午後八時8
「ひっ……!?」
リズは短刀を構えたまま地面を滑って着地、向き直ると同時に目を見開く。
そこにあるのは彼方達とリズを隔てるように立ち塞がる一つの影。
その姿は白いタキシード、にやけた仮面に銀色の髪。ちなみに銀色の髪はかつらだ。
「間に合ったか、ファントム」
ファントムの格好をしたエリスは頷きもせずその場に佇む。
演技が苦手なエリスは不用意に動くとボロを出してしまうことを自覚しているのだろう。
「ファントム!? ちょっと待って! ファントムってさぁ、あそこのあの子じゃなかったの!? 私聞いてないよ!?」
ヒルダが慌ててリズの援護に駆け付ける。その視線はクラリーチェとエリスを行ったり来たりしていた。
「だから最初から私は違うって言ってたんだけど」
「ちょっとさぁ、ちょっと困るよ!」
「困ってても知りません、冤罪です」
大慌てな少女に対し、クラリーチェが素っ気なく言い放つ。
昨日今日と酷い目に遭ったせいか容赦をする気は微塵もないらしい。
「いやいやいやいや、そうなっちゃうとアレが野放しで動くって訳だよね!? 心の準備ができてない、大いに困るんだって! ここは空気読んで実は私が本物だって言ってよ!」
「ヒルダたいちょぉ! 現実見ましょうよ、絶対あっちが本物ですって!? まずは対処しましょう、対処! あのプラムせんぱいが反応すらできずに瞬殺されたんですよ!?」
涙目のリズが手にした短刀でエリスを指す。
「わーってる、分かってる! そりゃ私だって本当は分かってるよ。ちょっと現実が認めたくないもの過ぎただけだって! だってアレ因果調律鍵無しでプラムの庭園引きちぎってんだよ!? そんなヤバい奴とこれから戦うとか絶望じゃん!」
隊長としての使命感か、ヒルダは怯みながらも手にした棒を果敢に構え直す。
「たいちょーっ!? 敵いっこないですって! 中継器にいるプログラムファントムの所まで逃げましょうよ。戦術的撤退ってやつですよぅ!」
「けどプログラムファントムだってあんなの勝てっこないよ。この戦闘は制御下におかれた人々の目を通してモニタリングされている。せめて手の内の一つでも晒させないと……」
ヒルダが言い終わるよりも早く、二人の隙を衝いて無数の全断の剣が地面から針山のように突き出した。
「なあああっ! 時間稼ぎにもなんないよこれぇえっ!」
「だから言ったのにいいいいっ!」
戦闘を再開する暇すら与えられず、二人のウィッチは絶叫と共に世界から切り離された。
「ふうむ、凄まじいものだな……」
あの三人組は決して弱くはなかった。幾度となくウィッチと対峙した彼方にはそれが分かる。
それを上から力技で蹂躙して退けるデタラメさ。こんなものを見せられてしまったのなら、各国が次世代種計画などと言うものに躍起になるのも頷けると言うものだ。
「まあファントムならこれ位当然でしょ。それよりも偽物の方を何とかしないと」
「ああ、向こうが店じまいする前に中継器を取り戻さないとな。俺が先行してビルを探す、ファントムはクラリーチェを遥の所へ避難させてやってくれ」
体を微動だにせずエリスが顔だけで小さく頷く。
「うん、よろしく。でも偽物も強くなっているはずだから、無理はしないでね」
「分かってる」
クラリーチェをエリスに任せ、彼方は夜の街へと走り出す。
夜の街はさながらパニックホラーの世界だった。
虚ろな目をした人々が獣のようなうなりをあげ、次々と彼方の行く手を遮ってくる。
以前の信仰時計の起動開始は午後十時半。それが今の起動時刻は午後八時。夜の早い時間になった分、より多くの人間が信仰時計に取り込まれてしまったのだろう。
「この光景……これ以上信仰時計の針を進ませる訳にはいかないな」
彼方は魔法を使いそれを軽々と押し退けて突き進む。
ロッドを持たない人々は魔法に抵抗する術を持たない、人の数は多くとも魔法の前には完全なる無力。それ故に、ファントムが居なければ人類が絶滅していたと言う事実を嫌でも認識してしまう。
だからこそ、人を守る為に尽力したファントムの名を掠め取り、あまつさえ人々を脅かす偽物は許せない。例えそれがクラリーチェの生物学上の母親だとしてもだ。
「やはりあのビルか」
