルナーは唇を噛みしめる。


「まあまあ……」


 俺は二人のあいだに入った。


「確かにあんまり密着していたら、急な出来事に対応できないな。信頼してくれてるのは嬉しいけど、俺も一介の冒険者にすぎないんだ。仕事中はつねに気を張ってないと……」


「……そうか? ヨハンがそう言うなら……」


「ほら見ろ! ラウレオ、きみはもっと仕事に集中するんだ! ここはすでに報告にあったエリアに差し掛かっているんだぞ!」


「……」

 クハルナーの指摘ももっともだった。


 俺たちはピクニックをしてるわけじゃない。依頼を受けて、仕事でここに来ているのだ。


 今回の依頼主は、大まかにいえば国そのもの。こうやって街道をパトロールし、付近の安全を確保しているのだ。


 定期的に見回らなければ、モンスターや盗賊が野放しになる恐れがある。兵士の仕事である気もするが、それよりは圧倒的な武力を持つ冒険者にやらせた方が効率がいい。


 ということで、この手の依頼は定期的にギルドへまわってくる。大抵が歩くだけの仕事となり、退屈なのは間違いない。だから、中級者以上の冒険者が受ける仕事ではなかった。


 でも、クハルナーたちは仲間の半分を失い、俺もパーティーを追放されて一人になった。再出発までの準備をするには、これくらいの任務がちょうどよかった。


「……」


 俺は小突き合うラウレオとクハルナーを黙って眺める。


 それに、俺は全然退屈していなかった。じつは、楽しい、とすら感じていた。……仕事なのに? そう、仕事なのに、だ。


 ルトヴィヒたちと組んでいたときは、大体がギスギスしていた。仕事も楽しいとはいえず、仕事がうまくいっても喜んではしゃぐなんてことはなかった。


 それがいまは、最近仲良くさせてもらっている彼女たちとこうやって一緒に仕事をしている。「せっかくだから、一緒にやらないか? とりあえず、この任務だけでも――」そうやって声をかけてくれたクハルナーにはとても感謝していた。


「ちょっと! 少しは真面目にしなさいって。敵の気配を見逃すわよ?」


「まぁまぁ、いいんじゃない? これくらいバカみたいに騒いだ方が、敵も早く気づいてくれるかもだし。……まあ、本当に敵がいるならだけどさ」


 俺たちの後ろから、馬車に乗ったイーザシャとダクマリーが言った。


 巡回している冒険者だとバレないよう、俺たちは装備を隠して歩いていた。みんなマントを羽織っているし、馬車の荷台も大したものは置いていない。箱だけはたくさん積んでいるけれど、中身はほとんど空っぽだ。


 全員がマントをしているなんて、それだけで一時期は冒険者だとバレバレだったけど、一般市民も真似をすることが多くなり、結果として襲う側の盗賊たちはマントだけで識別するのをやめた。


 だから、緊張感のないメンバー。それも五人中四人が女性。このメンツで歩いていれば、おそらく傍目からは冒険者だとわからないはずだった。


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