最後の魔女6
「いかんな……。枯れているつもりでいたんだが、なかなかどうして俺も健全な青少年か」
七荻グループが管理するビルの一室、簡素なベッドに横たわるファントムを眺めて彼方が自嘲気味に呟く。
あの後、ビルの屋上から倒れたファントムを抱きかかえ、人目につかないよう上手く部屋に運び込んだまではよかった。
ファントムをベッドに寝かせた後、そこで彼方も椅子に座って一息ついてしまったのが悪かった。
怪我の具合を確認すべく、ボロボロになったファントムのタキシードを脱がせようとした所で、ファントムが異性であることを意識してしまったのだ。
しかし、それも無理なからぬ話だろう。
ベッドで横たわるファントムは、服越しでも分かるほど抜群のスタイルをしているのだから。
「むう……しかし、かと言って、だ。怪我の具合を確認しない訳にはいかんだろう」
短時間とは言え、彼方とファントムは共に戦った戦友でもある。
ならば比較的無事である彼方が、ファントムを寝かせて終わりと言うのは不義理な行いだろう。
彼方は悩む。
致命傷ではないからと戦友の怪我を放置する。
同意もなしに歳若いであろう異性の衣服を脱がす。
果たしてどちらが不義理であろうかと。
「いや、ファントムはヒステリックに騒ぐタイプじゃない。弁解はその時すればいい」
彼方は自分にそう言い聞かせて意を決する。
ファントムが着ているベストのボタンを外し、シャツのボタンに手をかける。
シャツによって隠されていたその豊かな胸元があらわになり、
「んっ……あれ、君」
そこでファントムが可愛らしい声をあげた。
どうやら気がついたらしい。
「む……」
彼方は慌てて手を引っ込めると、仏頂面を決め込みつつ「よりにもよってこのタイミングでか」と心の中で呟く。
決してやましい目的ではないと心に誓っていても、客観的に見ればいかがわしいことこの上ない。
「ここは……?」
先程までの凛然とした声でファントムが尋ねる。
「七荻グループが管理するビルだ。一応、遥……七荻総帥に見つかることはないだろう場所は選んである」
「そうか、倒れた私を君が連れてきてくれたんだね。すまない、君には負担をかけてばかりみたいだ」
ファントムはそう言いながら、ボロボロになったタキシードを再び着込んでいく。
一切非難の言葉を発さないファントムに、彼方は逆に不安になって自らの懸念を告げる。
「その、なんだ、ファントム。お前の服がはだけていたのは俺が怪我の具合を確認しようとしていたからなんだ」
ファントムは暫しの間マスクの口許辺りに手を当てて考えていたが、
「ああ、そういうこと。ふふ、クールそうに見えても案外照れ屋なんだねぇ」
彼方の意図に気がついて愉快そうに笑った。
「俺に言い返す言葉はない。不服なら殴ってくれ、文句は言わん」
「心配しなくていいよ、君にやましい意図がないこと位分かるから。それに……相手が君なら大丈夫かな」
「?」
「うん、君が男の子であるように、私も自分が思った以上に女の子だったってこと、かな」
そこで会話が途切れ、二人は無言のまま向き合う。
沈黙の気まずさに耐えきれず先に口を開いたのは彼方だった。
「ファントム、それで今日の事……いや、お前は一体何者なのか教えてもらえないか」
「ふぅん、なるほど。今日のことを聞くよりも、私のことを聞いた方が全貌が見えてくると踏んだわけだ」
ファントムは少しだけ考えるそぶりをした後、
「……うん、君が求めるのなら私の正体を見せてもいいよ。ただしその場合、君には相応の責任を取ってもらう」
「分かった。いや、もう既に無関係ではないつもりだ。覚悟はできている」
彼方はファントムを見据えて毅然と言い切った。
第二の自宅とも言える七荻ビルで実の妹が関与し、自らの身にまで危機が及んでいるのだ。無関係だと言われても逆にそれは通させないつもりだった。
「……分かった。なら私も覚悟を決めて素顔を見せよう」
ファントムは銀色の長髪をふわりと舞わせると、ゆっくりとその仮面をはずす。
ファントムの格好をしていた時にも薄々は分かっていたが、仮面の下にあった素顔はやはり遥や彼方と同年代の少女だった。
恐ろしく精巧な顔立ちに色白の肌。黄金の右目と真紅の左目はどことなく眠たげにも見えるが、優美とも言える佇まいが否が応にも利発さを感じさせてくる。
浮世離れした美貌。そんな表現が実によく似合っていた。
「…………」
「おんやぁ、せっかく素顔を見せたのに案外と反応が薄いんだねぇ」
今までの凛然とした口調ではなく、とろんとした甘い口調でファントムが言う。
どうやら彼女はこちらの口調の方が素であるらしい。
「変な言い方だが似合っていると思った」
その姿をまじまじと眺めていた彼方は慌ててそう返し、言葉が足りない返答だったなと後悔する。
ファントムという規格外の怪異に平凡な正体は似合わない、そしてこの少女には正体たるに相応しい非凡な美しさがある。そう彼方は思ったのだ。
「ふぅん、似合ってるねぇ。そんなものなのかな? 私の名前はクラリーチェ。多分歳は君の妹さんと同い年。平行世界では最後の魔女と呼ばれていたかな」
「最後の魔女……?」
「うん、そのままの意味。産まれながらにウィッチであった唯一の者であり、平行世界でウィッチと言う種の最期を看取る宿命を持っいてた者。それが私」
胸に手を当て、芝居がかかった口調でクラリーチェが言う。
「滅びる? 滅びたのは人類ではなくウィッチの方なのか?」