彼方は視線を僅かに上に向け、先日のロウフェラービルと同じく青白く発光しているビルの存在を確認する。
最初から場所の見当はついていた。昨日信仰時計の効果範囲内であったこと、日中に設置しても怪しまれない七荻の管理物件であること、その二つの条件を満たした場所にしか中継器は設置できない。
そこまで絞ることができればもう十分、後はその場所に行って実際に確かめるだけだ。
急に襲い来る人の波が引き、代わりにビル街の風景がゆらりと揺れる。
そして、ゆっくりと彼方へと歩いてくる影が一つ。
この街を正気で歩く者はほとんどいない。現れたのは言うまでもなく偽ファントム──ベルゼットだ。
「さて、元凶のお出ましだな」
彼方は全断の剣を構えてベルゼットと対峙する。
現在のベルゼットの戦闘力は未知数。だが、共鳴機関の演算結果を受信する為に中継器の設置されたビルの付近から離れられない。その優位点さえあればクラリーチェ到着までの時間を稼ぐことは可能なはずだ。
『こうも早くやってくるとは面倒な男だ』
ベルゼットが言う。その声はやはり合成された機械音声のようだった。
「俺だってお前の相手は面倒さ。だが、中継器を持ち逃げされる方がより困る。……だからファントムが来るまで俺がお前の相手をする」
『本当に面倒な男だ……』
ベルゼットが剣を構える。その剣は刃渡り優に数メートル、刀身は無数の剣が寄り集まって構成されていた。
例えるならそれはささくれ立った刃の束、前回の剣とはまるで形状が違う代物だ。
「なんだその武器は……!?」
異様と言わざるを得ないその武器に彼方が身構える。
どんな挙動をしてくるのか想像もつかない異質の武器、反応の遅れは即座に致命傷となりかねない。
「鍵束」
ベルゼットが武器の名を告げると同時に剣を薙ぐ。
束ねられた刃が隣り合う刃の上で次々と滑り、ただでさえ長かった剣の刃渡りを倍以上に伸ばした。
「可変式──!」
間一髪で彼方が空中に飛び退く。ついさっき伸びる武器を見ていなければ反応が遅れていたかもしれない。
だが、ベルゼットの鍵束は更にその射程を伸ばす。滑った刃がバラバラに解けて光の線で繋がった状態へと変化したのだ。
『邪魔だ、早々に退場しろ』
線によって繋がった無数の刃が鞭のようにしなりながら彼方に向けて襲い掛かる。
「そうはいかない」
クラリーチェの到着まではまだ時間が要る、彼方は剣の先端となっている刃を弾いてその挙動を乱した。
『これも捌くか、最終形態まで見せる羽目になるとは』
ベルゼットが剣を持つ手を更に振るう。光の線で繋がっていた刃が逆立つように向きを変え、全ての切っ先が彼方の方へと向き直る。
そして、彼方へ向けて一斉に降り注いだ。
『全断の剣と同じ運用……だから鍵束かっ!』
その挙動はまるで全断の剣。
ベルゼットとクラリーチェの関係のように、この鍵束は全断の剣へと至るための系譜なのだ。
「切れ味は悪いが──!」
あの一つ一つには全断の剣のような威力はない、先程弾いた時にそれは分かっている。
だが、そもそも因果調律鍵に対して防具足りえるのはウィッチが纏う庭園のみ。
それを持たない彼方は一発の被弾も許されない。数の暴力は彼方が最も嫌う所だ。
『終わりだ』
抵抗の終わりを告げるようにベルゼットが言う。
だが、彼方は諦めない。ただでさえクラリーチェが戦い難いだろう相手、そこに人質などと言う更なる不利を重ねる訳にはいかないのだ。
彼方は迫り来る刃の数々を見据えて勝機を探す。そして見つける、刃が飛来して来ない一角を。
「ここだ!」
光の線しかない鍵束の隙間を切り裂いて彼方が包囲網から脱出する。
恐らく鍵束の隙間は先程世界から切り離された三人のウィッチが演算担当だった場所。エリスとクラリーチェの置き土産がなければ彼方はそのままその身を貫かれていたことだろう。
『な……! 信じ難い。七荻の兄は人のなりをした化け物か!?』
「信じられないのはこっちも同じだ。それでまだ午後八時なんだからな」
そう、前回よりもこれだけ強くなっているにも拘らず、信仰時計の針はまだ八時間も戻すことができるのだ。これ以上強くなられたら流石に彼方では手も足も出ないだろう。
やはり今日で決着をつけるべきだ。と、そう覚悟を決めた所で一つの疑問が生じた。
