第二都市開発空域1
第二話 第二都市開発空域
七荻ビルの屋上付近、全面ガラス張りとなった特別フロアで、遥は一人の少女と午後の茶会をしていた。
彼方がクラリーチェと出会ったあの日から、七荻ビルは常に蜃気楼のように揺らめいている。
それはクラリーチェの庭園が叡智の塔を封じ続けていると言う証でもあった。
しかし、世界の命運をかけてせめぎ合うビル本体とは打って変わって、その内部はそんな庭園の影響を全く受けず実に穏やかなものだった。
「はあ……お兄様が居ない。その事実だけでこの部屋も、憩いのひと時も、外吹く木枯らしのように寒々としたものになってしまうのですね。エリスもそう思いませんか?」
洒落た外国製の椅子に腰掛けて、両手でティーカップを持ったまま遥は静かにため息をつく。
エリスと呼ばれたもう一人の少女は、そんな遥の様子を意に介さず、幸せな表情でテーブルにずらりと並べられた茶会のお菓子を片っ端から平らげていた。
「ふう、貴方は相変わらずですね。黙って佇んでいれば間違いなく気品に満ち溢れた淑女なのですけれど」
呆れ顔の遥を見て、ふわりと髪を揺らしてエリスの動きが止まる。
整った顔立ち、金細工の髪、宝石のような青の瞳。遥が言うとおり、エリスはただ佇んでいるだけでも周囲の視線を釘付けにできる少女だった。
「だってねぇ遥、彼方さんを追い出したのは貴方じゃないの。それでそんなことを言われても、どう反応すればいいのか困るわ」
言って、エリスは手にしたままのフォークでチョコレートケーキを切り分け、ひょいっと口に運ぶ。
「そういう意見もあるといえばありますね」
遥は敗北を認めるように顔を僅かに背けた。
「更に言ってしまえば、大人しく謝って彼方さんに戻ってきてもらえばいいのではないかしら?」
「むぅ、それができれば苦労はしません。今私の周囲を取り巻く状況は不穏の一言。特に魔女議会の支配者である御巫彩華は狂気の権化、正義感の強いお兄様があれを見てどうして捨て置くことができるでしょう。ならば会わせないのが上策なのです」
「魔女議会のウィッチは乱暴なのね。外から見る分には人に迷惑を掛けずに楽しくやっているように見えるのだけれど」
「ええ、貴方の思う以上に危険な連中です。未来視と言う特権に惹かれて勧誘の口車に乗ってしまいましたが、まさかあんなにもおぞましい集いだとは思ってもみませんでした……」
多額の補助金、超法規的権限を得る代わりに、国や社会を破壊しかねないウィッチを取り締まる役割を担う。ウィッチが国に所属した場合に得られる権利と義務は大よそどの国でも同じだ。
しかし、この国のウィッチ組織である魔女議会には"未来視能力の発現"という他国にない特権が更にある。その正体は言うまでもなく叡智の塔を用いた平行世界の記録の注入。
最初、遥は兄の行く先を守る指標になるかもしれない未来視に心惹かれていた。
だが、その正体を知ってしまった以上、もはやそれに恐怖と嫌悪感しか抱いていない。
「遥って変な所でロマンチストよね。どんな未来視だってそれが確定するまでは予測でしかないのだから、あてになんてできないと思うのだけれど」
「言い返す言葉もありません。お兄様と会えないこの苦しみは愚かな私への罰、甘んじて受けましょう。その間お兄様を頼みましたよ、エリス」
「頼む?」
きゅっとハンカチをかみ締める遥に、エリスは特大の疑問符を浮かべて小首を傾げた。
「疑問に思うのも無理なからぬこと、知っての通りお兄様は完璧です。腕力が全てを支配する未開の荒野だろうと、電脳渦巻く未来都市だろうとお兄様は間違いなく頂点に立つお方。しかし、そんなお兄様も人の子。ウィッチという埒外の輩に不意を衝かれては害を及ぼされる可能性もゼロではないのです」