「人類はとっくの昔に滅びてるよ。向こうの世界ではロッドの普及が間に合わなかったから、人類はウィッチの行使する魔法に対してあまりに無力だったみたいだね」
「なら、なおさらどうしてウィッチが滅びる。人類を滅ぼしたのは……多分ウィッチなんだろう?」
「人類が滅びたから。君も知っている通り、ウィッチとして能力が発現するのは未成年の女だけ。つまりウィッチは人類の男としか世代を繋げないの。つまり人類が滅ぶと言うことは、ウィッチも種として緩慢な死を迎える宿命を課されてしまったと言うこと」
クラリーチェは淡々と言葉を続けていく。
「だから私は人とウィッチが滅ばない未来を得るため、この世界の歴史に手を加えた。それが全ての事の起こり、君達がよく知るファントムの登場であり、ロッドの登場だよ」
「ならどうして他のウィッチはお前と敵対する? そんな理由があるのなら他のウィッチも協力して当然だろう」
クラリーチェの話を聞いていた彼方は、それによって生じた至極当然の疑問を投げかける。
「これから数か月の後にこの星の支配者は人類からウィッチとなり、程なくして人類は絶滅。ウィッチも滅びの運命を自らに課してしまう。それが平行世界の歴史。それを聞いて君はどう思う?」
「数か月もしないうちにウィッチがこの星を支配する、か……今し方酷いものを見せられたばかりだが、正直に言って実感が沸かないな」
現状、人類とウィッチの関係は、ウィッチに特権を与えることでバランスが取れている。
ウィッチが新人類だとしても、それが後天的に発現する以上、モラルや人間関係は人間時代のものを引き継ぐ。
ならば新人類としての"特別"より現状維持を望む者も多いはずなのだ。
少なくとも彼方のよく知るウィッチはそうだった。
だからこそ、遥が特別を求めるウィッチの仲間入りをしていることに合点がいかないのだが。
「うん、私も同意見。私が見てきた限り魔女議会みたいな考え方が例外のはず。それは言い換えればウィッチが星の支配種となる未来は来ないということだよね」
「いつか支配者になりたいウィッチにとっては都合が悪いと言うわけか」
「そして、ウィッチが支配者となる未来を得るのに一番簡単な方法、それはウィッチが支配者となっていた平行世界の歴史を再現すること。魔女議会はそう考えているみたいだね」
「ハイリスクだな。歴史の一瞬を平行世界と同じにできたとして、その先の偶然まで全て同じようにできるとは限らないだろう。それで人類を絶滅させてしまえば困るのはウィッチ達も同じだろう?」
ずさんな計画だな、と彼方が一笑に付す。
「それが失敗しないと思っているんだよ。どうして彼女達が本来の庭園を捨てて叡智の塔をその身に宿すのか、それは叡智の塔に保存されている意思と記憶が並行世界のものだから。それを紐解けば支配者までの道筋も、その先で人類を全滅させたミスも、必要な全ての情報を得ることができる」
クラリーチェの言葉に、笑い飛ばしていた彼方がうなる。
「むぅ……そう言えばさっきもそう言っていたな。叡智の塔が持つ特性は記憶と意思の保存だと」
「更に優秀なウィッチに叡智の塔を入れ、それを並行世界と接続したのなら、その記憶と意思は更に膨大かつ確かなものになる。膨大な情報の海に希釈されてしまうその自我と引き換えにね」
「連中、そんな生贄みたいなことをしていたのか」
「うん、七荻ビルの屋上で君の妹さんを依り代……生贄のウィッチにしてね」
「な、遥は無事なのか!?」
クラリーチェが告げた衝撃的な事実に、彼方は座っていた椅子を勢いよく倒して立ち上がった。
「安心して、無事だから。彼女に入っていた叡智の塔本体と、それに接続される予定だった並行世界との接点は、私が自分の庭園を使って封じているから」
「庭園を使って……そうか、お前が苦戦していたのは妹のせいだったのか。すまない、迷惑をかけた」
彼方はほっと胸を撫で下ろすと、クラリーチェに向けて深々と頭を下げる。
「ちょ、ちょっとそういうことはしなくていいの! これは私がやるべきことだっただけだから!」
「いや、それでは俺の気が済まない。せめて俺にも手伝わせて欲しい。やるべきことはまだあるんだろう?」
「うーん、まあ、依り代を作るための本体は封じても、既に叡智の塔が入った庭園憑きは沢山居るし、追加で庭園憑きを作り出せるように叡智の塔の一部は既に持ち出されているみたいだけれど」
歯切れ悪く言うクラリーチェ。
「大丈夫だ、危険なことぐらいは分かってるし、責任を取る覚悟もできている。そもそもこんな話を聞かされたら逃げるわけにはいかない」
「え、違う、違う。私が君に言った責任はこの件に関してじゃないから」
気合に満ちた表情の彼方を見て、クラリーチェは驚いた様子でぱたぱたと横に手を振った。
「……違うのか? それなら俺は一体何をすればいい」
「やっぱり私も……素敵な未来、創りたいなって」
もぞもぞと恥ずかしげにクラリーチェが言う。
「未来を……創る……?」
小首を傾げる彼方。
「…………」
「…………」
やがてクラリーチェはほんのりと頬を赤らめると、爛々とした目で彼方を見つめてゆっくりと口を開く。
「私、貴方のことが好きになっちゃいました。責任取って私をカナ君のお嫁さんにしてください」
「な、いや……?」
完全な不意打ち。そう言う責任の取り方は全く予想していなかった。
冷や汗を流し頭脳をフル稼働させること数秒。
「……せ、せめてお友達からでお願いしたい」
彼方が導き出せた答えは歯切れ悪いこの台詞だけだった。