「フェイク、その文字盤……もしも午前零時まで戻ったとしたら、その先はどうなる?」
信仰時計の文字盤は十二時間分しかないが一日は二十四時間。偽ファントムの起動時間が実際の時刻と連動している以上、午前の十二時間分がないとも考えにくい。
『午前零時は共鳴機関の性能限界。……その先は次世代種の領域、もしも届かなければ行き止まりだ』
「行き止まり……それはどういう意味だ?」
『お前が知る必要はない。もしそうなったとしても、その私はそれを語る口を持たない』
言って、ベルゼットが再び鍵束の刃を宙に舞わせる。
「そうだな、それでも構わない。どうせ、こっちも今夜で終わらせるつもりだ」
だが彼方は全断の剣を構えて迎え撃たず、ただ飛び退いた。
そして、それと入れ替わるように現れる影一つ。
ゆらり。
ゆらり。
白いタキシードににやけた仮面、その姿は蜃気楼のように揺らめいていて輪郭すら分からない。
偽物に加えて替え玉まで出てきたが、彼女こそが正真正銘の本物。ウィッチの頂点であり種の終焉であるファントムだ。
「はじめまして、フェイク……いや、ここは君の正体であるベルゼットと呼んでおこうか。私を呼び出すためにあちらこちらへ迷惑を掛けてくれたようだねぇ。ご要望通り出てきてあげたよ」
いつものとろんとした甘い口調と違う、凛然とした口調でクラリーチェが言う。
『ファントム──!』
ベルゼットは固まったように動かない。
いや、容易に動けないのだ。ファントムがどれだけの規格外であるか、この世界の住人でそれを知らぬ者は居ないのだから。
「さあ、お待ちかねの開園といこう。解析如きで因果の終焉には辿り着けないことを教えてあげなくてはね」
黄金の月を背負い、揺らめくクラリーチェが両手を広げる。
瞬間、銀剣の星々が夜空に煌めいた。
『……っ!』
ベルゼットが自らの周囲に光の線で繋がれた刃を浮かべて守りを固める。
「無駄だよ、己の浅墓さを悔いたまえ」
空に浮かぶ全断の剣が舞い踊る。
ベルゼットは自らを襲う全断の剣を退けるべく無数の刃で迎え撃つ。
しかし、意思を持つように舞い踊る全断の剣は、微塵もその動きを鈍らせることなく迎え撃つ刃を軽々と切り裂いていく。
『化け物め……っ!』
逃げ惑いながらベルゼットが叫ぶ。合成された機械音声にも拘わらず、その声はまるで悲鳴のようだった。
「おやぁ、この程度で化け物呼ばわりとは心外だねぇ。君は私を自称していたんじゃないのかい? これではまだ私に至る入り口にすら立てないよ」
ゆらりゆらり、クラリーチェはゆっくりと歩いてベルゼットとの距離を詰めていく。
ベルゼットは光の線で繋がっていた刃を引き戻して巨大な剣の姿へと戻す。その形状は既に欠損だらけで朽ちた木のようになっていた。
「まずはその借り物の庭園を剥ぎ取ろうか」
悠然と間合いを詰めたクラリーチェが全断の剣を手に取る。
ベルゼットが鍵束を構えて後ろに退き疾る。
一閃。
鍵束が両断され、ファントムを真似た姿がものの見事に引き裂れた。
「のううううっ!?」
庭園を剥ぎ取られ、姿を現したベルゼットがごろごろと路上に転がって仰向けに倒れる。
「では君の悪だくみは終わりにしよう、ベルゼット」
あまりに一方的な蹂躙の果てに終わりを宣言し、クラリーチェが全断の剣を振り上げる。
──だが、クラリーチェはそれを振り下ろさなかった。
「ファントム……?」
彼女はこの期に及んで嬲る様な性格はしていない。
不審に思った彼方がクラリーチェの元へと近づいていく。彼女が刃を振り下ろせない理由はすぐに分かった。
本来ならば振り下ろしていた刃の先、ベルゼットが苦悶の表情でのた打ち回っていたのだ。
「はぁっ、あぐっ、うぐぐふうっ! あああああっ!」
自らの胸をかきむしる様にして叫びと共にか細い吐息を漏らすベルゼット。
その様子は尋常のものではない。
「…………っ! ベルゼット、君はッ!」
それを見て呆然としていたクラリーチェは全断の剣を虚空に戻し、よろよろと後ろへと後ずさる。
「ファントム! これは一体どうなっているんだ?」
「ごめん、カナ君。彼女を、ベルゼットを一刻も早くロウフェラービルに連れて行ってあげて──!」
駆け寄った彼方にそう言うなり、クラリーチェは身を翻して走り去ってしまうのだった。