「そこではなくて、彼方さんのことを頼まれても、私は彼方さんがどこに居るのか知らないのだけれど」
「ふへ?」
遥、停止。
「は、はああああああああっ!?」
暫しの溜めの後、遥は素っ頓狂な声を上げ、両手で思い切りテーブルを叩きつけた。
並べられた色取り取りの菓子が揺れ動き、それを落としてなるものかとエリスも一緒に揺れ動く。
「エリス! 知らないとはどういう意味なのです!? 貴方の所へ行くよう、お兄様の荷物をわざわざ貴方宛で送りつけてあるでしょう!?」
「確かに貴方から送られてきた荷物は受け取りに来たわよ。でもそれっきり会っていないわ」
「人でなしにもほどがあるのではないですか!? 次期七荻総帥の座を追われた傷心の兄様を見て、どうして手を差し伸べないのです!? なんという、なんというむごい仕打ちを……! ああ、おいたわしやお兄様!」
自らがその元凶であることを完全に棚上げし、わなわなと怒りに肩を震わせる遥。
流石に食べている場合では無いと思ったのか、エリスもフォークを置いて腰掛けなおす。
「だって、彼方さんって辛い時こそ一人で何とかしたがるタイプだもの。なら暫くそっとしておいてあげるのが優しさだと思って」
「なんて怠惰な! 優秀なウィッチである貴方の庇護下ならば他のウィッチとて容易に手出しできない。そう考え断腸の思いでお兄様を託したのですよ!?」
「そ、そんな意図があったのなら事前に教えて欲しかったわ! そもそも私は自分がウィッチだって今の今まで忘れていたのだし!」
能力が発現したウィッチの多くは特権目当てに国に所属すると言われている。自らがウィッチとなったメリットを一番簡単に得ることができるからだ。当然、国もそれを狙って特権などと言うものを与えている。
しかし、様々な理由や思想により国に所属していないウィッチも少数存在するとされている。
エリスもそんな少数派ウィッチの一人であり、彼女はウィッチであることを基本的に放棄している。しいて言えば取り過ぎたカロリーを無意識の内に魔法で調整しているぐらいのものだろう。
「くっ、己の能力を誇示する輩と関わり過ぎたせいで失念していました。強者の権利を行使しない代わりに義務を負わない、貴方はそう言う人間でしたね」
「むふん、そうよ? 私は遥や彼方さんと遊んで、美味しい物を食べていればそれで幸せだもの」
「全く……。それはそれで尊い考え方ではありますが、貴方はウィッチであることを抜きでも一国の王位継承権を持つ身。ノブレスオブリージュを体現すべき立場でしょうに」
「うーん、そんなことを言われてもねぇ……。何かをしたいって想いは自発的に出るべきものだから、とりあえずマイペースでいいって彼方さんも言ってくれたわ」
口元に人差し指を当て、困った表情でエリスがうなる。
遥もエリスの人となりをよく知っている。それ故、エリスが義務を負わないことをこれ以上咎めなかった。その代わり、
「ですが、エリス。もしも、そう……これはもしもの話です。もしも私が、"私の姿をした何か"が、取り返せない過ちを犯そうとしたのなら、その時は貴方も全力を持ってそれを止めてくれますね?」
動きを止め、今まで続いていた談笑から切り離されたような口調、真摯な眼で遥はそう問うた。
「ええと、それは勿論止めるわ、親友だもの。……でも多分、私よりも前に彼方さんがそれを止めてくれると思うけれど」
「ならばこれ以上何も言いません。これで未だに記憶の端で囁き続ける何かを、私の恐怖が産んだ幻想なのだと笑い飛ばすことができます」
不思議そうな顔をするエリスの前で、遥は安堵した表情で椅子に腰掛けなおすと、すっかり冷めてしまった自らの紅茶に口をつけるのだった。